85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第32回 どうするかい同窓会】
1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などが執筆し、ジャーナリズムに旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏。彼はまた、テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、世に問題を提起してきた伝説の人でもある。
齢、85。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らすことを選び生活している。
オシャレに気を配り、自分らしさを守る暮らしを続ける、そのライフスタイル、人生観などを連載で矢崎氏に寄稿してもらう。
今回のテーマは「同窓会」。出席を断り切れず参加した同窓会で久しぶりに会った友に起きた大事件、そこから学んだことがあると語る矢崎氏。その真意とは?
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
* * *
同窓会、出席すべきかどうか…
秋になると、いろんな行事が目白押しにやってくる。祭り、運動会、展覧会、そして同窓会・同期会、OB会などなど。
全部こなすとなると時間も経費も結構かかる。付き合いのいい人もいれば、その逆もある。
「孫と病気の話はしない」と条件付きの同窓会もあるようだが、なかなかそうもいかない。昔話ばかりの繰り返しではやっぱり退屈する。しかも集まるのは同じ顔触ればかりという悩みも少なくない。同窓会より祭りの方が好きな人も少なくない。
祭り好きの日本人は、わざわざ他所の祭り見物に出かける人もいる。東京などは、下町と山手(やまのて)では祭りの規模も数も違う。地方からの人口増加もあって、東京の祭りは江戸時代以降、明治・大正・昭和と次第に淋しくなっているようである。その逆が地方の祭りの復活である。
近頃では、商業と結んだ文化的な祭りが、神秘系を押さえて流行しているらしい。
さて、同窓会の場合も、熱心な世話役がいるかどうかで、だいぶ違ってくる。
10年ぶりかであれば行ってみるかとなっても、毎年ではまたか、となる。私などはどうしても億劫になって、「あいにく先約があって欠席」と返信することが多い。
ところがたちまち嘘が見抜かれるのか、聡明な幹事から直接電話がかかて来て、出席するように説得される。
「担任の先生が卒寿を迎える」とか「寝たきり老人になった〇〇君に見舞い金と寄せ書きをするから来てくれ」などと情にからんでくる。ついに断り切れなくなる場合も少なくない。
でも世の中には付き合いの良い奴がいて、どんな会合にも必ず出席する立派な方も稀にいる。
中には欠席すると、悪口を言われるからという気の弱い人もいないではないが、要するに、早く隠居した人は人恋しいという側面もあるようだ。そういう人にとっては同窓会や同期会は大切な楽しみなのだから、一概に否定してはならないのかも知れない。
あちこちに転校したりしている私たち世代には、延べにすると10数校もの小・中・高に通っていた人も結構多い。あちこちから連絡が来て、行ってみたら実に楽しかったと喜ぶ人もいたりする。まったく人様々だ。
冷静に考えてみると、利害損得とまったく無関係の人間関係は貴重なものではないだろうか。人にはそれぞれの付き合いがあるが、一期一会のような素敵な出会いはそうザラにあるものではない。
人と会い、人と話す。これこそが人生の基本ではなのだ。
人は大別して、老いるにしたがって、せっかちになる人と、のんびりする人に分かれると言う。せっかち派が70%ぐらいで、残りの30%がのんびり派らしい。
私の場合はややせっかち派に近いが、最近反省してなるべくのんびるするように心がけるようになった。
詐欺で全財産を失った友人の話
反省するきっかけになったのは、説得されて渋々出た同窓会で、友人の一人が近況報告の中で語った言葉にあった。
彼は大企業のオーナーであったが、70才ですぱっと引退した。それからは世界を連れ合いと旅したり、趣味の古典芸能の鑑賞をしながら日々を送っていた。ところが、ある詐欺グループに引っかかって、全財産を失ってしまった。つまりスッテンテンになって、住まいの近くにある喫茶店で週3日働きながら細々と生活している。これが、実に楽しいとも語った。
人生経験の豊富なそれなりの人が、どうして詐欺になど遭ったのか。文無しになるまで何故気付かなかったのか。ま、それが人生というものだろう。
彼を騙したのは、かつての部下が作ったNP0法人で、発展途上国の難民救済の組織だった。
「訴える気もなかったよ。俺の金は正しく使われたのだから。結果オーライだよ」
凄い人だと感動した。同窓会に行かなかったら一生知らずに終わっただろう。
「本当に苦しい思いをしている人々に較べたら、俺なんて恵まれている」
そこまで達観している。大体の人はアクセクと目先のことに追われて生きている。彼の割り切った生き方はなかなか出来るものではない。
人の話は聞いてみるものだ。つくづくそう思った。
握手して別れたが、後日、彼の働く東京郊外の喫茶店を訪ねた。会って話がしたかったのである。
彼が焙煎した珈琲は絶品だった。もともと珈琲好きで長年自分の味覚を大切にしてきた人でもあった。
たとえ騙されたにしても、自分の金が役に立っているなら、喜べばいいのだというのは、壮大な理想とも思想だとも言える。せっかちな人間はたちまち善悪や損得を決めたがる。人間とは、もっと大きな存在だと知る為には、のんびりと生きるしかない。
私はそれを久しぶりの同窓会で学んだ。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。