倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.94「夫の古い友達に会う」
漫画家の倉田真由美さんが夫・叶井俊太郎さんの闘病から看取りを綴った新著『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』が出てまもなく、夫の古い友人から「線香をあげたい」とDMが届いた。夫と一緒に「ハワイでUFOを見た」という話が飛び出し、実際に会って話を聞いてみると――。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。最新著『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』ほか、著書多数。
夫がハワイで「UFOを見た」
「俺、UFO見たことあるんだよ。二十代前半の頃、住んでたハワイで」
夫からこの話を聞いたのはもう10年以上前。
「いやいや、見間違いでしょ」
「本当だって。あれは絶対UFOだった」
こんなやりとりをしたことをぼんやり覚えているけど、詳細は思い出せなくて、夫がいなくなってから何かの折に思い出しては、もう一度詳しく聞いておくんだった」と後悔していました。それがこの度、夫の古い友人Aさんから連絡を受け、
「僕、俊太郎と一緒にUFO見ましたよ」
という証言をいただき、詳しい話を聞かせてもらうことになったのです。
都内にあるとあるカフェで、お昼過ぎにAさんと待ち合わせしました。
「どうも、初めまして。Aです」
声をかけていただいたAさんは、夫と同世代、夫の遊び仲間だっただけあって、顔や姿は似ていないけど髪型や服装、佇まいなど何となく夫に通じる雰囲気をまとった方でした。夫が若い頃毎日のように一緒に遊んでいた仲間たちは、大体皆「若い多感な時期、当時の最先端に浸かっていた都会男子」といった空気感が未だに残っています。
挨拶を交わした後二人でコーヒーを頼み、早速UFOの話を聞きました。
「あれは僕がハワイに来たばかりの頃です。既にハワイで生活を始めていた俊太郎に、『UFOが見られるところあるから、行こうぜ』って誘われて行ったんですよ。俊太郎の車で」
二人は夫が運転する車で、あまりメジャーではない海岸に向かったそうです。
「あれ、UFOだよな?」
既に日は暮れて、空には夜の帳が下りている時刻。車を走らせていると、
「あ!ほらあれを見ろ!」
見つけたのはどちらが先だったか。明らかに星でも、飛行機でもない不自然な光を二人は目にしました。
「あれ、UFOだよな!?」
「間違いない!だって飛行機はあんな動き方しないだろ!」
二人は大興奮しながら、変な動き方をする光を長い間眺めていたそうです。
「ラジコンとか、気球とか、飛行機以外の従来の飛行物という可能性はないですか?」
私はAさんに尋ねました。
「ないですね。ラジコンほど低い高さではなかったし、ある程度スピードもあった。あれはUFOですよ」
迷いのない言葉でAさんは言い切りました。
「もう30年以上前のことですけど、今でも目に焼き付いています。しばらくそのオレンジ色の光と並走しました。でも怖くなって、途中でその場所を離れましたよ」
その後、ハワイ時代のAさんのアルバムなども見せていただきながら、当時の夫の生活ぶりを聞きました。夫から聞いていた話もあり、私自身は一度もハワイに行ったことがないのに、なんだか懐かしいような気持ちになりました。
Aさんにお礼を言って帰宅後、改めて本棚を眺めました。うちには私の蔵書が多めの本棚、夫の蔵書が多めの本棚があります。夫の蔵書が多めのほうには、「オカルト」「UFO」「未確認」といった文字が踊る、私はあまり買わない分野の本のタイトルがいくつも並んでいます。夫はこの手の、未だに真偽がはっきりしない超常現象やミステリーが大好きでした。
私がどれほど疑いの言葉を投げかけても、夫の「UFOはいる」という確信は揺るぎませんでした。ハワイでAさんと目撃した何か、それが本当にUFOだったのかどうか私には分かりません。むしろ目撃者二人から直接話を聞いた今でも、懐疑的です。
とはいえ、夫がUFOを信じるに至ったエピソードを他者からも確認できたことで、また一つ、夫のことを知れたように感じました。
