【著者インタビュー/松本秀夫さん<後編>】オフクロの死を乗り越えて
仕事も人生もいちばん忙しい最中の介護、しかも息子が女親を介護するとなれば、別の苦労もあっただろう。同じように母親の介護に直面している男性読者へのアドバイスを聞いた。
「やはり母は異性なので最後の最後まで照れがあるんです。ヨボヨボのおばあちゃんになっても、やはり自分を育てた母であり、女性なんです。
母が亡くなった日、亡骸に寄り添って寝ていて、ふと気づいたのです。どうして生きているうちに、同居中、眠れないオフクロが『さみしい』と言ったときに、一緒に布団に入ってあげなかったのだろうと。死んでからでは、意味がないじゃないかって。
でもあの時は、一人の男として母親の布団に入る発想がなかった。眠れないときにマッサージをしてあげたり、時には歌を歌ってあげたりしたこともあったけれど、今思えば、一緒に寝てあげればどんなに喜んだか。照れがなかったら、きっと思いついたはずだ。同じ境遇の人には、ぜひそのことを伝えたいですね」
介護は、自分が何かから逃げるための口実ではないか?
また社会問題にもなっている、こんな問題提起もしてくれた。
「これは母が亡くなった後で、ケアマネージャーさんに聞かれてギクッとしたことなのですが、『介護を始めたとき、お母さんを思う気持ちだけでしたか? 何かから逃げるために介護に目を向けたということはなかったですか』と。当時すさんでいた僕を見て、すぐに見抜いたのでしょうね。
働き盛りの男性が介護をするために、会社を辞めたり、休んだりするのは、本当に介護しかできない状況なのか、実はもともと会社を辞めたい状況があって、介護を口実に逃げているのか。
後者の場合だと、結局、介護はうまくいかないそうです。僕の場合、仕事は辞めなかったけれど、自分の家庭がうまくいかないつらい現実から、逃げていたのは確か。
僕自身の心が充実していたら、オフクロをもっとちゃんと受け止められ、もっとやさしくしてあげられたはず。後悔ももっと少なかったでしょう。
オフクロを苦しめた自分勝手な親父がいつも言っていた『自分が幸せでないと人を幸せにできない』というセリフ。悔しいけれどある意味、真理(苦笑)」
「一緒に住む」と伝えたときのオフクロの顔が忘れられない
多くの人が経験する“親の介護と死”にまっすぐ向き合い、とことん苦しみも受け止めた松本さん。きっと得たものも大きかったに違いない。
「中身は落第点だったけど、やったこと自体はよかったと思っています。同居介護をして僕がオフクロを守ろうと決心し、『これから一緒に住むんだよ』と伝えたとき、涙をこぼしてよろこんでくれた。あのときの顔は忘れられません。
それに時間はかかったけれど精神的な落ち込みも克服し、”母親がいなくなる”という一大事を乗り越えたと思うと、前よりは肝がすわって動じなくなったかもしれません。
かつては憎しみさえ抱いていた親父に対しても、少しやさしくできるようになりました。本の中に親父への思いをぶちまけたことで、発散できたのかも(笑い)。
ここまで来たら、親父には長生きしてほしい。もし親父の面倒を見ることになったら、そのときは母の介護経験を踏まえて、もうちょっとうまくしてあげられるかな。今、そんなやさしい気持ちになれたのは、オフクロとの介護生活のおかげかもしれません」
松本秀夫(まつもとひでお)
1961年、東京都生まれ。ニッポン放送の実況アナウンサー。野球をはじめ、サッカー、競馬などスポーツ全般にわたる熱烈な実況放送のほか、バラエティ番組のパーソナリティとしても人気の看板アナウンサー。『松本秀夫と渡辺一宏 今夜もオトパラ!』(ニッポン放送17:30~20:50 OA 月~木曜日担当)、『ニッポン放送 ショウアップナイター』に出演中。
ニッポン放送HP:http://www.1242.com/
『熱闘! 介護実況 私とオフクロの7年間』(バジリコ刊 定価:1300円+税)
最愛の母を介護した日々を、ラジオの人気アナウンサーがお得意の野球実況スタイルで書き綴ったドキュメント。元気で気丈だった母が体調を崩してから、認知症・うつ病と病院ごとに違う診断名、介護施設での虐待、同居介護、排泄介助など、働き盛りの息子が次々に直面した“親の介護と看取り”。あきらめきれない悔悟の気持ちを真摯に描きつつ、母への愛情がそこかしこにあふれ出るハートウォーミングな一冊。
撮影/浅野剛 取材・文/斉藤直子