元グラビアアイドルの介護福祉士・村上友梨さんがすっぴんで語る「介護は天職」
26歳で国家資格の介護福祉士に合格した元グラビアアイドルがいると聞きつけ、早速そのお仕事ぶりを見せていただきにいってきた。都内某所のグループホームで働く村上友梨さん。
「介護は天職です」と屈託なく笑う。その笑顔がおじいちゃん、おばあちゃんの心を溶かす。
認知症だった祖母の存在がきっかけ
文字通り輝いていた。仕事場にほぼすっぴんで現れた村上友梨さんを見たとき、そう思った。本人はどう感じているのかわからないが、そこにいることそのものに喜びを感じているという印象だった。
「毎日、何かしら笑うんです。そんな仕事場ってほかにないと思います」
と村上さんは言う。
現在のグループホームで働き始めて4年になる村上さんだが、そもそものきっかけは「母方のおばあちゃんの存在なんですよね」とのこと。
7年前に亡くなった村上さんの祖母は、晩年認知症を患っていた。
「母とその妹、つまり私の叔母が中心になってお世話をしていました。デイサービスとショートステイも利用していたんですけど、ある日、デイサービスのお風呂介助のときに転倒して、足を骨折してしまったんです」(村上さん、以下「」同)
そこから寝たきりとなり、認知症も急速に進行することになった。
「寝たきりになってしまったことが原因で頭に血がたまる症状が出てしまい。数か月後に病院で息を引き取ったんです。誰を責めるわけでもないのですが、そのときに『介護現場で仕事をすること』の重要性について考えるようになりました」
人生に悩んだときに介護の世界へ
16歳からグラビアアイドルとして活躍していた村上さんは、22歳になったころ、思い切って介護の現場に飛び込んだ。
「グラビアの仕事もけっこう順調だったのですが、でもこのままで生きていくのは無理だなって、今後どうすべきだろうって。人生のことで悩んだ時期があったんです」
このときに祖母のこと、そして中学生のころに行った職場体験学習のことを思い出したのだという。
「中学生のときの職場体験でも、私は介護の仕事を選んでました。子供のころから『誰かに何かをしてあげたい』『誰かの力になりたい』という思いが強かったんですよね」
始めて面接に行ったのが今でも仕事を続けている都内某所にあるグループホームだ。今では多いときで週に5日のシフトをこなしている。
「すぐに『天職だな』って感じました。ありがとうって言われると単純に嬉しいし、『いろんなことさせて悪いね』なんて言われることもあるんですけど、『大丈夫ですよ、そんなこと言わないでください』って、そういうやり取りって、私自身も癒やされるんです。だから介護の仕事って私自身のためでもあるんです」
グループホームとは、認知症の高齢者がなるべく家庭に近い環境で介護や支援を受けることができるように設計された施設だ。ワンユニット9人までの比較的小さな所帯で、食事や洗濯など、日常のあれこれを入居者も手伝いながら暮らす。
職員と入居者の距離が近く、アットホームな雰囲気の施設が多い。
村上さんは入居者全員の名前はもちろん、癖や食事の好み、家族構成まで事細かに知り尽くしている。
女性入居者のAさんは、7人姉弟だ。自分の姉弟の名前を上から順に節を付けて歌う。
「でもね、時々忘れちゃうんですよ。そんなときは一緒に歌って、次は◯◯さんですよって教えてあげるんです」
──7人姉弟の名前全部、よく覚えられましたね。
関心して言うと、「全然、普通ですよ。毎日聞いてたらすぐに覚えちゃいます」笑ってそう答えた。なるほど天職だ。
働き始めてすぐに、グラビアアイドルの活動と平行しながら、介護職員初任者研修を取得したという。
「やるからには本気にならないと失礼だし、そのために目標を立てようと思っていたんです」
「心臓が痛くなるほど」勉強して国家資格に合格
介護職員の資格を簡単に整理すると、全ての基礎となるのが『介護職員初任者研修(旧・介護ヘルパー2級)』だ。合計130時間の講習を受けて、筆記試験に合格すれば取得することができる。
さらに高度な資格が450時間の講習が義務付けられた『実務者研修』だ。
これら基礎となる資格を取得することにくわえ、現場で3年以上の実務を経験した者が、国家資格である『介護福祉士』を受験することができる。
「私って本当にバカなんですよ。去年、自動車の普通免許受けたんですけど、最後の筆記試験で不合格でしたからね。なめてかかって勉強しなかったってことじゃないんですよ。すんごく勉強して臨んだのに、不合格だったんです。すごいでしょ(笑い)」
だから、介護福祉士の試験では本人曰く「心臓が痛くなるほど」勉強したのだそう。
「だから2018年にいっぱいでグラビアアイドルは卒業して、介護福祉士の勉強に集中することにしたんです」
その甲斐あって、村上さんは今年3月、介護福祉士の狭き門をくぐり抜けることができた。
自分だけのテクニックも身に付いてきた
「介護福祉士になったことで、日々の仕事に大きな変化が起こるわけじゃないんですけど、やっぱり自信がつきました」
村上さんは、利用者をベッドから車椅子に移乗させる作業を苦もなくやりながらそう話してくれた。実に見事な仕事ぶりだ。
起き上がり移乗、着替えの手伝いなどは、人の身体の構造から理論的に組み立てられた『ボディメカニクス(body mechanics)』の知識が役に立つ。
日々の介護の仕事で、こうした知識を用いるのはもちろんだが、「やっているうちに自分だけのテクニックも生まれてきます」のだそう。
そのいくつかを教えてもらった。
介護の仕事は多岐にわたるが、身体の清潔を保つことはその基本だ。人によっては清拭(せいしき)を嫌がったり、お風呂に入りたがらないことがあったりする。
「そんな場合、私がよくやるのは『◯◯さんのために愛情を込めてお風呂を沸かしました』って本気で言うんです。そうすると女性でも男性でも『それじゃ入ろうかな』って、意外とすんなりお願いを聞いてくれたりします」
認知症やその他の様々な病気で、言葉を交わせない場合もある。そんなときでも、コミュニケーションのスキルは欠かせない。
「私はとにかく利用者さんの表情に注意しています。認知症が進んで言葉が出なくなった人でも、例えば身体を拭く清拭のときに、表情を見ていたら『あ、ここは痛いんだな』とか『ここに温かいタオルを当てると気持ちいいんだな』とかがわかるんです。お風呂に入れない人に、足浴を進めるときでも、まずはつま先を少しだけお湯に浸けて表情を見ます。人によって熱さ好みが違うので、少し熱かったりすると目がパチっとなったりするので、そうしたことがないように気を付けながらやります」
どんな介護や支援にしろ、日頃どれだけ相手のことを見ているか、どれだけ知ろうとしているかが重要なポイントと言えそうだ。
今後は芸能活動と介護福祉士の二足のわらじを履くことになる。将来を見据えて、どんな展望を抱いているのだろうか。
「介護の世界を知らない人たちに向けて、この業界のことを発信できる人になっていきたいと思っています。介護業界は『キツイ』『キタナイ』『キケン』『給料安い』の4Kだ。という人もいます。そういったイメージから敬遠している人とかも多いと思うんです。でもそんなことはないんですよ。やってみたら本当に楽しい仕事なんです。ハマる人は絶対にハマる。そういったことを現場から発信していければと思っています」
撮影・取材・文/末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動するライター。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都板橋区にあるグループホームにて月に2回のボランティア活動を行っている。