北原佐和子さん密着!女優だからこその介護術(前編)シリーズ「私と介護」
別の業界で活躍しつつ、介護の世界でも力を発揮する人がいる。女優と介護、二足のわらじを履く北原佐和子さんにご登場いただいた。
2007年にホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)を取得し女優業のかたわら、北原さんは介護の現場で働くようになった。14年に介護福祉士、その2年後にはケアマネジャーの資格も取得し、現在も女優を続けながら、介護の現場で活躍している。そんな北原さんの今に密着した。
アイドル時代のヒット曲や当時の社会情勢を披露
現在、北原さんは月に2回ほど、各地の高齢者施設でレクリエーションイベントを行っている。そのひとつ、神奈川県の川崎市麻生区にあるサービス付き高齢者向け住宅『ココファン柿生』にお邪魔した。4階建てで総戸数50。2018年8月にオープンした新しい物件だ。
北原さんのイベントは午後2時に始まる。
予定の時刻が近づくと、入居者のほぼ全員がフロアに集まった。歩行補助器を押す方や、車椅子利用者の姿もある。要介護度は様々だが、皆さん北原さんのことを心待ちにしているのがわかる。
会場には32型の液晶モニターとマイクが用意され、あとはご本人の登場を待つばかりだ。
開始の時刻になると事業所長がマイクを持ち、スペシャルゲストである北原さんを呼び込んだ。拍手に迎えられた北原さんは、1982年のソロデビュー曲『マイボーイフレンド』を、まずは披露した。
高校在学中に芸能界デビューを果たし、アイドルユニット『パンジー』のひとりとして活動したのち、この曲をヒットさせた。集まった入居者の皆さんも、手拍子しながら耳を傾けた。
ワンフレーズを歌い上げた北原さんは、モニターにアイドル時代のご自身の写真を映し出し、改めて自己紹介をする。名前や経歴を語るだけではない、過去を想起しやすいように、デビュー当時の社会情勢やエピソードなどを交えながら語る。それが終わると、クイズ形式のレクリエーションへとつながる。間を開けず、観客を退屈させない見事な展開だ。
自分自身を題材に回想法を取り入れたクイズで進行
クイズの題材は北原さんご自身である。売れっ子アイドルから女優に転身し、多くの映画やテレビドラマに出演してきたその歴史を紹介しながら、クイズレクが進行する。
「さて、この方、誰だかわかりますか?」
モニターには天下の副将軍、水戸光圀を演じた俳優の写真が映し出される。すぐに、客席から自信満々の声が上がった。
──東野英治郎。
「惜しいッ、東野さんは初代黄門様です。私が出演したのは2代目黄門様、さぁ誰だったか思い出してください」
昭和から平成、そして令和になった現在も、新シリーズが製作されている『水戸黄門(TBS系列)』は国民的テレビドラマといえる。誰もが一度ならず、目にしたことがあるはずだ。しばらくすると、
──西村晃。
「正解です、拍手」
場を盛り上げつつ、次の展開に、
「黄門様といえば『カッカッカッ』って笑い声が印象的ですが、あれは初代の東野さんが、なんとか特徴を出したいということでひねり出した演技なんですって、それが今でも踏襲されているんです」
ちょっとしたエピソードをはさみながら、写真を変え、「ちなみに、三代目黄門様は誰だったか思い出せますか?」と続く。
このように、北原さんがドラマやバラエティ番組で共演してきた俳優たちの写真を手がかりに、時々のエピソードや時代の移り変わりなどを紹介。入居者の皆さんと言葉を交わしながらプログラムは進行する。
いわゆる『回想法』を取り入れたレクリエーションだ。1960年代に、アメリカの精神医学者ロバート・バトラーが提唱した心理療法である。
過去の懐かしい思い出を語り合ったり、当時の写真や物品を見たり触れたりすることで精神状態を安定させる効果があり、認知機能を改善させる働きも確認されている。
一連のクイズレクで頭を使ったあとは、体の体操だ。ここでも、女優北原佐和子さんならではの工夫がある。
「舞台の世界では、座長さんが作った手ぬぐいを出演者に配る習慣があります。これまで多くの舞台に立ってきましたので、我が家にはたくさんの手ぬぐいがあります。ここに持ってきたのは、そのなかのほんの一部」
語りながら、バスケットボックスにおさめられた色とりどりの手ぬぐいを広げる。
「これは、杉良太郎さんの舞台だな、ほら、ここに名前が書いてある。そしてこちらは里見浩太朗さん」
それぞれの手ぬぐいに詰まった舞台の思い出を語りながら、一枚々々を参加者に配っていく。
「皆さん、要返却でお願いしますね(笑い)」
イスに座ったままできる簡単な運動が終わると、手ぬぐいを使ったオリジナル体操だ。
両端を持って背中にまわし、胸を反らし背筋を伸ばす。お風呂で背中をゴシゴシ洗うようなアクションで、関節の可動域を広げるストレッチなど、日常生活の動きを取り入れた体操である。これなら無理せず毎日続けられそうだ。
プログラムのフィナーレは固く結んだ手ぬぐいをほどく、指先のリハビリだ。参加した皆さんも大満足。大きな拍手に見送られるように、90分ほどのレクリエーションイベントは終わった。
北原佐和子氏が介護の世界に入った理由
超多忙なアイドル時代を経て、女優としてのキャリアを積み上げた北原さんが、介護の世界に目を向けたのには、いくつかの理由がある。
「20代の後半だったかな。雨の夜、車で友達が来るのを待っていたんです。すると窓の外に、両手足に障がいのある方がタクシーを待っているのが見えたんです」
傘はさしていたが、横殴りの雨は容赦なくその人の体を濡らしていた。
「その姿を見て、子供のころ父を迎えに行った駅で、券売機の前で戸惑っているお年寄りとか障害者の方々を見て何もできなかった自分を、ふと思い出したんです。私は今でもあの時のままなのかな、ここでもやっぱり何もできないのかな、って。そう考え始めたら、いても立ってもいられなくなって」
北原さんは車を降り、雨に濡れている男性に声をかけ、自宅まで送っていくことにしたという。
「自宅のマンションに着くと、入り口から少しずれた金網の前に車を停めてくれって言うんです。なぜだろう、金網が邪魔になってドアが開けにくいはず。そう思ったのですが、言われる通りにしました。すると、その方は、不自由な手で車のドアを開け、金網を掴んで身体を支えながら、マンションに入っていきました」
この時の印象が、今でも残っているのだそう。
「身体は不自由だけど、自分の足で立っているなって強く思ったんです。その時のことがずっと残っていて……。女優の仕事は立て続けに忙しいこともあれば、数ヶ月時間ができることもある。気持ちも不安定になりがちです。30代の後半になってくると、今後もこのままでいいのかなぁと」
そんな時にあの雨の日のことを思い出すようになったのだという。
そして2007年、女優としてのスケジュールに余裕がある時期を使い、ヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を得て、デイサービスの事業所で介護士デビューを飾ったのだった。
後編では北原さんの歴史に加え、女優ならではの「介護時の声かけ」などのお役立ち情報もお伝えする。
撮影・取材・文/末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動するライター。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都台東区にあるホスピスケア施設にて週に1回のボランティア活動を行っている。