連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを往く~<41>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着。

 神聖なる大聖堂では、ジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合い、ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上。ついに念願を果たすのだった。

 翌日は、ペンブロークへ。ペンブローク城内巡りを堪能し、宿泊は「Old Kings Arms Hotel」。日本の俳優・笹野高史に似ているホテルの支配人から日本の戦艦についての質問などを受ける。

 ペンブロークからは、来た道を遡り、最初に宿泊した街カーディフへ再び到着。「カーディフシティホール」では、新著の資料として、置かれているウェールズ史の英雄11体の像を撮影し、カーディフ城の見学へ。偶然見つけたパブで、最高の黒ビールと料理にも出合い大満足。料理研究家の妻のへの土産としてリーキのバッジも購入でき、ウェールズでの最後の夜を迎えた。

前回(40回)の記事を読む

  * * *

XI 美女と共に去りぬ(1)

(2017/4/14 カーディフ→アムステルダム→成田)

●体重を落とそう

 私は人通りのほとんどない早朝の市内をスーツケースを転がしながら、カーディフ空港行のバスに乗るため歩いている。

 5日前、カーディフ空港から、ここカーディフ市内に来た時に降りた中央駅近くのバス停「カスタムハウス通り」で、6時20分発の「T9」バスに乗るのである。

 昨夜は眠れたのか眠れなかったのかよくわからなかった。というか、小刻みに起きたり、記憶がなかったりの繰り返しで、だからまあ寝たともいえるし、ほとんど寝れなかったともいえる。ただ、それはもうどうでもいい。今日はこれから日本に帰るのだし、飛行機の中で眠れるのだから。

 それにしても今回の旅は時差に徹底的にやられた。高血圧気味の私にはこういう状態は良くないに決まっている。

 実際、昨夜も胸に膨張感を覚えてそれが眠りに落ちるのを妨げていた感がある。やっぱり、今度から時差のあるところに行くときは医者から事前に安定剤か軽い睡眠剤を処方してもらおう。それと、体重を落とそう。5キロ落として72キロぐらいにしよう。それが一番の解決策かもしれない。

 あくまでも感覚だが、この旅で少し体重が落ちている気がする。帰ったらいの一番に体重計に乗ってチェックして、その勢いで減量を始めよう。最低限、夜9時過ぎたら飲まない、食べない。これを実行しよう。カミさんも巻き込んで一緒にやってみよう。いいテーマができたぞ。

●ちょっと未練

 それでも、なんだかんだ言って昼間はしっかり動き回れたし、見ようと計画していたところは全部見た。

 ひとつだけ、後悔はある。やっぱりジェラルドが生まれたマノービア城に行かなかったことだ。

 ペンブロークの「Old Kings Arms Hotel」をもっと早くチェックアウトして、「348」のバスで終点のマノービアに行って、そこからどれだけ歩くかはわからないがマノービア城に着いて、2時間ほど城を見学して、また「348」のバスでダイレクトにハーバーフォードウェストに戻って、電車に乗れば夜9時までにはカーディフのホテルに着くのは悠々可能だった。

 で、当初はそういう予定を組むつもりだった。でも、結局そうしなかった。なぜかというと、そうなるとこの極めて短期間のウェールズ行で、ペンブローク城、マノービア城、カーディフ城と3つの城を見ることになる。いくらそれぞれ訪れたハナは覚えていても、すぐに記憶が混乱するのは確実だ。数だけこなしてもしっかりと頭に刻まれなければしょうがない。

 未練を残した場所は、それはそれで次の旅の原動力となる。今度行くとしたらマノービア城はもちろん、これもジェラルドが幼少期に暮らしたテンビー城にも行ってみたい。

 テンビー城は半島の先にあって海に突き出たような城塞であり、ウェールズ南西部では人気抜群の観光地でもある。絶対戻ってくる。ティー・ヘリグのグレッグとエリンにまた会いたい。「Old Kings Arms Hotel」のササノさんにも。

●ビール工場発見

 色々な思いに駆られながらカスタムハウス通りのバス停に立っている私の前に、カーディフ空港行き「T9」バスはやってきた。

 乗り込んだのは、私のほかに若い女性がもう一人。たった2人の乗客を乗せてバスは時間通り6時20分に発車した。

 あいかわらずガタガタとすごい音がする室内である。「411」や「348」のバスもご存知の通り雑音と揺れは結構あった。でもそういったことは、この「T9」が一番すごいんじゃないかと実際、思う。

 バスを比べてみると、「411」と「348」は型が似ている。けれども「T9」は少し違う。どう違うかというと、「T9」のほうが何となく観光バスらしい感じがする。

 つまり、高級感があるのに「T9」のほうが乗り心地はワイルドなのだ。このあたりの、日本人的基準から外れているこの国のバスの、何というか、「あり方」がとても面白い。外見の良さ、即乗り心地の良さ、とはならないのである。

 カーディフ市街を抜けようとするバスの窓から1本の高い煙突が見えた。工場のような切妻(きりづま)の屋根も。あれは、と気づく。ビール工場だ。昨日感動した黒ビールのブレインズの看板が見える。工場がカーディフ市内にあったのだ。

 ブレインズ・ブラック。あの味は決して忘れない。日本でも必ず探す。きっとどこかに輸入代行している会社が、商社があるはずだ。日本での楽しみが1つ増えた。

 だんだん後ろに遠ざかっていくビール工場の煙突を見て、札幌を思い出す。私の大好きな札幌、年に数回行くがブレインズの工場があるカーディフのこの界隈は、サッポロビール園がある札幌駅北口付近に似ている。あくまでもバスの窓からの印象だが。

 乗客が2人だけだとバスが軽いのか、それとも早朝だから道がすいているせいか、とにかく飛んでいるかのようにバスは猛スピードで、ガタガタとものすごい音と振動を発しながら、わずか30分でカーディフ空港に着いた。まだ7時になっていない。

 バスを降り、スーツケースを転がしながら空港1階のKLMチェックインカウンターに向かう。私は昨日のうちにスマホでチェックインを済ませていたので、あとはこのカウンターでスーツケースを預けるだけだ。けれどもKLMのカウンターには誰もいない。

 私が乗る便は10時発スキポール空港行きKL1060便である。スキポールからは13時55分発のKL0861便に乗り継ぎ、15日(土)8時40分に成田に着くことになっているのだが、まだKLMのチェックインカウンターに人はいない。どうもカーディフ空港に早く着きすぎたようだ。

 あたりにいた空港の男性職員にKLMのカウンターはどうなっているのかと尋ねたら、親切にもKLMのスタッフ詰所まで聞きに行ってくれた。

 彼によれば、8時からオープンするという。1時間ぐらい潰すのはどうってことはない。ここは空港だから椅子はいっぱいある。椅子を三つ占領した私はきのうM&Sで買ったエビアンのキャップをあけ、1パック残しておいたブラウンブレッドの卵サンドイッチを朝食とする。

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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