『希望のごはん』ができるまで~介護食に新風を吹き込んだ愛のstory<後編>
働き盛りの愛する夫に突然がんが見つかり、「私が彼を元気にして、会社に復帰させてみせる」と、初めての介護ごはん作りと開発に取り組んだ料理研究家のクリコさん。介護エッセイ&レシピ本『希望のごはん 夫の闘病を支えたおいしい介護食ストーリー』(日経BP社)には、その奮闘の日々が綴られている。介護食作りと向き合う中で、クリコさんが気づいた日本の介護問題や、介護食作りのコツや工夫、目からウロコのアイデアを教えてもらう。
【全3回、後編】
全て手作りじゃなくてもいい。家族みんなで楽しめるメニューで
クリコさんの作る介護食は、見た目も美しく、とても美味しそう。著書では、毎日、このようなメニューを作るために、一から準備しないですむように、さまざまなアイデアも紹介されている。
――時間がない中、どのような工夫をしたら毎日、介護食を作り続けられるでしょうか?
「毎日、毎食全て介護食を作るのはものすごく大変なので、気に入った市販品があれば、それを取り入れつつ一品だけ手作りするとか、夕飯だけは手作りにするとか、無理なく続けられる工夫もあるといいのかなと思います。
もう一つは、自分の分と介護食とを分けて作るとなると負担が大きいので、家族みんなで美味しく食べられる介護食が作れるといちばんいいですね。たとえばポタージュは誰でも食べやすいですよね。まずそういう、家族揃って楽しめるものから作ってみるのもいいですよ」
――そうするとみんなで同じものを分かち合えますね。
「それはすごく大事で、私も本に載っている料理は主人と一緒に食べていたので、介護食だけを別に作る負担は軽減されました。同じ食事と美味しい時間を共有できたら、夫も疎外感を感じないんじゃないかなと思っていました。
『あなただけこれね」って、何の料理かわからない市販品の流動食をお皿に乗せられて、家族は海老フライを食べていたらすごく寂しいと思うのです。私たちは2人家族でしたし、時間もあったのでできたことだと思うんですけど。
他には、一度にやろうとすると大変なので、絶対喜んでくれる鉄板料理を1~2品見つけて、完成品を冷凍して温めるだけの状態にしておくのは、ぜひおすすめしたいです。
私も実感したんですが、『冷凍室にあれとあれがあるから、今日は温めるだけでOK』と思うと安心ですよね。まず時間のゆとりを作るといいと思います。私は、ゆとりがあるときに、いつも新しい料理が閃きました」
特に主食は毎食必ず必要なので、一週間分作って冷凍しておくのがおすすめとクリコさん。ポタージュなど汁物も何種類か作って冷凍しておくと、ごはんと汁物のことを考えなくていいので、日々の食事作りはだいぶ楽になると話す。
「そこにお気に入りの市販品と、もう一つ何か手作りしたら、がんばった感がでるので、市販品も“まぁいいか”と思ってくれると思います(笑い)」
介護食は新ジャンルの家庭料理
「私も、主人が絶対に喜ぶものがだんだん冷凍で保存できるようになって、野菜のピュレも、いろんな食材と合わせることで5分、10分でいろんな料理に変身する優れものだとわかってから介護食作りが楽になりました。『なんて楽しいんだ』って、どんどんアイデアがわきました。キッチンで『介護食は新ジャンルの家庭料理だ!』って人生で初めてガッツポーズしましたから(笑い)。それぐらい嬉しくて、新しい扉を開いた感じでした。
介護食は、特別な技術が必要なのではなくて、今まで家庭料理を作っていた知識と技術で作れるものばかりなんです。普通の食事とちょっと形は違うけど、家族みんなが食べても美味しい。それは新しい形の家庭料理なんです。介護食っていう言葉はイメージが悪いので、新しいジャンルとして名前をつけ変えたいくらいです。
――介護食に海老フライが登場したのには驚きでした。
「海老フライは美味しいと評判が良いレシピのひとつですが、唐突に発明したわけではないんです。もともとは主人が大好きで家でよく出していた『海老しんじょう』という料理があって、大和芋や卵が入った海老のすり身を素揚げしたもので、ふわふわで美味しいんです。それをもっと柔らかくしたら、海老フライにできるかもって思ったんです。海老はぷりぷり感が美味しいですが、それを味わえないので、香りで海老の風味を感じさせてあげたくて、干し海老の粉をすり身の中と、パン粉にも混ぜて揚げています」
――カルシウムも含まれていていいですね。
「そうなんですよ。口腔がんで舌を切除していらっしゃる方は味覚を感じにくい分、鼻が敏感になると聞きました。海老の香りがすごく香るのがいいということで、それを初めて知って、ひとつずつ勉強だなと思いました。高級な干し海老を使うと香りが薄く上品なので、普通のスーパーで売っている干し海老の方が、より香りが強くていいですね」
――とんかつが介護食で実現するのもすごいですね。肉シートなど、目から鱗のアイデアはどのように考えついたんですか?
「とんかつ屋さんの『まい泉』のおかげですね。主人が毎日のリハビリで、少しずつ食べられる物がしっかりしてきたある日、牛肉を甘辛く煮た『牛の大和煮』の缶詰をたまたまスーパーで見かけて何気なく買ったんです。他のおかずと一緒に食卓に出してみたら、主人が「美味しい」と喜んで食べたんです。これくらいの柔らかさだったら、お肉が食べられるというのがわかって、その時に閃いたのが、まい泉のヒレかつサンドでした。
あの柔らかさの秘密は、肉の繊維を断ち切って、伸びるほど徹底的に叩いて、それを元の大きさにぎゅっと戻したものを揚げて、カツサンドに仕上げているというのを以前テレビ番組で見ていて、『あれをまねしたらいいんじゃないか』と思い出したんです。
もともと彼のお気に入りの『ふわふわの鶏肉団子』という料理があって、ひき肉は繊維が切れているので、鶏団子の材料をシート状に伸ばして薄切り肉の代用にすることを思いつき、舌で潰せるようにネタをミキサーにかけて作ってみたんです。初めはつなぎの大和芋の香りが強かったり、舌で潰せる柔らかさにならなかったり、何回も作り直してできたのが鶏シート肉です。その鶏シート肉で『棒々鶏』や『鶏カツ煮』を作ったらすごく好評だったので、豚バージョンのとんかつを作りました。夫は揚げ物が大好きなので『天才!』って(笑い)」
口腔底がんの手術に続き、食道がんの手術も乗り越え、ご主人アキオさんは4か月ぶりの職場復帰を果たす。流動食の愛妻弁当を経て、入れ歯が入ってからは、徐々に「食べたいものを食べられる」喜びを取り戻していくが、がんが再発し、ご主人は亡くなってしまう──。クリコさんはその後も、HPなどで新しい介護食のスタイルや情報を発信を始め、現在も継続中だ。
――介護食の作り方をHPで公開されていますが、反響はいかがですか?
「嬉しいお声をたくさんいただいています。『お母さんが病院で毎回同じ形の刻み食しか食べていないので、このサイトをバイブルにします』と言ってくださる方や、やはり市販品を全然口にされないご主人が『クリコ流の介護ごはんで完食してくれました』など、たくさんのお声をいただいています。
私は以前、『介護食作りは、困っていて需要はあるはずなのに情報がないということは、もしかしたら私だけが騒いでいて実は、あまり需要はないのかな』と不安感がありましたが、やはり、実は困っている人が世の中にいるとわかって、この活動を続けていいんだ、と自信になりました」
――これから、どんな介護食のスタイルが社会に必要だと思いますか?
「いろんなところで、もっと自由に選択肢があるべきですよね。普通の食事と同様に、外食もできて、スーパーやコンビニでも自由に介護食を選択ができるといいなと思います。
高齢化社会に対応したコンビニも増えつつありますが、病院や地域包括センター、在宅訪問看護栄養士の方などと、もっと地域で連携するのがいいと思うんです。地域統括センターなどは高齢者の方やご家族が集まるところですし、開拓する余地はあると思って、私も今、活動の場にとアプローチしています」
著書『希望のごはん』のあとがきでクリコさんは、ご主人、アキオさんにもっと食べてもらいたかった「アキオごはん」を多くの人に役立ててもらえるように、これからも作り続けると記している。
ご主人との永遠のラブストーリーが生み出した「新しい介護食のカタチ」。クリコさんの想いと共に、多くの人の”希望”を支えていくことだろう。
クリコ
本名、保森千枝。料理研究家・介護食アドバイザー。大手IT企業の広報として勤務中に夫・アキオと出会い結婚・退職。夫の勧めで始めた料理教室が好評に。その後、口腔底がんが発覚し、噛む力を失った彼のために「味が良く、見た目も美味しそうな介護食」作りのノウハウを確立して夫を支え、職場復帰も実現させる。
◆「クリコ流ひとりひとりの介護ごはん」(http://curiko-kaigo-gohan.com/)で新作レシピを掲載中。
◆ベネッセの介護相談室「クリコ流介護ごはん」(https://kaigo-sodanshitsu.jp/recipe/)では、総合監修を担当。介護に関する情報やレシピを発信している。
◆『希望のごはん』掲載全レシピをクックパッド(https://cookpad.com/kitchen/13834288)で公開中。
撮影/浅野剛(人物)、クリコさん(料理写真)、千倉志野(とんかつ写真)