兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第80回 闇から脱出する方法】
ふと襲ってくるネガティブな感情。誰しもそんな感情に囚われてしまうことはあるもの。若年性認知症の兄と2人で暮らすツガエマナミコさんも、マイナス思考に陥ることがあるという。そんなとき、どうやって気持ちを持ち上げているのか……ありのままに綴ってくれた。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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「口角を上げて」思いついたこと
「残りの人生は、兄の召し使いで終わる。両親は、兄の面倒をみさせるためにわたくしを生んだに違いない」
そんな曲がった根性を持つようになりました。
「認知症の人には怒ってはいけない。その人の身になって優しく接せよ」
でも、これを守ろうとすると、わたくしは感情を持たない機械のようになってしまうのですが、どこが間違っているのでしょうか?
―――正直、こんなひねくれた思考にハマることがときどきございます。よくよく振り返れば、まだそれほど実害をこうむってはいないのに、将来を思うとドヨ~ンとお先真っ暗になってしまうことがあるのでございます。
こういうときは、「口角を上げる」のが最近のツガエでございます。口角が上がると脳が「いいことがあった」と誤認識して幸せホルモンが出るというアレです。(第58回参照ください)
「こんなことで気分が上がるわけないじゃん」と未だに思っているのですが、これがまさかの、心なしか気持ちが上向くことがあるのです。あまりにも馬鹿馬鹿しい顔をしている自分がおかしくなる説、放っておいても感情のバイオリズムで上がったり下がったりする説など、所説あるとは思いますが、ま、気休めでもツガエは絶賛愛用しております。
じっと口角を上げていたら、闇から脱出するための糸口を一つ思いつきました。
わたくしがお先真っ暗になる要因は、何もしないで妹に頼ってばかりの兄を見て、自分だけが頑張っている、犠牲になっていると思うからにほかなりません。ならば、わたくしよりも兄のほうが辛いのであるという事実を見つければいいのだと考えたわけです。
そう、傷だらけで辛そうな人を見れば誰だって「助けてあげなくっちゃ!」となるではございませんか。見るからに痛々しければ、人は無条件で優しくなれるのです。
しかし、兄はいつでものほほんとテレビを観てばかり。手足も動くし、目も耳も鼻も健常。痛々しいところが一つもございません。痛々しいのは脳の中で、それは目に見えないので、わたくしには兄がただの怠け者に見えてしまうのです。いっそ頭に包帯をぐるぐる巻いて、わかりやすく痛々しくしてくれたならわたくしの優しさ度も高まるのですが、そうはいきません。
でも「怠けている兄=痛々しい」という公式が成立すれば、わたくしは兄に優しくできる仮説が成り立ちます。そこで「テレビを観て笑っているけれど、兄の脳内は痛々しいのだ」と思えるような材料を見つけようと考えました。
ネットで認知症の人の思考回路について検索しましたところ、認知症当事者の言葉が集まっているサイトにたどり着きました。そこには字が書けない理由や、うろうろ歩き回る心境などが混乱する思いとともに書かれていて、そのつたない文章の中に痛々しさが詰まっていました。中でもわたくしが一番心打たれたのは、洗濯物をうまくたためなくなってしまった既婚女性の文章です。
「こんなたたみ方じゃない」とわかっているのにちゃんとたためないもどかしさや、夫に「どうした、こんなに洗濯物を散らかして」と言われて、「もう、春?」と言ってしまい、そのとんちんかんな返事に気づいたのに言葉が出なかったことなどが綴られていて、とても切なくなりました。「何か違う」とわかるのだな~ということや、脈絡のない言葉が出るけれど、それもおかしいと気付づいていらっしゃるのだな~とお察しいたしました。
兄も自分がしていることにいちいち「何か違う」と思い、正しくできない度に深く傷ついているのかもしれません。
1日中テレビを観て、ときに笑っているけれど、その脳は傷だらけで流血している…そんなビジュアルを想像すれば兄はかなり痛々しく思えます。
そうです、ようやく「怠けている兄=痛々しい」にたどり着きました。今後、わたくしは兄に優しくなれるかもしれません。ハイ、見事ゲームクリア!
口角上げがちょっとだけ役立って「お先真っ暗」から少しだけ気持ちをそらすことができました。ほんの暇つぶし。でもわたくしには大事な暇つぶしでございました。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ