連載

認知症ケア「ユマニチュード」|心だけでなく技術で伝えるケア「触れる」「立つ」のやり方

 ユマニチュードでは、「立つ」ことを、ケアにおける非常に重要なポイントと考えています。

 寝たきりの方の視野は、ほとんどが天井です。横を向いて見えるのは壁。このような時間が長く続けば3次元の空間を認知する機会が失われ、認知の機能はより低下します。自分がここに存在している、という空間の認知は、人としての尊厳の自覚に直結する重要な要素です。

 座ることができれば、視野には奥行きが生まれます。周囲の様子をさまざまな角度で見ることができるようになり、音もさまざまな方向から耳に入ってきます。つまり、「空間の中の自分」を自覚できます。

 さらに、立つことがでれば、空間は縦方向にも広がり、より多くの情報をキャッチすることができます。また、血液の循環が改善され、肺の容量が増えます。筋肉や骨に負荷がかかることで、骨粗鬆症の改善や筋力のアップが見込めます。当然、その先には歩くという目標が生まれます。

「寝たきりになった人を立ち上がらせるなんて、たやすいことではない」そう考える介護のプロの方もいらっしゃいますが、それは状況に応じて異なります。寝たきりになったきっかけが、3日から数週間、病気やケガでベッドに横になっている必要があったというだけ、というような場合には、その時に再び「立つ」ためのケアを積極的に行なわなかったことが寝たきりが続いている原因であることが多いのです。無理に立ち上がらせることで、転倒の恐れがある、放っておけない、ケアに時間がかかるといった介護する側の事情もあって「立つ」ためのケアを行わないというのが、よくある現実です。

 そのような状況でリハビリテーションを導入して改善を試みることも広く行なわれています。しかし、リハビリテーションはごく限られた時間、たとえば1日あたり20分程度であることが多いです。つまり、実際の生活では、「リハビリテーション以外」の時間が一日の中で圧倒的に長いのです。ここに介護を行なっている人しかできない、果たす役割があります。

 それは、「その人の立てる能力を最大限引き出す介護」です。まずは、生活の中でベッドではなく、座って過ごす時間を作る。洗面や着替えなどはできるだけ立って行なえるように力を貸す。長く立っていることができなくても、座ることと組み合わせることで、体を拭くときにできるだけ立って行なうようにする、など、さまざまな工夫ができます。

 忘れてはならないことは、「立たせる」ためには、とても正確な技術が必要だ、ということです。立位補助を行なうにあたっては、介護をする人はその基本「自分の位置」「相手の位置」「相手の足の場所」「重心の確認」「どこを支えるか」「体を傾ける角度」など、さまざまな細かい技術があり、そのどれが欠けても安全な立位介助、歩行介助はできません。

 介護は、「介護とは何か」という哲学、つまりここでは、「人は立位をとることによって自己の空間的存在を認知する」ということと、それを実現させるための科学的な根拠に基づいた行動の二つが共存することによって初めて成り立つものなのです。

 介護は「安全であること」が必須です。安全に介助ができない、と判断したら、無理をせずに専門家のアドバイスを受けてください。

4つの柱を組み合わせることで「大切に思う気持ち」が伝わる

「近くから、長く見たのに、うまく行かなかった」というような経験をよく聞きます。そのときの状況をうかがうと、多くの場合「見る」ことだけに集中していることが多いです。重要なのは、「あなたを大切に思っていますよ」と伝えるためには、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの柱を1つだけやってみては不十分です。

「見ながら、話す」「話しながら触れる」、ときには「見ながら、話しながら、触れながら、立つ援助をする」というように、同時に複数の柱を使うことが、相手に「大切に思っています」と伝えるためのとても重要な技術です。

 からだに触れるのであれば、まず正面からアイコンタクトをとりながら「おはよう」と声を掛ける。気づいてくれれば「着替えてさっぱりしませんか?」と言葉を発しながら、鈍感な部位である肩や背中にやさしく、広く触れる。立たせるときも、まずはアイコンタクトをとってから、背中に触れ、声掛けながら下から支えるようにして立位の援助をするといった具合です。

 次回は、4つの柱を使うことで、スムーズに心地良いケアが行える、より実践的な技術をお伝えします。

【プロフィール】
本田美和子/国立病院機構東京医療センター 総合内科医長。 
筑波大学医学専門学群卒業後、国立東京第二病院(現・国立病院機構東京医療センター)、亀田総合病院、国立国際医療センターに勤務。米国のトマス・ジェファソン大学にて内科レジデント、コーネル大学病院老年医学科フェローを経て、2011年11月より現職。著書にイヴ・ジネスト氏、ロゼット・マレスコッッティ氏との共著の『ユマニチュード入門』(医学書院)や『エイズ感染爆発とSAFE SEXについて話します』(朝日出版社)などがある。

イラスト/中島慶子 取材・文/鹿住真弓

【このシリーズの記事を読む】

注目の認知症ケア「ユマニチュード」とは?<1>在宅介護に生かす技術

注目の認知症ケア「ユマニチュード」とは?<2>4つの柱「見る」「話す」編

注目の認知症ケア「ユマニチュード」とは?<3>4つの柱「触れる」「立つ」編

注目の認知症ケア「ユマニチュード」とは?<4>5つのステップ

注目の認知症ケア「ユマニチュード」とは?<5>介護が始まる前に準備できること

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