【著者インタビュー/松本秀夫さん<後編>】オフクロの死を乗り越えて
『熱闘! 介護実況~私とオフクロの7年間 』(バジリコ刊)。
著者でニッポン放送人気実況アナウンサーの松本秀夫さんは、後悔ばかりの介護の末、最期に立ち会って泣き、その後も介護うつに悩まされたという。
今、ようやく前に進み始められるようになった心境とともに、同じように介護する働き盛りの男性たちへ、メッセージをもらった。* * *
20以上の病院・施設を転々とし…ようやく出会った素晴らしい医師
長年、苦労して自分たちを育ててくれた最愛の母・喜美子さんが病に倒れ、うつ状態になった。「絶対に僕がお袋を治す」と意気込んでスタートした介護生活だったが、ラジオの生放送など多忙な日々を送る松本さんには、医師や介護スタッフとのやり取りの中にも多くのストレスがあったという。しかし、一方で、母の介護がなければ出会えなかったよい人たちとの交流に、大いに癒やされたと語る。
「最初は医者を探すのもコツがわからず、行き当たりばったりだったので、ハズレも多かったです。
ある病院では『認知症』と言われ、別の病院では『うつ』と言われ、また別の病院では『前の病院の処方の仕方が古い』と言われ…。あげくに虐待されたこともありました。それに翻弄されて、ずいぶん病院を転々としてしまい、オフクろの闘病14年間の間に、20以上の病院・施設を渡り歩くことになってしまいました。
ただ最後にたどり着いた武蔵野中央病院はよかった。先生やスタッフがいい方ばかりでね。入院時には、院長先生が母の身の上話を丁寧に聞き、治療から看取りの方法までじっくり相談させてくれました。それに回診の時にバイオリンを弾いてくれたりもするのです。患者一人ひとりに寄り添ってくれていて、ここで最期を迎えられて本当によかった。
それから、とてもいいケアマネージャーさんに巡り合えたことも幸せでしたね。アドバイスや指示をするだけではないんです。腹を割って話してくれて、僕の話も聞いてくれて、同じ土俵で、同じ目線で、いつも一緒に闘ってくださった。以前は”ケアマネ”という職業さえ知らなかったけれど、彼女がいなかったら僕は何もできなかったと思います」
「オフクロを死なせてしまった」とうつ状態に
そして14年間にわたる長い闘病の末に、ついに母・喜美子さんが亡くなる。「あまりにあっけない最期だった」と、松本さんは本の中でも記しているが、その現実は松本さんの中に大きな影を落とした。
「母が息を引き取ったとき、なんてことしちゃったんだろう、死なせてしまった…という思いが押し寄せてきました。その後は、毎日のようによく泣いていましたね。
うつ状態になってしまったんです。僕にとっては庇護してくれる存在、そして最後まで精神的に支えてくれた大切なオフクロを死なせてしまった。そのことが、悲しくて、悔やまれて、眠れなくて…。3年たったごく最近まで、不眠用の薬を飲むこともありました」
本の執筆方法は「思いついたらすぐガラケーに打ち込む」
そんなとき、『熱闘! 介護実況~私とオフクロの7年間』の執筆依頼を受けた。
「これを書くのも、情けない介護生活を振り返り、オフクロへの気持ちを絞り出す作業なのでちょっと不安でした。
書いたのは、今年のプロ野球開幕のころから2か月半くらいでしょうか。忙しいこともありますが、原稿類はたいていガラケーで書くんです。たとえば電車で吊革につかまりながら片手でパパパッと打てるでしょ(笑い)。 思いついたときすぐに。だからその時々の思いにかなり忠実な原稿です。
書きながら少々つらいときもあったけれど、自分の情けない部分を人前にさらしてしまえたのと、母が素晴らしい人だったということを、形に残せたのがよかった。こうして形になったのを見て、ひと区切りがつきました。うつ状態からは脱却できたと思います!」