84才、一人暮らし。ああ、快適なり<第4回 おいしい生活>
ジャーナリズムに旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』を創刊し、その後30年にわたり編集長を務めた矢崎泰久氏。雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。
齢、84。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら望み、一人で暮らしている。そのライフスタイル、人生観などを矢崎氏に寄稿していただき、シリーズ連載でお伝えする。
今回のテーマは、「おいしい生活」。
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
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毎日、おいしい物を食べて自分を鼓舞する
ウッディ・アレン氏が出演した西武百貨店のCMを覚えている方は、すでに老境にある人かもしれない。コピーは糸井重里さんだが、これがヒットした。80年代の初期の頃だった。
「おいしい」によって連想されるのは、当然のことながら「料理」である。ところが「生活」はやがてバブルを呼び込むことになる。「おいしい生活」は、ある意味で時代のキーワードでもあった。私にとっては、いささか苦い記憶を蘇えさせる。
おいしいものを食べる。これは一種の生き甲斐である。飢えを知っている世代にとっては、生きるための食を貪った時代を忘れられない。贅沢が普通になったから、おいしいことが自然に受け入れられるようになった。
一人暮らしをするようになって、私がいつも念頭に置くのは、毎食おいしい物を食べることだった。ある意味では、食事にこだわりを持つことで、自分を鼓舞する狙いがあった。
と、言っても、ついつい「卵かけご飯」に頼ってしまう。何と言っても、これは旨い。絶品である。毎日食べても、私は飽きない。
しかし、これでは栄養を摂れない。偏食は命取りにもなりかねない。幸いなことに、私は料理を作ることが嫌いではない。若い頃から、いろいろな料理を作って楽しんでいた。暇さえあれば台所に立っていたような気がする。
一人暮らしをするようになって、一週間のメニューを作成することにした。偏食にならないためにも大切なことであった。これが意外に楽しい。二十年前から持病になっている糖尿にも役立つから、つまり一石二鳥である。
朝食:パン サラダ スープ
昼食:麺類(蕎麦・うどん・ラーメン)
晩食:米 料理メイン(肉か魚)
基本は決めて、アラカルトの選択を楽しむ。私の場合は、週に一度、仕事場に近いスーパー・マーケット(吉祥寺・紀伊国屋、あるいは永福町・三浦屋)に行き、冷凍保存中心に食料を揃える。タクシーで1000円台なので多少重くても自分で持って帰れるから便利である。
幸いなことに、食も細くなり、良い品を少々という基準を守ることができる。平均すれば、1日2000円から3000円。それでも週に夜に限り2日程外食するので、残り物が出る。売り場を歩きながら、「買い過ぎに注意」という言葉を頭の中で繰り返すことにしている。
冷蔵庫に使う順に整理して収納する。食パンは4枚に切って冷凍し、1枚ずつ使用する。買い出しに行くのは結構楽しい。料理のレシピを頭に描きながら、おおよそ1時間ほどカートを押して、スーパーをくまなく歩くから、いい散歩になる。
私はだいぶ前から、総入れ歯なので、ナッツ類など固い物は不要。あまり歯に負担をかけない食料をなるべく選ぶ。
牛肉は欠かさない。牛4豚2鳥1の比率を守る。魚は調理が不要な干物など焼き魚が中心。稀に刺身(中トロ・帆立)やイクラ、生鱈子を少々。
珍しい食材や、イメージを満足させる絶品に出合うと、つい財布のヒモがゆるむ。食材の買い物ほど気分転換になる遊びは他に類がない。パテやチーズにも目がないので、長居は無用のスーパー探検である。
さて、棲み家は1DKという狭さの上に、キッチンにはガスレンジが2台しかない。手の込んだ料理には、まったく向いていない。しかも調理道具も不完全ときている。料理には相当(かなり)な工夫が必要なのだ。
最後の晩餐は自分で作って食べたい
『話の特集』時代、原宿のセントラル・アパートメントに約20年間お世話になっていた。
1階にフィリピン料理屋と宝塚歌劇出身の姉妹が経営する鉄板焼の店があった。毎日のようにどちらかの店でランチをしていたので、両方の店の名物料理をほとんど調理できるようになった。もちろん見よう見真似である。
それが今になって役に立つとは思わなかった。フィリピン料理のポーク・シニガン(※1)、メチャド(※2)などはシェフ仕込み。加えてコンビーフをベースにした各種の料理も覚えた。これらを週に一度は作る。
宝塚OBから覚えたのは、数々の卵料理と簡単ランチ。オムレツ、チャーハン、牛丼なら、そこらのコックには負けない自信がある。
要するに、私にとっての「おいしい生活」は、自慢じゃないが年季が入っているのである。
食を楽しむことによって、老いを忘れることが出来る。味覚が衰えたら、生きていても面白くないに違いない。最後の晩餐を自分の手で作って食べたいとすら思う。どうやら他の欲望は全て消滅しても、食欲だけは残りそうである。
食い意地が強いうちは生き続けるような気がして恐ろしい。
【編集部注釈】
※1:骨つきの豚肉、野菜が入った酸っぱいスープ
※2:ラードで包んだ牛挽肉、じゃがいもと玉葱が入ったシチューのようなもの
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。