「犬すて山」から救われ活躍 老人ホームの癒し犬、まるこの物語
『ベベンベン
ベベンベンベン
ベベンベン
犬はどこから来た。
犬はどこへいった。』
講談師の語り口調で始まるのは、お年寄りに寄り添う犬の物語。その犬の名は、まるこ。雑種、メス、推定12才。
山梨県の山奥に400頭以上もの犬が捨てられた“犬すて山”で生まれながら、殺処分寸前で幸運にも動物愛護活動家のブルーノ・マルコ氏に救われて、兵庫県伊丹市の日本レスキュー協会で訓練を受け、セラピードッグになった。
そして今は、同県・但馬にある老人ホーム「たじま荘」で、お年寄りやその家族、職員…たくさんの人に愛され、みんなを元気にする「癒し犬」として活躍している。長きにわたってお年寄りを癒す存在として、2016年には兵庫県動物愛護協会から「功労動物」にも表彰された。
そんなまるこの物語を綴った児童書『いやし犬 まるこ お年よりによりそう犬の物語』(岩崎書店)は、10月の刊行以来、新聞各紙にも多く取り上げられ話題となっている。
まるこが来て、たじま荘の老人たちはどう変わっていったのだろうか? 著者の輔老心さんは、こう語る。
「施設には気分が落ち込んでいる人もいるし、さまざまな個性の方がいますが、中でも、まるこは施設で怒りん坊できかん坊として有名だったおじいさんを笑顔にしたんです。まさかそのむっつりの頑固者の方が犬に目がないおじいさんだとは、誰も知らなかったんですね。初めて笑うのを見たと、みなさん驚いたそうです。
“犬は心の段差を埋める”と日本レスキュー協会のドッグトレーナーが言っていました。人と人とのコミュニケーションは、立場を考えたり、気を遣ったり、さまざまな差がある上で始まると思いますが、犬は恐る恐るでもなく、気を遣うでもなく、屈託なく来るのでそれはすごくうれしいと思う。犬がとつぜんトトトと歩いてきて膝の上に乗ったら、“わ~!”と心が動くと思うんです。それが“一瞬で段差を無くす”っていうことなんだなと。そうやって楽しんだり、ドキドキしたり、来られすぎてもしんどいし、構いたくない人は構わなくてもいい。いい距離感で住んでいるからまるこは長生きしているし、トラブルもなく、人間側もわんこもいい感じなんだと思いました。
災害時には救助後の仮設住宅にセラピードッグを派遣しますが、人同士だと慰め合いながら落ち込んでいってしまうそうです。そこに“フラット”な犬が1匹入るだけで、“フラット”に人の気持ちがつられるというか、落ち込みが軽減されたり、楽になって癒される。これはアニマルセラピーといって学術的に裏付けされています」
セラピードッグは、全ての犬が訓練したらなれるものではなく適性がある。まず「吠えない・噛まない・うならない」の3つを全て備えていること。さらに、餌をあげたときに手のひらや指先に犬の歯が当たらない、知らない人が来たときや突然大きな音がしたときに怯えたり騒いだりしない──などの条件をクリアしなければならない。
日本レスキュー協会へやって来た300頭のうち、合格したのは30頭というから狭き門だ。実は、柴犬や秋田犬など忠犬度が高い日本の犬種より、人なつこい外国の犬種がセラピードッグ向きだという。
まるこの素質は…
「癒し犬」として活躍するまるこには、どんな素質があったのだろうか。愛嬌たっぷりなのかと思いきや、「まるこさんは愛想なしなんです(笑い)」と輔老さん。
「まるこは、拍子抜けするほど、ふつうの犬です。特別なパワーを出したり、芸をしたりするわけではない。ただのんびりと寝そべっている白い犬です。でも、いろいろと難儀なことがあっても、犬がトコトコ来たら“あら、まるこちゃ~ん。どうしたの、おなかすいたの?”って一瞬気が晴れたり、眉間のシワが消える。気持ちの定位置に戻ることができる。すると、人は“いま、自分らしい”と思うことができて、自信を取り戻すんだなあということがわかりました。
いろいろな癒し方をする犬がいて、まるこはエネルギーを発するというより、エネルギーを引き出す犬だと思いました。老人たちのしばらく使ってなかったエネルギーを引き出したり、“「好きや」って気持ちこれやん。忘れてた”と恋心のような気持ちを思い出させたり、“●●さんにはよくなついている。うらやましいな”と嫉妬の気持ちが生まれたり。心の動きが活発になるのは間違いないので、認知症にもすごく効果的だと思います」(輔老さん、以下「」内同)
みんなの役に立っているまるこ
まるこはただいるだけで、介護する人、される人、預ける家族、みんなの役に立っていると輔老さんはいう。
「まるこにおやつをあげることを楽しみにしている人がいる。歩けないけれども、まるこが散歩に出かける姿を窓から眺めるのを毎日楽しみにしている人がいる。犬ともっと上手にコミュニケーションを取りたい、と欲が出る。まるこがたまに部屋を巡回すると、みなさん写真を撮ったり、アイドルが自分の町に来たかのような楽しみようでした。“あしたもまるこに会おう、遊ぼう”という楽しみ=生き甲斐ができる。生き物とふれあうことで、お年寄りの方たちは生命力を蘇らせるように思います。
職員にとっても、介護の仕事は激務ですが、仕事の最中にまるこがぼんやり寝そべっている姿やトコトコと歩いている姿が目に入って息抜きになっているそうです。“内緒で仕事の愚痴を話しかけることがある”という声もありました。面会に来る家族と居住者が犬の話題で会話ができたり、まるこはご家族にとっても楽しみな動機になっていました」
犬がセラピーに役立つ理由
アニマルセラピーは、医者が治療と評価をする場合は日本語で『動物介在療法』と言い、治療や評価がない場合は『動物介在活動』という。日本認知症ケア学会誌の論文によると、動物介在療法によって、社会性が低下している精神科の入院患者に挨拶やキャッチボール、お水やり、ブラッシングなど定期的に犬と接点をもたせることで、「意欲・活動性」「覚醒度」「夜間の睡眠障害」「表情・感情表出」で顕著な上昇が認められている。また、不安や焦燥感の減少、集中力や会話能力、意欲活動性の向上、覚醒などが学術的に証明されている。
介護ジャーナリストで社会福祉士の殿井悠子さんもこう語る。
「セラピーが盛んで先進的な欧米に比べて、科学的な観点でジャッジしがちな日本では、認められにくい文化があり遅れをとっていますが、さまざまな効果は明らかになっています。いちばんは、犬は否定しないのでコミュニケーションのストレスがないことですね。いま、メンタルコミットロボットが注目されていて、たとえばアザラシ型ロボット『パロ』は癒しと言われていますが、犬は生き物なので温もりがあります。“いつも介護してもらってばかり”と気持ちが萎縮してしまうような環境で、何かしてあげたくなる、子育ての感覚が思い起こされるような、ポジティブな気持ちが生まれたりも。
単純に毎日の楽しみが増える面もあって、犬が会いに来てくれたその日は、頑固な人に笑顔が増えるとか、寝てばかりで部屋で過ごしがちの人が犬に会うために起き上がるなどは実際によく聞く話です。
2015年には、犬と触れ合うことで、ストレスを軽減する幸せホルモンといわれる『オキシトシン』が分泌されるという筑波大学の研究論文が、米『サイエンス』誌に掲載されて話題になりました。今後、日本でも欧米のように、アニマルセラピーを癒しだけでなく本格的に治療にも取り入れられていったらいいと思いますし、セラピー効果があることを知って、セラピードッグに取り組む施設が増えたらいいですね」
命を救われた犬が人の命を救って…
本の最後に、まるこはいちばん好きだったコデラさんの命を救ったエピソードが登場する。雪の日の散歩中、凍った道で滑って頭から地面に落ち、気を失ったコデラさんをまるこが起こして助けたのだ。
「まるこは、”犬すて山”で生まれて殺処分になる可能性があったけれど、巡り巡って、コデラさんの命を救ったその因果の不思議さ。運命は“命が運ばれる”と書くけど、どんな命にも役割があるということだと思う。スタートは最悪でも、“犬すて山”でまるこは救われて、すごく幸せな犬生を送ることになりました。
“癒し”とは、“肩の力を抜くこと”と“心開くこと”ではないかと思いますが、このふたつは自然にできればいいけれど、ロックがかかったみたいになって、自分のことながらうまくできないことがある。そのロックを犬が解除してくれることがあるんです。まるこは会いに行ける“癒し犬”です。会ってまるこを感じてほしいですね」(輔老さん)
たじま荘では、毎週木曜日に「まるこカフェ」が開設されるので、ぜひ“看板娘”に会いに行ってみてほしい。
撮影/前川政明
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