シニアインフルエンサー島崎真代さん(71才)が明かす「2度の結婚と別れ」YouTuberになる以前、波乱の人生
人気インフルエンサー島崎真代さん(71才)は、67才でYouTubeを始め、Instagramは3万5000人を超えるフォロワー数を誇る。YouTuberになる以前の人生について聞いてみると、いつも明るく朗らかに笑う姿からは想像もつかない波乱の連続だった。【Vol.2/全3回】
島崎真代さん/プロフィール
島崎真代さん/1953年埼玉県生まれ。71才。2020年にYouTube『ビバ美婆チャンネル』を開設し、現在登録者数は1万6000人超。Instagram『島崎真代グレイヘアファッション』@masayoshimazakiのフォロワー数は3万人超。美しいグレイヘアの作り方や古着の着こなし方などを発信し、幅広い世代に支持されている。ファッションのお悩み相談や買い物同行、コーディネートを行う『マヨ塾』も好評で、これまでの受講者数は100人を超える。
YouTuberになる以前の人生「2度の結婚と別れ」
――これまでの人生についてお聞かせください。
24才のときに地元の同級生と結婚して、専業主婦でした。2人の娘に恵まれ、夫の両親とも同居して幸せに暮らしていました。だけど心のすれ違いがあって41才のときに離婚しました。
離婚後は心労が重なりかなり痩せてしまったんですよ。当時、離婚をする人はまだ少なかったこともあってそのまま地元に暮らすのは居心地が悪くてね…。思い切って県外に出て、長女が通っていた大学の近くにアパートを借りました。何も知らない場所でイチから人生やり直し、我ながらよくやったと思いますね。
――専業主婦から、どのように生計を立てたのでしょうか。
大学生の頃、アパレル関連の企業でアルバイトをしたことがありましたが、社会で働いたことがない。結婚後はずっと専業主婦でしたから、なんのスキルもないけれど私が働くほかない。もう求人誌を買ってきて、気になった会社に片っ端から応募しました。
2、3社目だったかしら、運良く大手ガス会社の事務職に就くことができました。契約社員でしたけど福利厚生が充実していて、パソコン教室に通わせてもらって仕事を学んで、そこで5年ほど働きました。
その後、転職をして役員秘書を経験しました。ある著名なファッションデザイナーさんの秘書の仕事に就いたときはいい経験をたくさんさせてもらいました。デザイナーさんのご自宅兼、アトリエが職場で、秘書業務のほかにお茶を出したりお掃除をしたり、お手伝いのようなこともして。政治家など著名なかたも顧客にいらっしゃってねスーツの採寸のお手伝いをさせていただくこともありました。オートクチュールのドレスやスーツ、色んなデザインのファッションを間近で見られるのは楽しかったですね。
49才で訪れた新たなパートナーとの穏やかな暮らし
――40代はシングルマザーとして頑張って来られたわけですね。
40代はがむしゃらに母にも助けてもらいながら子育てと仕事を続けていました。
娘たちも大きくなって子育てが一段落した40代後半、友人の紹介で年の離れた男性と知り合ったんです。大恋愛とかではないけれど、穏やかな関係性もありだなあと思って、49才のときに再婚しました。娘たちも背中を押してくれました。
彼は私の連れ子を実の娘のように可愛がってくれた。家族を大事にしてくれる人でした。結婚式もしたんですよ、みんなでハワイに行って結婚式を挙げて、ウエディングドレスを着てリムジンにも乗ったのよ(笑い)。
――再婚後の暮らしはどんな感じでしたか?
うーん、そうですね。再婚してからは仕事を辞めて娘たちも独立しまてからは、しばらく穏やかな暮らしだったかな。だけど、そうのんびりともしていられず、今度は実母が年老いていくわけです。
母が82才を過ぎた頃から、少しずつ認知症のような症状が出始めたので、我が家で一緒に暮らすことにしました。
母は、夜中に起きてきて『誰かがインターホンを押して踊っている』とか、朝起きてきて『私は1年間何も食べてないんだ』とか、ふとした時におかしなことを言うことがあって、最初はショックでしたね。
『何も食べてないって、何言ってるの? 昨日の晩は一緒にレストランに行って楽しかったでしょ?』と伝えてみても『はあ?そうだっけ?』と何にも覚えていない。そうかと思うとすぐに元の母に戻って、会話が噛み合うようになるんですね。いわゆる、まだらボケというものだったのかもしれません。
穏やかな暮らしの中で起きた悲劇
――お母様のケアはその後も続いていくのですね?
「夫と私、私の母と3人暮らしでしたけど、夫にとっては他人の親と暮らすわけですから息が詰まることもあったと思うんですよ。
彼は自然豊かな地方に別荘を所有していました。昔から馴染みの仲間も周辺に住んでいましたから、時々そこで過ごしていたんですよね。ひとりになる時間も必要だったんだと思います。
ある日、彼が別荘に出かけていて、私はいつものように母のケアをして過ごしていました。夫の知り合いから電話がかかってきたんです。
『真代さん、驚かないでね。ご主人が亡くなりました。救急車を呼んだけど間に合わなかった』
私もよく知っている彼の友人からそう聞かされて…。驚くというよりも、言葉が出ない、何が起きているのかわからない、現実が受け入れられないというのかな。心臓発作で、夫が72才のときのことでした。
彼はついこの間まですぐ近くにいたのに、いきなりシュッといなくなってしまった。神隠しみたい、キツネにつままれたような気持ちでした。
病気でしばらく介護をしてという段階があったらまた違ったかもしれませんが、なんの準備も覚悟もできていなかったですからね。ある日突然失ってしまうというのは…。夫を失ったという気持ちの折り合いは、いまだについていないかもしれませんね。
夫が旅立ってからは母との暮らしが2年ほど続きました。母は84才で亡くなったのですが、ギリギリまでトイレもお風呂も自分の身の回りのことは自分できていたんですよ。だから母も介護らしい介護はしてない。夫も母もあっさりと旅立ってしまいって、介護には縁がなかったのかもしれません。
――50代後半から60代にかけて大きな別れを経験されました。
当初は心にぽっかり穴が開いた感じでしたけど、ひとりの暮らしは、まあ気ままといえば気ままですよ。60代で孫ができてからはまた忙しい日々が戻ってきました。
次女が近くに住んでいるので、月曜から金曜までは3人の孫のお世話が私のお仕事。保育園にお迎えに行って、お風呂に入れてパジャマを着せてと、娘の育児をサポートしています。
育児って大変よ、体力がいる。70代に突入してまあ疲れやすくなりましたよね。古着の年代物のコートとかって重いから着ていて疲れちゃうわよ。だけどおしゃれのためなら多少の我慢は必要かも(笑い)。
最近は娘たちも私のことを心配してくれて、ママ一緒に暮らす?って言ってくれるんですが、もうしばらくは好きな服を着て会いたい人に会って、自由でいられるこの暮らしを満喫しようと思っています。
写真提供/島崎真代さん 取材・文/廉屋友美乃