兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第206回 兄の夕暮れ症候群】
若年性認知症を患う兄の排泄トラブルはなかなか解消しないばかりか、その不可解な行動はますます加速中。一緒に暮らす妹のツガエマナミコさんは、あの手この手で対処を続けていますが、その斜め上のハプニングが起こってしまうのです。そして、排泄の他に、また一つ兄の不思議な行動が始まったというお話です。
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夕暮れになるとオーライオーライをする兄
兄はどこでお尿さまをするか分からないので、毎日戦々恐々とした朝を迎えているツガエでございます。
先日は、洗面所に貼った使い捨て防水シーツの下にやられました。固定しているテープをわざわざ剥がしたと思われ、シーツの表面が乾いているのでしばらく気づきませんでした。あるとき若干の水気を発見したので拭いていたところ、「おや?」となりよくよく見ると、防水シーツの下にお尿さまが広がっておりました。「賢すぎるやろ」が第一声でございました。おトイレの場所はろくに覚えないのに、ごまかしたり、隠したりすることにかけてはたいへん頭がよく回る兄でございます。おトイレ以外でしてしまうことが良くないことだとわかっているからこういう行動をするのでしょうか?
そばにあった体重計の箱が床のお尿さまを吸ってぐしょぐしょ。この先タオルやドライヤーが入った引き出しの中にもやらかしかねないと思ったので、粘着テープを貼って容易に引き出しが開かないように対策いたしました。
お尿さま・お便さま対策のおかげで、掃除機はかけにくくなり、扉や引き出しは開けにくくなり、取りやすい場所に物を置けない暮らしになっております。
そして夕暮れになると、兄は最近不可思議な行動をいたします。リビングから玄関を見つめながら、車を誘導するように「オーライオーライ」と大きく手招きをするのでございます。
「何やってるの?」と聞くと、小声で「あそこから何か来るから」と言って玄関を指さします。オーライオーライを続ける兄に「何が来るの?」と尋ねると「わっからない」とのこと。「わからないものを家の中に通さないでよ」と言うと「でも、そこにいるから」とオーライを続けること10分。そのうちにベランダの窓を全開にして「ここを通ってください」と言わんばかりのオーライオーライ。もちろん玄関は閉まっておりますし、誰かがいる気配もございません。「ねぇ、何も来ないじゃん」というと「でも、ここ通るから」と主張を曲げません。30分ぐらいやり続けたでしょうか。さすがに疲れたのか、オーライの手がフェイドアウトしていき、なんとなくテレビに興味を移しました。
認知症には「夕暮れ症候群」というものがあるそうでございます。自宅にいるのに「家に帰る」と言い出したり、実際外に出てしまったり…。「日没症候群」ともいうそうですが、在宅の60%、施設では10%の割合で、夕暮れになると帰宅しようとする認知症の方がいるそうです。
兄の場合は、オーライオーライが夕暮れ症候群だと思われます。もしかすると「誰か家に来てほしい」という深層願望なのかもしれませんが、真実は誰にもわかりません。
近頃、認知症は大自然の猛威のひとつだと思うようになりました。地球の営みが地震や雷を生むように、認知症も自然発生してしまうものでございます。兄が認知症になったのが自然の成り行きなら、わたくしが兄の妹になったのも自然の成り行きで、こうして認知症の兄を介護することになったのは地震や雷に遭遇する運命とさほど変わらないこと。「兄」という自然の猛威に巻き込まれるのがわたくしの自然な姿なのではないでしょうか。
「こんな暮らしは嫌だ」と抗う気持ちを持っているから辛いのであり、「楽になりたい」と思うから苦しいのでございます。わたくしには、これ以上わたくしらしい人生はなく、今の暮らしこそが本来あるべきわたくしの営みでございましょう。日々イライラしながら、週1の一人カラオケでストレスを発散し、適度にお仕事をいただきながら、兄の撒いた排泄物を掃除する。それは決して悲観すべきことではなく、ごく普通で良くも悪くもないこと。生き物は食べたら出すものですし、掃除しなければと思うのはわたくしの勝手な欲求なのでございます。
人はなぜ「楽しく生きたい」と思うのでしょうか。楽しくない人生は良くないものでしょうか? 楽しいとか楽しくないという概念を持たないであろう昆虫さまのように、与えられた命に疑問や不満を持たず、息絶えるまで淡々と生きることができたらいいな~なんて考えてしまうのが、たぶんツガエの夕暮れ症候群でございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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