53才の夫は死に向かう妻とどう接したか、悲しみからどう立ち直っていくか シリーズ「大切な家族との日々」
「ある程度はおいしいものを食べたり、行きたいところに行ったりできたと思います。うちは病院を探して手術したことで、最後に2年半の自由時間をもらえた。それはプレゼントのようなもので、本人も感謝してくれていました。
昔は、海外旅行はもうちょっと子どもが大きくなってからにしようとか、妻に我慢させてたんです。北海道に行きたくても、ゴールデンウィークや夏休みは高いからやめようって。病気になって手術のあとには、夏の一番高い時期にも行きました。そういうことはお金で買えないとわかったから。もっともっとかなえてあげればよかったと思いますね。
それから、もっとほめてあげればよかった。些細なことです。いつもおいしいご飯作ってくれてありがたいよとか。
自分は九州の出身なんで、向こうは亭主関白だっていうんです。自分ではそんなこともない、わりと気を使っているほうだと思うんですけども。ただ、ほめない。逆に『お前だめやなあ』『またこんなことして』とどちらかというとけなしてしまうんです。今は、もっと妻をほめてあげればよかったなと思いますね」
「悲しみが薄れたというのではない」
奈緒美さんが亡くなって3年。二人のお嬢さんは21才と17才になっている。山城さんは、取材した喫茶店で時には少し照れ笑いしながら、奈緒美さんとの思い出を昨日のことのように話してくれた。奈緒美さんのことを語る時、山城さんはいつも過去形ではなく現在形だった。
後日、山城さんからメールをいただいた。最近では涙を流すことがほとんどなくなっていたのに、あの取材の時は久しぶりに不覚にも涙が出そうになって困った、年月がたって悲しみが薄れたというのではない、コントロールするのが上手になって過ごしているのだろうと書かれていた。
取材・文/新田由紀子
●1本のFAXが、すぐ死ぬはずの妻を2年半救った シリーズ「大切な家族との日々