53才の夫は死に向かう妻とどう接したか、悲しみからどう立ち直っていくか シリーズ「大切な家族との日々」
家族を看取った人たちに語ってもらうシリーズ。前回(1本のFAXが、すぐ死ぬはずの妻を2年半救った)に続いて、胃がん肉腫で妻をなくした山城辰也さん(57)のインタビューをお届けする。山城さんは、妻の奈緒美さん(享年48)が、がん専門病院に手の施しようがないと言われたあと、病院を探して治療を受け、2年半の親子4人の時間を持つことができた。
* * *
介護をしていくと、それまで考えてもみなかった問題に次々と直面することになる。前回に続いて、山城さんは介護している人の参考になればと、以下の話をしてくれた。
1.介護はどのぐらい大変か
2.夫婦でがんにどう立ち向かったか
3.死に向かう相手とどう接するか
4.悲しみから立ち直っていくには
5.周囲とはどうつきあっていくか
6.やってあげればよかったということは
1.介護はどのぐらい大変か
「うちの場合は、家事などができなくなって3か月、最後に入院してからは18日で亡くなったのですが、介護する自分もその時点で、かなり限界でした。中学、高校の子どももいるけど、弁当なんか作ってあげる余裕はないから買って持って行けという感じでしたし。仕事も忙しくて取引先を待たせて怒られてもいました。
家族の介護で、病院にずっとついていたという人の話も聞きます。うらやましいですが、なかなかそうはできないですよ。昼間は仕事をしなきゃならない。3時ぐらいに病院に行って、夕食は子どもたちに勝手に食べさせて。面会時間の8時まで付き添って。本当は泊まって付き添ってもいいぐらいに容態が悪くなっていても付き添うことはできなかった。悪いけどまた明日来るからと言って帰る。
亡くなった日も、葬儀屋さんが病院から妻を運んできて自宅に布団を敷いて寝かせたあと、周りにすみませんって言って僕は仕事場に戻ったんですよ。その日にどうしても仕上げて渡さなければならない仕事があって。そんなふうで、精神的にもいっぱいいっぱいでした。
介護していて、いろいろミスもしましたね。頭がいっぱいで、子どもの食べ物を買って来たけど肝心の奥さんのを買ってくるのを忘れちゃったこともあります。しょうがないから家にあるものでおかゆを作ったりしました。
子どもたちに、節目ごとに説明はしましたが、具体的に何が起こっているかはわからなかったと思います。あとで、最後に面会に行った時も、まさか亡くなってしまうとは思わなかったと言っていました。正直なところ子どもに気を使ってあげる余裕はなかった。申し訳なかったけどノーケアで、それでも娘たちが一応普通に過ごしていてくれたのがありがたかったと思います。
妻がほんとに悪化したのは亡くなる3か月前ぐらいでした。それまでは自分で料理もできていたぐらいです。大変だったのは、12月1月2月。うちは、ある意味3か月で済んだからよかったけど、お子さんがいて長引くと、かなりしんどいと思います」(山城さん、以下「」同)
2.夫婦でがんにどう立ち向かったか
「家族によってみんな違うというのを知りました。初めに入院したがん専門病院で、大腸がんの女性が手術後、先生に2週間ぐらい入院したほうがいいと言われたのに、夫が来て『困るよなあ、2週間も俺の飯どうするんだよ』なんていうことを言っていてあきれました。夫が帰ったあと、奥さんが『先生、2週間入院しなきゃだめなんでしょうか。1週間で帰れませんか。うちの旦那なんにもできないもんですから』と言っているんですよ。
がん離婚というのがあるらしいですね。奥さんががんになると、お前は主婦の務めができないんだから離婚してくれと言う夫までいる。うちの夫婦はそういう意味ではいい方だったかなと思います。自分は介護するのが嫌じゃなかったですね。絶対に死なせたくないという気持ちがあったからできた気がします。
機能性食品の飲料がまずいから飲めない、そんなことを言わないで飲みなさいとちょっと言い合いをしたことがあるぐらいですね。健康な時にはいっぱい喧嘩しましたよ。お互い容赦しないし。でも病気になってからは自分も病人に対して怒らない。病気は共通の敵ですから、団結する気持ちが働くんですね。介護は、夫婦の真価が問われるということかもしれません」