《春やすこが語る壮絶介護の結末》「自宅で看取りたかった」後悔と「やり切った」達成感 両親との切ない別れの瞬間に感じたこと
女性漫才コンビ「春やすこ・けいこ」として、1980年代の漫才ブームを牽引したタレントの春やすこさん(64歳)が経験したのは、約8年間にわたる両親のダブル介護。しかしその最期は、両親ともに死に目に間に合わない、切ない別れだった。「自宅で看取りたかった」という思いと「最後までやり切った」という達成感。春さんがその複雑な胸の内を語った。
亡くなった父に「よう頑張ったな」と声をかけた
――ご両親の介護をされていましたが、2013年に父親が81歳で、その3年後に母親が80歳で亡くなります。どのようなお別れだったのでしょうか。
春さん:父は体調を崩して半年入院して、病院で亡くなりました。父の入院中は毎日、娘と面会に行っていました。その日も面会に行くと、父の呼吸がいつもより荒かったので、気になって看護師さんに「息が荒いけど、大丈夫ですか?」と尋ねると、「大丈夫、落ち着いてますよ」と言われました。
その言葉を信じて娘とアウトレットへ向かったのですが、部屋を出る際に何気なく父の顔を見ると、今思えば「行かんといて」って訴えるような顔だったような気がしています。結局、アウトレットに着いてすぐに「容態が急変した」と連絡が入りました。
すごく道が停滞していたので、「あの渋滞の中、帰らなあかんの?」と焦りました。案の定、渋滞に巻き込まれているうちに、父は息を引き取りました。急変したと聞いてすぐに息子に電話して「おばあちゃん連れておじいちゃんのとこ行って!」と頼みました。それで、母は父の看取りに間に合ったんです。
母を先に病室に向かわせて、息子が車を駐車場に停めているうちに父は亡くなったので、母もギリギリでした。それでも、一言二言声をかけることができたようで、それはよかったと思います。私も間に合ったらよかったんですけどね……。でも、父に触ったら、まだ温かかった気がします。
病院に向かう途中、車の中で娘が呼吸困難になるかと思うほど泣くので、私は逆に涙が引っ込みつつ(苦笑)、父の穏やかな顔を見て、「出かけてごめんね」と謝って、それから「よう頑張ったな」って声をかけました。最期は呼吸も荒かったし、かなり苦しかったと思うんです。本当によく頑張ってくれました。
両親を失い、悲しみがどっと押し寄せた。
――母親の際はどうでしたか?
春さん:母の時は、亡くなる日の午前中、母の妹が2時間ほど面会に来てくれていたので、それなら寂しくないだろうと考えて、「また夕方に来るわ」と伝えて一度自宅に戻ったんです。病院と自宅は近いのですが、自宅の駐車場に車を入れて、部屋に上がったら携帯が鳴って、「急変した」って連絡があって。すぐ病院に戻ったんですけど、もう息はありませんでした。だから、母は1人で逝ってしまいました。
父が亡くなった時もめちゃくちゃ淋しかったですけど、まだ母が残ってるので、まだ気が張っていて、一段落ついたかなという気持ちだったんです。でも母の時は、悲しみがどっと押し寄せました。
晩年の母も苦しそうでした。肺気腫ですからね。初めは鼻の酸素でよかったのですが、途中から酸素マスクをしなければいけなくなりました。この酸素マスクって相当しんどいらしくて。入院する前にも自宅で酸素マスクをしていたんですけど、正しく装着していないとエラーのアラーム音がピーピーと鳴って、夜中に母の酸素マスクを直しに走ったりしていました。
酸素マスクの管理を私一人で行うのは無理だということになり、看護師が常駐する施設への入所も検討しました。けれども、施設を探している間に容体が悪化してしまって……。結果的に、大きな病院にもかかわらず9か月もの間、入院させてくれました。母もしんどかったんで、「よう頑張ったな」という思いですね。父と同じです。
お互い思いやりがあったからこそ、在宅介護が続けられた
――介護が終わって、今思うことを教えてください。
春さん:2人とも最期は病院でしたが、もう一度、家に帰ってきてほしかったです。自宅で看取りたかった。本人たちもそれを希望していましたしね。介護は大変でしたけど、介護点数(単位)を使うコツがわかってきたところだったので、もう少し「ずぼら介護」を続けさせてほしかったです。
ただ8年のダブル介護が終わった時には、やり切った! という気持ちでいっぱいでした。施設に預けるのではなく、自分の手で最期まで介護したことに後悔はありません。両親が旅立ったことに対しても、自分なりにやれるだけのことはやった、という自負があります。介護中に子供たちが手伝ってくれたのも、いい子供たちに育ってくれたなと改めて感じられたので、それもよかったですね。
介護を最期までやりきれたのは、両親がよく感謝してくれたのもあります。介護前はそんなに「ありがとう」と言われなかった気がするんです。私には妹がいるのですが、やっぱり長女の私は頼られているんだなと感じました。
父のおむつを交換している頃の話ですが、母はお尻の拭き方が雑なんですって(笑い)。でも私におむつを替えてもらうと、濡れタオルできれいに拭いてくれて、気持ちがいいって言うんですよ。そう言われると、うるっときますよね。介護される側も気遣ってくれているんだなって。お互い思いやりがあったからこそ、在宅介護が続けられたんだと思います。
◆タレント、俳優・春やすこ
はる・やすこ/1961年6月15日、大阪府生まれ。1976年に漫才コンビ「春やすこ・けいこ」でデビューし、アイドル的な人気で漫才ブームを牽引。1981年に「上方漫才大賞」新人賞受賞を受賞。コンビ解散後は俳優としてドラマや映画、舞台で活躍。2009年より約8年間、両親の介護を行った。
取材・文/小山内麗香