認知症グループホームで「それは違う!」と言えなかった利用者の言葉 現役職員の複雑な胸中「やさしさって何?」
都内の認知症グループで働く作家の畑江ちかこさん。利用者が安心して眠りにつけるように介護職員は「就寝介助」を行うのだが、夜間はいつにもまして忙しくなるという。ある日の就寝介助の時間帯、利用者にかけられた言葉に心がざわついて――。
執筆者/作家・畑江ちか子さん
1990年生まれ。大好きだった祖父が認知症を患いグループホームに入所、看取りまでお世話になった経験から介護業界に興味を抱き、転職。介護職員として働きながら書きためたエピソードが編集者の目にとまり、書籍『気がつけば認知症介護の沼にいた もしくは推し活ヲトメの極私的物語』(古書みつけ)を出版。趣味は乙女ゲーム。
※記事中の人物は仮名。実例を元に一部設定を変更しています。
「就寝介助」はいつもバタバタ
「介護の仕事って、どうしてこんなに多くの仕事を少人数でやらなければいけないんだろう」
そう考えることがよくあります。
現場にも色々と事情があるので、一概に「人さえ多くいればもっと楽になる」と言い切ることはできませんが、とはいえ「せめて今ここにもう1人職員がいたら!」という状況はしょっちゅうあります。
私が働くグループホームでは、基本的に夜勤職員が1人で利用者9名の就寝介助を行ないます。
就寝介助というのは文字の通り、寝支度のお手伝いのことです。1人でパジャマに着替えるのが難しい人、ベッドに横になるのが難しい人をお手伝いします。保湿クリームや薬を塗ってあげたり、ときには寝酒を用意してあげたりすることもあります。
就寝介助は夕食後の服薬介助と口腔ケアを終えたあたりから徐々にスタートします。時間でいえば、18時45分ごろから。
そんなに早く寝るの? とびっくりされたかたもいらっしゃるかと思いますが、就寝介助を終えた利用者全員がそのまま眠ってしまわれるわけではありません。
部屋でテレビを見ていたり、編み物をされていたりと、寝る前の時間は思い思いに過ごしていただきます。もちろん、元々が早寝のかたで、介助を終えた途端に眠ってしまわれることもあります。ちなみにこうした早寝のかたは、朝も4時とか5時に起きてこられる印象です。
この「いつでも寝られる状態」になるためのお手伝いが、結構バタつくのです。
小林ハルコさん(85才)にかけられた言葉
ある日、日勤の業務を終えた私は、定時である19時にタイムカードを切り、退勤しました。帰る前に夜勤職員に挨拶をしようとすると、リビングに職員の姿はありませんでした。おそらく、居室に入って利用者にパジャマを着せているのだろうと思いました。
「お姉さん!」
そのとき、私を呼ぶ声が聞こえました。リビングのソファに座ってテレビを見ていた、小林ハルコさんでした。
小林さんは85才。移動は車椅子を使用していますが、車椅子に座りっぱなしだとお尻や腰が痛くなってしまうため、移動以外の時間は椅子やソファに座っていただいています。物静かで引っ込み思案な性格のかたで、自分から雑談や世間話を振ってこられることはほとんどありません。つまり、職員に声をかけるときは大抵なにか用事や頼み事があるときです。
「小林さん、どうされましたか?」
私は反射的に返事をしました。すると小林さんは「ここに湿布を貼って欲しいのよ、痛くて痛くて…」と、ご自身の腰を示しながら顔を歪めました。
業務時間外だけど…
もうユニフォームから私服に着替えてしまっていましたが、私は薬箱がしまってある場所まで行き、湿布薬を取り出して、小林さんの腰に貼りました。
私は手先が器用ではないので、湿布を貼るのは正直苦手です。皺にならないように、しっかりと貼りつくように…と集中していると、
「お姉さんはやさしいわね」と声がしました。
「そうですか?」
私が返事をすると、廊下の奥からセンサーの音が聞こえました。数秒もしないうちに、夜勤職員がセンサーの受信機を操作しながら居室から飛び出してきて、別の利用者の居室へ入っていきました。
それからすぐに「トイレですね、一緒に行きましょう」と話し声がして、職員はフラフラと歩行が危なっかしい利用者の手を引いてトイレへ入っていきました。このかたは頻尿なので、ベッドに入る前にトイレへお連れしたとしても、またすぐにトイレへ行きたいとおっしゃるのです。
「あの人は私のことなんてほったらかしだもの。だからお姉さんはやさしいの」
小林さんは、心底嬉しそうな顔で笑っていました。けれど、私の胸の中は複雑でした。
「小林さん、私にやさしいって言ってくれてありがとう。すごーく嬉しいです。でもね、あの職員さんも、とてもやさしい人なんですよ」
私は視線で夜勤職員を示しながら答えました。
「だって、私のことなんて見えていないみたいじゃない、あの人は」
私のことなんて見えないない――そういうわけじゃないんです、と言いそうになりましたが、私は言葉を飲み込みました。
職員の頭の中
夜間の就寝介助に限らず、職員の頭の中には段取りが存在します。
誰をどの順番で介助していくか…それは大抵、利用者個々の身体的・精神的状態と、その後に控えているスケジュールで決めます。しかしそれは職員の都合で組み上げた段取りであり、必ずしも利用者個々の要望や訴えに沿ったものではありません。
たとえば、こちらのほうが介助に時間がかかるから、先にトイレへお連れしよう、と職員が考えている傍ら、先にトイレへ行きたいと思っている介助度の低い利用者もいるかもしれません。
特に職員が1人で利用者9名を見守らなければならない夜間帯においては、こうした状況にならざるを得ないのが現実です。
当たり前ですが、それは利用者の事をどうでもいいと思っているわけでも、ほったらかしにしていいいと思っているわけでもないのです。単に、限られた人員でやらなければいけないため、必然的に順番が発生してしまう、という話なのです。
介護業界の人手不足、労働環境などがニュースで取り上げられることも多い昨今、ご家族様はこのあたりの事情にご理解を示してくださるかたも多いです。けれど、利用者の立場になってみると、また違ったように受け取ってしまうこともあるでしょう。
そもそも、そんな事情とは別に、利用者の人生は進んでいきますし、生活するうえで様々な欲求や希望が生じてくるのは当たり前のことです。
疲れたから今すぐ横になりたい、トイレに行きたい、ご飯が食べたい、出かけたい、誰かに会いたい…。
私たちも、日々の生活でそうした欲求や思いを自然と抱き、様々な選択と決定をしながら生きています。私たちの仕事は、利用者がしたその選択や決定をサポートすることです。
前述の夜勤職員も、膝に湿布を貼ってほしかった小林さんのもとへ、できることならすぐに駆けつけたかったと思います。それはもちろん仕事として、ということもありますが、私が働く施設の職員は、いつも利用者のことを考えている優しい職員がほとんどです。だからこそ、順番や優先順位が発生している面もあります。
しかし、小林さんの気持ちや理屈で考えてみると、やさしくない職員になってしまう。せめてここに、業務時間内の職員がもう1人いたら。手分けして、皆さんの介助に入ることができたらと、歯がゆくなります。
夜勤職員の額には…
「小林さん、お待たせしちゃってすみません、そろそろお部屋に行きますか?」
他の利用者の介助を終えた夜勤職員が、速足でこちらへ向かってきます。その額には汗がにじんでいました。
「ね、小林さん。見えていないわけじゃなかったですよ」
小林さんは私のほうを見て小さく頷いたあと、夜勤職員に介助されながら車椅子へ移りました。
「畑江さん、すみません! 業務時間過ぎているのにやってもらっちゃって…」
夜勤職員がそう言ってくれたのに対し、私は「いえいえ、私だっていつもフォローしてもらっているので」と答えました。
そうです、かくいう私だって、業務時間を過ぎた職員にフォローをしてもらうことがあるのです。時間を過ぎても業務にあたるのが良いことだとは決して思いませんが、これが「私が働く施設の職員は、いつも利用者のことを考えているやさしい職員がほとんど」と言い切れる理由です。
「じゃあ、あとはよろしくお願いします。小林さん、おやすみなさい」
私は職員と小林さんに手を振って、施設を出ました。
業務時間を過ぎてまでフォローをしてしまう、少ない人員でもなんとかしてしまう。だからこそ、いつまで経っても現場の人手不足が変わらないのかもしれません。けれど、あの場で小林さんのお願いを断れる職員っているのかな? そんなことを考えた帰り道でした。

畑江のつぶやき
忙しい介護現場でふと思う、介護職員の「やさしさ」ってなんだろう?
イラスト/たばやん。