兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第214回 兄がすっ転びました】
若年性認知症の兄の症状が進み、在宅での介護に限界が見えてきた妹でライターのツガエマナミコさん。施設入居へ向けて動き始めたものの、本当にそれでいいのかと自問自答中でした。そんな中、兄のお世話は、どんどん大変になってきたようです。
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施設入居に迷いがなくなりました
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やっと円周率小数点以下60桁まで覚えました! でも100桁まではあと40桁もございます。円周率が100桁言えたとて、生活にも仕事にも役に立つことはないでしょうけれども、語呂合わせを考えたり、雑念を捨てて反芻することで、仕事や兄のことをまったく考えない時間を1日に数分持てることは、なかなか良いと感じております。また何十年も使わずに錆びついた「数字の暗記」という脳みそをゴリゴリと動かしている自己満足感もたまりませぬ。
そんな中、食事介助を始めて2週間ほどが経ちました。一食2時間ほどかけてやっと7~8割を召し上がっていただいております。途中目をつぶって寝てしまうこともある兄を「は~い、お口開けてくださ~い」と起こしながら食べていただくのですから大仕事でございます。そうやって時間と労力をかけて食べていただいたのに、朝、お便さまと言う形で部屋に散乱しているのを見たときは、「何やっているんだろう…」と自分のやっていることの空しさに打ちのめされるものでございます。そして腹の底から施設入居を懇願いたしました。
結局、手に負えなくなったら施設にお願いして、人さまに自分の身代わりになっていただくことを考えてしまう。そしてそれが安ければ安いほどありがたい…と身勝手なことを思ってしまうのでございます。わたくしが元気なうちは面倒をみよう…と考えていたのはいつのことだったか。病気のひとつもしないうちに音を上げるんじゃない…と思っていたのもつい最近のことでございます。ああ、それなのに…。
親を施設に入れたことで罪悪感に苛まれ、せっかく長年の介護から解放されたのに精神的には以前にも増して病んでいる―――という手記を垣間見ました。介護あるあるの一つだと思います。限界まで在宅介護を続けようと思うのは、そうでもしないと罪悪感に勝てない気がするからかもしれません。介護する家族が病気になって仕方なく…という話もそれほど珍しくございません。
わたくしはいたって健康体でありながら、もう施設入居を考え、着々とその準備を整えつつあります。何も知らずに日々を過ごす兄を、まるで騙す様に連れ出してぬるっと施設入居させてしまうことでしょう。さすがに面と向かって兄に「施設に入ってもらうからね」とは言えそうにございません。「どうして?」と問われたとき、どういえばいいかわかりません。ケアマネさまは、「本人と施設の相性もあるでしょうから長めのショートステイで様子をみて、良ければそのまま入居させるのがいいと思います」とおっしゃいました。
前回では、まだ気持ちが揺れていると書きましたが、じつはあれから輪をかけて手を焼いておりまして、施設入居に迷いがなくなりました。
お尿さま攻撃が止まらないのでございます。わたくしが部屋にこもって仕事をしている間に、ある日は扇風機に、翌日はテレビに、さらに翌日は窓際に、玄関に、廊下にと日替わりでやってしまうのでございます。トイレ誘導が足りないのかもしれません。でも、もう血管が切れそうでございます。
その上、先日は病院の帰り、駅から歩いて自宅近くまで来たときに、足の脛ほどの高さのブロックに兄が躓いて転んだのです。車をよけて横の駐車場に入ったところでございました。あんな高さのブロックなら当然止まるだろうと思いながら後ろを歩く兄を振り返りつつ見ておりましたら、ちょっと立ち止まったように見えた次の瞬間、ブロックに覆いかぶさるように倒れ込んでしまったのです。あれよあれよと思う間に、車輪止めのブロックの角に腕や頭をぶつけてしまいました。幸い大きなけがはありませんでしたが、頭と脛の擦り傷には血がにじんでおりました。頭には帽子をかぶっていたので、そのくらいで済みましたが、これからは手を繋いで歩かなければならないのかと真っ暗な気持ちになりました。
帰宅後は、「イテ、イテ」と言う兄の傷に消毒薬を塗り、化膿止めの軟膏を塗り、絆創膏を貼って差し上げました。「すんません、ありがと」と言った兄ですが、翌日にはお便さま攻撃で、朝からシャワー。絆創膏も貼り替えたのに、お昼にはお便さま攻撃第2弾発令で再びシャワー。兄の全裸も見慣れてしまいました。
今は早く施設入居してほしいと思うばかり。それなのに、まだどこにも見学に行っていない体たらく。どこかで分身の術を学んでおけばよかったと思っているツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ