西城秀樹さん“病に負けない心” 脳梗塞と多系統萎縮症に挑み続けた日々【第3回】
西城秀樹さん(享年63)は脳梗塞の後遺症と闘いながら、もうひとつの難病「多系統萎縮症」を抱えていた。
長年にわたって秀樹さんに伴走してきた妻の美紀さんに、シリーズ第3回は家族で取り組んだリハビリのエピソードを伺った。
→第2回:「妻が明かす西城秀樹さんが遺した宝物、子供たちの想い」を読む
繰り返し起こる脳梗塞との闘い
「秀樹さんは先天的に血管が細くもろい体質だったこともあり、小さな脳梗塞をたびたび起こしていました。先の見えない不安みたいなものは、いつもあったように思います」
美紀さんは小さく深呼吸してから秀樹さんがこれまで挑んできたリハビリについて、静かに語り始めた。
西城秀樹さんが初めて脳梗塞を発症したのは2003年――マスコミにはそう発表されていたが、実は最初の脳梗塞は、美紀さんが長女を妊娠していた2001年のことだった。
「最初の脳梗塞のときは大きな後遺症はありませんでした。2003年のとき、2回目の入院直後は『構音障害』といって、発音や発声がうまくできなかったのですが、退院後も奥歯で割り箸をかんだり、舌を鳴らしたりといったリハビリを続け、見事に克服していました。それから何度か小さな脳梗塞を繰り返していましたが、幸い、本人も自覚がないほど早期に発見できていたため大事には至りませんでした。しかし、2011年の暮れに起こした6度目の脳梗塞のあとに、足が動きにくくなってしまったんです。これは初めてのことだったので秀樹さんはとても困惑していました。私も切なかったですね」
お子さんたちも一緒になって、パパのリハビリを応援、支える日々が訪れたのもこの頃。そして、秀樹さんは、持ち前の根性でたゆまぬ努力を続け、2012年には、年間80本ものコンサートをこなしている。その年の8月に開催されたブラジル・サンパウロコンサートでは、40年ぶりに歌うデビュー曲『恋する季節』を披露し、会場は熱気に包まれた。
しかし、ステージで見せる熱唱の裏には、秀樹さんの壮絶な努力があったと美紀さんは語る。
「足が動きにくいとはいえ、秀樹さんは仕事のときは常にシャキッとしていて、本当にプロフェッショナルでした。トレーニングにも懸命に取り組み、仕事にはより一層熱を入れていたのですが、実は、体はじわじわということを聞かなくなっていました。言葉がうまく出てこなかったり、足元がふらついたりすることも増えていたんです」
秀樹さんを襲った「多系統萎縮症」とは
2014年の暮れ、秀樹さんにもうひとつの病魔が発覚する。脳の神経細胞が徐々に脱落してしまう「多系統萎縮症」という難病だった。
「多系統萎縮症」について、秀樹さんの主治医であった湘南慶育病院院長の鈴木則宏氏は、美紀さんの著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』で次のように語っている。
《多系統萎縮症の場合、体のバランスを司る小脳系や体の力を司る錐体路といった神経系統が侵されてしまいます。(中略)ふらつきが多くなり、ただでさえ歩きづらかったのがさらに困難になってしまったのも、これが原因だと考えられます》(著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』より)
そして、
《印象的だったのは、秀樹さんが病気に負けていなかったことです。何をしたらよくなるか、どんなトレーニングをしたらいいのか、毎回、熱心に質問される。(中略)そのがんばりの姿勢に私自身も刺激を受けました。同じく脳梗塞と戦う患者さんやご家族も、勇気をもらえるのではないでしょうか》(同、著書より)
と、ずっと前向きに病気と闘い続けた秀樹さんからのメッセージを伝えたいと、主治医として、秀樹さんの病状について明かした経緯が記されている。