毒蝮三太夫が伝授!高齢者と話すきっかけ作り【第4回 戦争体験】
「ジジイ、ババア」と人情味たっぷりと高齢者に話しかける毒蝮三太夫さん。毎週、ラジオの生中継では、愛ある毒舌を吐きながら、会場に集まった多種多様な高齢者たちを大笑いさせている。高齢者とちゃんと話すことは、こう言っては何だが、なかなか容易なことではない。「ジジババ・コミュニケーション」の達人・毒蝮さんに、高齢者と楽しくスムーズに話す技術や心得を伝授してもらおう。(聞き手・石原壮一郎)
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当事者は話しておきたいと強く思っている
第二次世界大戦が終わって、今年でもう74年になる。俺は終戦のときに9歳だったから、戦争を記憶しているギリギリの年代だな。戦争を知っている80代後半以上の人がまわりにいたら、今のうちにたくさん話を聞いておいてほしいね。
俺も大学で女子学生に、空襲で逃げ回ったときの話をすることもある。「上からどんどん焼夷(しょうい)弾が振ってきて、死体の上をまたいで走ったんだ」ってね。二十歳そこそこの学生たちは、親からもじいさんばあさんからもそんな話は聞いてないから、ビックリするなんてもんじゃない。「それって日本であった話ですか?」なんて聞かれたこともあったな。
戦争体験っていうのは、武勇伝でもなければ自慢話でもない。人間は戦争をする生き物なんだ、戦争になったら人間は鬼になるんだ、ひどい目に遭うのは普通に暮らしている自分たちなんだ、そんなことを教えてくれる悲しくて怖い話なんだ。
そりゃあ、聞いてて楽しくないかもしれないけど、年寄りが話そうとしたときには、じっくり聞いてやってほしい。あの戦争を生き残って令和の時代になるまで長生きして、目の前で戦争体験を話していること自体が、奇跡みたいなもんなんだから。
あなたが息子や娘だったら、話すきっかけを作ってあげるのも親孝行だよ。「戦争のときは、大変だっただろうね。お母さんが生きていてくれたおかげで、自分もこうして生まれてきたわけだね。ありがとう」なんて言ってやるといいんじゃないかな。戦争で生き残ったことに感謝を示すことで、安心して話してくれるはずだ。
孫だったら、「今、戦争のことを勉強しているんだけど、わからないことばっかりで」なんて聞いてみるのもいいね。「孫の勉強のためなら」っていう話す口実があると、本人も話しやすいからな。聞いたあとは、「ぜんぜん知らなかった。おじいちゃんのおかげで、貴重な話を聞くことができたよ。長生きしてくれてありがとう」ぐらいは言ってあげてほしい。
たしかに、戦争の話をしたがらない人もいる。親が戦死したとか、目の前で身内が死んじゃったとか、あまりにもつらい経験をした人は、思い出したくはないよね。戦争中や戦後の大変だった頃には、言うに言えないこともやったかもしれない。
相手にとって嫌な記憶を無理やり聞き出すのは、よくないね。だけど、そういう人も心の奥のほうでは、誰かに話したい、聞いてほしいと思っていることは多いんだ。ぜんぜん違う話をして打ち解けながら、「こいつには話しても大丈夫だ」っていう信頼関係を築いていくしかない。心にバリケードがあるうちは、デリケートな話はできないからな。
何度か会ってるうちに、年齢や住んでた場所の話から入って、「空襲はどうでしたか」なんて聞いてみる。戦争について興味があることを示せば、きっと少しずつ話してくれるよ。本人にとっちゃつらい記憶を話させているんだから、「大変でしたね」「苦しかったでしょうね」というねぎらいの言葉は念入りにな。
「そこまでして聞きたくない」と思うかもしれないけど、人生における何より大切な勉強だと思って聞いてほしい。最近は政治家もこういう話を聞いたことがないのか、戦争をカッコよくて勇ましいもんだと勘違いしているヤツがいる。困ったもんだ。具体的な話を全部は理解できなくても、もう二度と戦争してほしくないっていう思いは受け止めてほしいな。
■今回の極意
毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)
1936年東京生まれ(品川生まれ浅草育ち)。俳優・タレント。聖徳大学客員教授。日大芸術学部映画学科卒。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の隊員役など、本名の「石井伊吉」で俳優としてテレビや映画で活躍。「笑点」で座布団運びをしていた1968年に、司会の立川談志の助言で現在の芸名に改名した。1969年10月からTBSラジオの「ミュージックプレゼント」でパーソナリティを務めている。83歳の現在も、ラジオ、テレビ、講演、大学での講義など幅広く活躍中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載では蝮さんの言葉を通じて、高齢者に対する大人力とは何かを探求している。