認知症グループホームで転倒した利用者の家族が激昂!現場が凍りついた会話の一部始終「上司にかけられた言葉」
認知症グループホームで働く作家で介護職員の畑江ちか子さんは、新人時代、転んでしまった利用者の家族から「どうして転ばせるんですか!」と怒鳴られた経験がある。怒った家族がホームにやってきて――。当時を振り返り、転倒事故の顛末やその後の対策について考察。
執筆者/作家・畑江ちか子さん
1990年生まれ。大好きだった祖父が認知症を患いグループホームに入所、看取りまでお世話になった経験から介護業界に興味を抱き、転職。介護職員として働きながら書きためたエピソードが編集者の目にとまり、書籍『気がつけば認知症介護の沼にいた もしくは推し活ヲトメの極私的物語』(古書みつけ)を出版。趣味は乙女ゲーム。
※記事中の人物は仮名。実例を元に一部設を変更しています。
<前編を読む>認知症グループホームで働く職員が転倒した利用者の家族から怒鳴られた言葉「胸がぎゅっとなった」新人時代の経験と戸惑い
どうして転ばせるんですか?
家だと危ないから施設に預けているのに、どうして転ばせるんですか! どうしてずっと見ていてくれなかったんですか!
――「どうして」という言葉が、私の頭の中をグルグルしていました。
「経緯を改めてご説明させていただきたいのですが…」
管理者が私の前へ出て、背中で「早く休憩に入れ」と言いました。
「あんた何言ってんの? 私にずっと付きっきりになるなんて、無理に決まってるじゃない」
そのとき、ピリッとした声がフロアに響きました。安本さんが娘さんに放った言葉でした。
「ここの人たちはね、昼間は1人か2人でみんなのことを見てるんだよ。私なんかより助けが必要な人もいっぱいいるの。もうちょっと考えてしゃべりなさいよ!」
今度は別の意味で心臓が凍る思いでした。娘さんの眉が、みるみるうちに吊り上がっていきます。
「お母さんが家ですっ転んでばっかで気が気じゃないから、安全な所で見てもらおうって話になったんでしょうが!」
「だから!! 安全な場所なんてこの世にはないんだよ!! ここの人らは忙しいんだから、困らせるようなこと言うんじゃないよ!!」
「困らせるって…!」
「いい? 私はね、小さな子供じゃないんだよ。転んだくらいで人様に怒るなんて、みっともないからやめてくれよ!」
フロアがしーんと静まり返りました。CDプレイヤーから流れてくる演歌が遠ざかっていくようでした。
私たちは、安本さんが大きな声を出すところを初めて見ました。
その後、安本さんはやや気まずそうに娘さんから視線を外し、テレビの方を向きました。以降、娘さんを見ることはありませんでした。
休憩中に考えたこと
「畑江さん、ご飯食べないと午後もたないよ」
管理者から静かに言われ、私は休憩に入りました。
――小さな子供じゃない、か。事務所でカップ麺をすすりながら、私は安本さんの言葉を反芻しました。
当時、新人だった私は、とにかく利用者が転倒しないよう介入していくのに必死でした。しかしそれゆえ、トイレや居室まで歩くのに、いちいち人に付き添われる利用者の気持ちなど考えたことがなかったのです。私も年老いて、介護される立場になったとき、初めて本当の意味で安本さんの気持ちがわかるのかもしれないと思いました。
「じゃあ、すみませんがよろしくお願いします」
休憩を終え事務所を出ようとしたとき、安本さんの娘さんがフロアを出て行く声が聞こえました。
「なんとかわかってもらえたよ」。ふうー、と大きな息を吐いて管理者が笑いました。
彼女の話によると、どうやら安本さんの娘さんは、施設では職員がマンツーマンで付いてくれるものだと思っていたとのこと。契約時に事故のリスクなどは説明済みだったそうですが、具体的な施設生活については、娘さんの想像と大きな乖離があったようでした。
「施設に入れば安全」と考える人は多い
このエピソードから数年経った今でも、「施設に入れれば安全」と思っていらっしゃるご家族様は少なくないように思えます。実際、面会にいらっしゃったときなどに「職員さんの数ってこんなに少ないんですか?」というお言葉を頂戴することもあります。
恐らくそれは、グループホームは他の形態の施設と比べて人員配置が手厚い、という言葉が独り歩きしてしまった結果のように思えます。
夜間や日中によって必要な人員が違うなど、説明がややこしい部分もあるため、介護業界に携わっていない人にとっては、なかなかご理解をいただくのが難しいでしょう。加えて、他の利用者の状態や、それに伴い介助に優先順位が発生することまでご想像いただくのは、ほぼ不可能に近いと思います。
だからこそ、不明・疑問な点はどんどん質問して欲しいのです。そして、頻繁に面会にいらっしゃることができないご家族様に対しては特に、施設側から近況報告の連絡を入れ、コミュニケーションを取ることが大切なのだと思います。
「安本さん」
私が声をかけると、彼女は「ん?」とこちらを見上げました。
「転んだところ、大丈夫ですか?」
もしかすると、安本さんにとっては聞かれたくないことだったかもしれませんが、転倒後の経過には注意しなければならないため、私は小さな声で伺いました。
「全然、あんなのなんでもないよ」
見たところ、表情や顔色に変化はありませんでしたが、あざや腫れなどが出現していないか、後でまた確認しなければなりません。
「さっきは悪かったね、娘が」
安本さんはテレビに視線をやりながら言いました。
「家で転んだときもギャーギャー騒いでさ、うるさいったらなかったよ、まったく…放っといてくれりゃいいのにさ」
転んでいる母を発見して、驚きと焦りに襲われている娘さん――そして、心配をかけてしまい、いたたまれなくなっている母、安本さん。そんな2人の光景が、私の脳裏を駆け巡りました。
「多分私も、安本さんの立場だったら同じように思うかもしれないです」
「でしょ?」
「けど、安本さんに痛い思いしてほしくないっていう気持ちもありますよ」
「ん~」と、唸るように言って、安本さんは再びテレビに視線をやりました。
この声かけが正しかったのかどうかわかりませんが、おそらく今の私でも、同じことしか言えないでしょう。
上司からかけられた言葉
「怒った安本さんめちゃくちゃ怖かったね」
緊張がほどけない私の顔を見て、管理者がそんなふうに笑いかけてくれました。
「ですね、ちょっとビビッちゃいました…」
「畑江さん、もしかしてビビり? この仕事してたらもっと怖いことたくさんあるからね、度胸つけな度胸!」
バシンッ!と背中を叩かれ、ぐほっ、となると同時に「もっと怖いことって何だろう」と考えました。そして今、この頃よりもかなり度胸がついた私が、現場にいます。
イラスト/たばやん。
