兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【15回 社長様のお説教】
ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症を患う兄と2日暮らし。兄が認知症を発症してから現在までの日々を振り返り、2人が直面した難問、トラブルなどをいかに乗り越えてきたかを綴る連載エッセイ。
会社勤めを続けながらも無断欠勤が多くなった兄を長い間受け入れてくれた社長も、ついに堪忍袋の緒が切れて…
「明るく、時にシュールに」、でも前向き認知症を考えます。
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罪悪感や後ろめたさは、介護には必要
社長様の逆鱗(げきりん)に触れた原因は、体調が悪いと電話して休んだ翌日、何の連絡もせず当たり前のような顔をして昼過ぎに出社したこと。
昼過ぎ出社の日は、朝いつものように出社したのになぜか途中で帰ってきてしまったため、わたくしがお尻をひっぱたいて再度出勤させたという経緯がありました。お盆や正月など、長い休みがあるとリズムが狂ってしまう傾向があるのです。
結局、あの日は午後3時半ごろ「社長に怒られた」と意気消沈して帰ってきました。わたくしは「また妄想か」くらいにしか思っていなかったので、日曜日を挟んだ週明け、「一緒に謝ってあげるから」と軽い気持ちで兄を連れて朝から会社に行きました。
ところが、予想に反して本当に社長様は怒っていらっしゃいまして、わたくしびっくりでした。
社長様曰く「具合が悪くて休むのはいい。でも翌日は何の連絡もないし、あげくの果てに昼過ぎノコノコ会社に来て『明けましておめでとうございます!』って笑顔でしたよ。なんだそれは、となるでしょう。だから『もう帰っていい!』って言ったんです」
その瞬間、わたくしは職員室に呼び出されて先生に叱られているような感覚がしました。「立たされているこの感じ、懐かしい…」と真顔の裏でちょっと不謹慎なわたくし。注意されているのは兄だという気楽さもありましたし、今思えば、社長様の放つ圧をまともに受けないように脳が勝手にかわしていたのだと思います。
この日、社長様の溜まりに溜まったうっぷんをわたくしは聞くこととなりました。
それは「病気を理由には辞めさせられない辛い会社側の立場」がヒシヒシ伝わる内容でした。要は「そっちから辞めると言ってくれ」と言われたようなものです。少なくともわたくしにはそう聞こえました。
声を荒げて叱られたわけではないけれども、「もう限界はとっくに超えています」と冷静に言われ、「働く気があるならもっと意志を持って働いてくれないと」と筋の通ったお話をされ、「そうですよね。申し訳ありません」と言うしかなかったわたくし。さすがに意気消沈いたしました。
と同時に、あんな風に思われている中で毎日過ごしている兄はエライと思い、可哀そうだとも感じました。
その帰り道は、あの針のムシロに1人置いて来た兄を思い、「そろそろ辞めたほうがいいな」と真剣に考えました。でもすぐに「ずっと家に居られても嫌だ、最悪」という本心がそれを打ち消し、そのうちに「年明け早々縁起が悪いったらありゃしない」という怒りに変わっていきました。
そして何かでストレス発散をしなければ家に帰れない心境になり、「よし、歌おう」と一人カラオケに走ったのであります。兄は針のムシロで働いていると言うのに妹は昭和歌謡を熱唱。
ごめんなさい兄上。でも作家の阿川佐和子さんもおっしゃっていましたっけ。「罪悪感や後ろめたさは介護には必要だ」って。そう、その言葉に励まされ、一人熱唱しながら「やっぱそうよね」と大きく頷いたわたくしでありました。
つづく…(次回は11月20日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現60才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
第1回 これからどこへ引っ越すの?
第2回 安室ちゃんは何歳なの?
第3回 この光景見たことある
第4回 疑惑から確信へ
第5回 今日は会社休み?
第6回 今年は何年ですか?
第7回 アパート借りっぱなし事件
第8回 アパートはゴミ屋敷
第9話 全部処分していい
第10回 で、どうすりゃいいの?
第11回「奥さん」じゃないんですけど…
第12回 たびたび起こる出社拒否
第13回 退職金が出ない!?
第14回 兄の焼肉病