兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【16回 住所が書けない】
若年性認知症を発症した兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさん。父、そして認知症の母の死後、兄の病気が発覚し…。それからの日々を振り返りながら2日の暮らしぶりを綴る連載エッセイ。
病気発覚後も勤め続けた会社だったが、このままというわけにもいかず、2人の住まいや今後の生活に頭を悩ますツガエさん。そんな折、兄の病状にも少し変化が起き…
明るく、時にシュールに、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
風雲急を告げる!?
兄妹ともに年金は雀のナミダ、退職金もないとわかったからには、なおさらマンションの買い替えは必須案件となりました。とにかく今住んでいる物件を売却して、ローンをキレイに返済し、且つ残ったお金で買えるマンションに住み替えなければ…と。
とはいえ、差し迫った事情もないので「ちょうどいいマンションが出てくるまでじっくり待とう」という気持ちでした。
平成29年の秋、フラッと立ちより、まんまと不動産屋の「鴨ネギ」になったわたくしですが、そもそも立地も間取りも金額も全部満点の物件など都合よく出てこないのです。ましてやいくらで売れるかわかりませんし、売れなければ買うお金がないし、先に売れてしまったら住むところが無くなるわけで、買い替えはなかなか難しいのだと知りました。
めぼしい進展がないまま、あっという間に1年が過ぎてしまった、そんなある日「こりゃ急がねば」と思った出来事がありました。なんと、兄は「住所が書けない人」になっていたのです!
それは前々から懸念していた兄の金銭問題から発覚しました。わたくしが「借金はまとめて返してカードを解約してほしい!」とお願いしたのに、兄が煮え切らずにだんまりを決め込んだので「しばらく様子を見よう」と匙を投げたあの問題です。
ついに信用金庫から督促状が来て、コツコツ返済していたはずのそれが滞納になったことを知りました。信用金庫に電話をし、認知症の事情を話し、兄を連れて全額返済と口座の解約に行きました。そのときです!
現住所や名前を書く段になって兄がフリーズしたのです。何度もペンを握り直し、キョロキョロと首を動かし、いつまでたっても書きそうで書かない。思わず「ありゃ?住所書けなくなっちゃった?そりゃまぁ大変だぁ」と軽い調子で言いましたが、わたくしの心中は穏やかではありませんでした。
窓口のお姉さんには事情を説明してあったので、気長に待ってくれましたけれども、住所が記された印刷物を見ながら、一角一角確かめるように書き写す兄の姿に「ここまで悪くなっていたか」と寂しい気持ちになりました。
何枚か書き直した末に、やっと金額まで書き終えたところで「数字の前に円マークを書いてください」とお姉さんに言われて、「はい」と言った兄が迷わず漢字で「円」と書いたのは衝撃でした。逆に「¥」しか思い浮かばなかったわたくしは「ははぁ~ん、こう書く手もあったか」と発想の柔軟性に新鮮な驚きを覚えたくらいです。
再び住所から書き直しになってしまい、「すみません」と恐縮するわたくしと兄に、お姉さんは「いえいえ、よくあることです。ゆっくりで大丈夫ですよ」とフォローしてくださいました。ほぼ貸し切り状態の信用金庫だったことを神様に感謝しつつ、「名前が書けるうちにマンションを売買しないと面倒なことになる」と思ったわけです。
本人が署名できない場合は、できないことの証明書類が必要になったりする世の中。なんでもかんでも書類書類でございますから。
こうして、兄の退職カウントダウンと並行するように、マンション買い替えのカウントダウンにもググッと拍車がかかったのでございます。
つづく…(次回は11月27日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現60才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
第1回 これからどこへ引っ越すの?
第2回 安室ちゃんは何歳なの?
第3回 この光景見たことある
第4回 疑惑から確信へ
第5回 今日は会社休み?
第6回 今年は何年ですか?
第7回 アパート借りっぱなし事件
第8回 アパートはゴミ屋敷
第9話 全部処分していい
第10回 で、どうすりゃいいの?
第11回「奥さん」じゃないんですけど…
第12回 たびたび起こる出社拒否
第13回 退職金が出ない!?
第14回 兄の焼肉病
15回 社長様のお説教