兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第94回 要介護認定の結果が出ました!】
若年性認知症の兄の要介護申請、認定調査が終わってから早1か月以上の時が経ち……。先日、ついに、認定結果が届いたツガエ家。さて、兄の要介護度は?
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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ドラムロールが鳴り響く…さて、結果は?
少し前、お仕事の現場でよく顔を合わせる同年代のカメラマンに、世間話の流れで仕方なく「認知症の兄と2人暮らしなんです」とわたくしの家庭事情をお話ししました。「へぇ、大変だね」と心配してくださったものの、内心、「これからあいさつ代わりのように“どう?お兄さんの具合”と聞かれるのはしんどいな」と案じていたのです。でも先日また同じカメラマンとご一緒したとき、「ツガエさんは1人暮らしなの」と聞かれ、複雑な気持ちになりました。「兄と2人暮らしなんです」と言えば、「あ!」と気づいてくれるかと思いきや、「お兄さんと仲いいんだね」と満面の笑みが返ってきたので、そのまま一緒に笑ったツガエでございます。
このことから“他人さまは自分が思うほど自分のことに興味がないのだ”と学びました。
誤解がないように申しますと、そのカメラマンはとてもいい人です。いつも妻自慢をする善良な紳士で大好きなカメラマンの1人です。この先もたぶんお仕事は続きますので、記憶に残っていないのはむしろありがたいこと。「わたくしにはまるで興味ないのね」という寂しさはありましたが、お仕事は兄から解き放たれるわたくしの聖域。今後も嘘をつかない程度にぼやかしていこうと思いました。
そうこうしている中、先日の要介護認定調査の結果が届きました。書留で受け取った福祉保健センターの茶封筒は、A4サイズ三つ折りが入る大きさのそっけない定形郵便。少し厚みがあり、宛先の窓には兄の名前がありました。
わたくしはそれを兄に見せることなく、自室に持って入り、調査日の兄の様子や認定員さまのペンを走らせるお姿などを走馬灯のように思い浮かべては「あれも言えばよかった」「これもあったな」と、遅すぎる反省をいたしました。
さぁ、いよいよ開封です!
こんなとき、最悪を考えるのがツガエの常套手段でございます。「どうせ『要支援』なんでしょう」と精一杯の予防線を張りながら、頭の中でドゥルルルルルルル~というドラムロールを鳴り響かせ、ハサミを入れました。
三つ折りになったお役所特有のコピー防止処理が施された色付きの用紙を取り出すと、「認定通知書」の文字が嫌でも目に飛び込んでまいりました。そっと三つ折りを広げてみると、被保険者氏名、被保険者番号、認定有効期間の下に、ありました要介護状態区分です。
ドラムロールが鳴りやみ、見えた文字は「要介護2」。
低く見積もっていた分、「おおおおお!」と小さな歓喜が湧きました。
しかし、通知書にはそれ以外のことはほとんど何も書いておらず、紙がもったいないほどのすっかすっかでございました。
逆に同封されていたのは、裏表文字ビッシリの「要介護認定(要介護1~5)を受けた皆様へ」と題された紙全6枚と「地域の指定居宅介護支援事業者」リスト。そして屏風のように折りたたまれた青い用紙の「介護保険負担割合証」でした。これを持ってケアマネジャーさまがいる事業所へ行き、ケアプランを立ててもらわなくてはなりません。
要介護度が決定したことは一歩前進ですが、どこを利用するのか、何をしてもらうのか、いつから利用するのか、往復はどうするのか?????
わたくしが決断しなければならないこともまだまだありそうです。
もっとも心配なのは、本人である兄が行ってくれるかどうか、ということ。家にいることが当たり前になってしまった兄が今さら知らない人ばかりのところに自ら進んで行く気になるとは思えず、「どうしても行かなくちゃいけないの?」としょんぼりうつむかれたら、わたくしは、それでも行け!と言える自信がございません。
とにもかくにも、ケアマネジャーさまを立てることが先決。週が明けたらまた包括支援センターへ行って参ります。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ