私の認知症体験記|芸能人とその家族が語る心温まるエピソード
日本認知症予防学会は、アルツハイマー博士の生誕日でる6月14日を「認知症予防の日」と制定し、社会に認知症予防の取り組みや必要性を啓発している。
人生100年時代に、誰もが無関係ではいられない認知症。どこか暗いイメージがつきまとう。
本人は「自分が自分でなくなってしまう」という恐怖感を抱き、家族は突拍子のない言動に振り回され、先の見えない介護に呆然としがちだ。 だが、今回、取材に答えてくれた芸能人やその家族は、「認知症」に直面しても笑顔だ。「認知症と幸せに生きた」芸能人とその家族の証言には、人生100年時代を生き抜くヒントが詰まっている。
藤村俊二さんの長男・亜実さんの証言
●病院をリゾートと勘違い
飄々としたキャラクターから「オヒョイさん」の愛称で親しまれた藤村俊二さん(享年82)は、’15年10月に自宅で倒れた直後に小脳出血の手術を受け、入院生活が始まった。それを支えたのは、前妻との間の長男・亜実さんだった。自身が20才の時に家を出て行った父親を、亜実さんは最期まで見守った。
手術後は、うとうと眠ることが多かったという藤村さんだが、リハビリ中に亜実さんが「ここまでおいで!」とハッパをかけると、「おれは犬か」とボヤいてスタッフを笑わせた。医師から認知症という診断は下されなかったが、今日が何日なのかわからないような、認知症に似た言動が出ることもあったという。
「病院の目の前が海だったのですが、その年の暮れ、屋上で親父に『ここがどこかわかる?』と聞いたら、少し考えてから『ハワイ?』と答えました。症状によるものかもしれませんが、親父らしい答えに思わず笑ってしまうと同時に、病院をリゾートと勘違いするくらいならと救われた気になりました」(亜実さん)
●認知症にはさまざまな原因となる病気がある
看護師資格を持つ、老活・就活の専門家、藤澤一馬さん(未来設計サポートMedit代表)が説明する。
「一口に認知症と言っても、その原因となる病気はさまざまです。最も多いのは、アミロイドβというたんぱく質が脳に蓄積して、神経細胞が減少し、脳が萎縮する『アルツハイマー型認知症』で、患者全体の6~7割とされます。記憶障害がゆっくりと進行し、日付や時間、場所などの把握ができなくなります。次に多いのが、脳梗塞や脳出血、くも膜下出血などの脳卒中が原因で、脳がダメージを受けて起こる『血管性認知症』で、全体の2割程度とされます。また、脳卒中により運動機能が落ち、体力・筋力が低下して、認知機能が落ちることもあります」
●“今”を楽しく生きる姿が心に残る
リハビリができた頃は、周囲が「そんなに頑張らなくていいよ」と声をかけても、「じゃあ、やりますか」といった様子で強めのストレッチやマッサージに素直に取り組んでいた藤村さんだが、’16年の夏が過ぎると、寝たきり状態になり、食事もあまり食べようとしなくなった。
見かねた亜実さんは、看護師に代わって、藤村さんに食事を食べさせてみたという。
「ぼくがスプーンを持っていくと、親父は大きな口を開けて完食したんです。次の日も、その次の日も、完食してくれて。症状によるものかわかりませんが、とても純粋な表情に、親父の真の姿を見た気がしました。その瞬間、長年抱いてきた親父へのわだかまりを手放そうと思えました。ぼくが望んでいた親子の関係が、その時に取り戻せたと感じたのです」(亜実さん・以下同)
その後、’17年1月に、藤村さんは眠るように息を引き取った。
「周りの人は“みっともない姿を見せたり、頑張ることを嫌う”というイメージを持っていましたが、最後までリハビリに文句を言うことはなかったし、どれほど格好悪くても、“今”を楽しく生きようとする親父の姿が心に残っています」
松島トモ子さん、レビ―小体型認知症の母との日々
●突然やってきた母の異変
芸能界を二人三脚で歩んだ母の志奈枝さん(98才)の異変に気がついたのは、’16年5月に行った志奈枝さんの誕生会だった。
「好奇心旺盛で、人の話を聞くのが大好きだった母が、集まってくれたみなさんを無視して、貪るように料理を食べ続けていたんです。そして、失禁していることに気づきました。お店に到着するまで、おかしな素ぶりは何ひとつなかったのに、突然の出来事でした。その日以来、大声で私を罵るようになり、“ついに来るものが来た”と、恐ろしいものを感じました」(松島・以下同)
松島は地域包括支援センターを訪れ、志奈枝さんは要介護認定の審査を受けることになる。しかし、志奈枝さんは自宅を訪れた調査員に「何でもできます」「お風呂も自分で入ります」とハキハキと答えたという。
「嘘ばっかり!と思いましたよ(笑い)。結果、判定も要介護1になってしまいました。現実には家の中で暴れたり、恐怖を感じるほどの罵詈雑言。戦争の幻覚を見るようで、『戦車が来た!』『兵隊がいる』と怯えることもありました」
●レビ―小体型認知症と診断され、要介護度が上がった
“これで要介護1のはずがない”と、認知症専門医を受診したところ、「レビー小体型認知症」と診断された。
「脳内に特殊なたんぱく質の一種であるレビー小体が付着するタイプの認知症で、幻視や幻覚、うつ状態などが生じやすくなります」(藤澤さん)
その上で、要介護度変更申請をすると、一気に要介護4まで上がったという。疲労困憊の松島は、体重が40㎏から33㎏まで激減。この当時の状況は、「介護人生における“地獄”だった」と振り返った。
●処方薬をのむようになり、今はニコニコの毎日
「母に薬をのませようとすると『毒をのまされる』と暴れて噛みついてくるので、複数処方された薬のうち、1つでものんでもらえればいいわ、という気持ちで口に放り込んでいました。しばらくすると、薬をのんだ方が自分も体力的に楽だということに気づいたようで、すすんでのんでくれるようになりました。今では、寝ている時もニコニコしていますよ」(松島・以下同)
今年の4月、志奈枝さんは美容師と運転手に付き添われて松島のコンサートを見に来たという。
「美容師さんが感想を聞いたら、『とてもよかったわ』と言ってくれたんです。昔から、母はなかなか褒めてくれなくて、前回のコンサートの感想は『無難だった』と言われたんですよ」
介護に悩んでいた日々など、まるで感じさせない明るい表情で松島は笑う。
「母は、95才までハイヒールを履いていたレディーでしたが、今も、ほぼ毎日ストッキングをはいて、ちょっと白髪が出ると『そろそろ美容院かしら』って言うんです。美容院へ行く回数は、私より母の方が多いんです」
そんな母親が自宅で一日でも楽しく過ごせることが、今まで自分に尽くしてくれた母への恩返しだと松島は思っている。
※女性セブン2019年6月20日号