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暮らし

フィリピンパブから介護の現場に転身。夜の世界から人手不足の介護業界の救世主になった外国人たちの“いま”をレポート

 止まらぬ高齢化と人材不足で介護業界が悲鳴をあげるなか、“救世主”となっているのはフィリピン出身の元パブ嬢たちだった。ノンフィクションライターの室橋裕和氏が最新の介護現場をレポートする。

フィリピン出身の介護士。入所者からは「本当によくやってくれる」

「はい、首の体操しましょう。せえの、1、2、3、4。もっと曲げて。今度は頭を下げて」

 5人のお年寄りたちの前に立ち、お手本を見せながら身体機能維持の体操をリードしているのはフィリピン出身のポハ・アナベルさん(55才)だ。100才を超えているという女性の手を握り、流暢な日本語で「人生の先輩だもんね。いろんなこと知ってる。尊敬しますよ」と言えば、女性のほうも「日本人じゃないんだけどね、本当によくやってくれる。優しい」と語る。

 体操が終わると、ひとりひとりに声をかけ、笑顔で対応しながら、合間合間に書類仕事もこなす。すべて日本語だ。漢字をゆっくりだがていねいに書いていく様子に、苦労がにじむ。

 下の階でもフィリピン出身女性のハットリ・フェ・エスペランザさん(54才)が認知症予防の体操を指導していた。車椅子に乗った30人ほどのお年寄りが、紙でつくった長い棒を持ち、フェさんの動きに合わせて振り下ろしたり、両手で掲げてみたり。「筋力維持にもなるんです」と話すフェさんは、棒を落としたお年寄りにすかさず駆け寄り、腰をかがめて視線を合わせ「大丈夫やった?」と声をかける。

 彼女たちが勤めているのは名古屋市瑞穂区にある介護老人保健施設「セントラル堀田」だ。施設長の西本潤子さんは言う。

「ふたりとも、入所者さんたちを楽しませたい、喜ばせたいって気持ちにあふれていると思います。相手の気持ちにちゃんと寄り添って動くことができるし、戦力になってくれています」

 とりわけアナベルさんは介護福祉士の国家資格も持ち、この施設に勤めてもう17年になる。介護業界のキャリアは20年以上だが、その前は夜の世界で働いていた。フィリピンパブだ。フェさんも同様、パブから介護に転身した。

70代が夜勤をやるほど高齢化が進んでいる介護現場

 背景にあるのはもちろん介護業界の人手不足だ。高齢化が急速に進む日本で、団塊世代が本格的に後期高齢者になっていく2026年には240万人の介護職が必要と厚生労働省は試算している。団塊ジュニアが高齢期を迎える2040年にはその数が280万人に上る見込みだ。しかし2023年時点の介護従事者は約212万人と初めて前年を割り込み、2.8万人が減った。

 去年7月に厚生労働省が発表した「第9期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について」によると、介護職員の平均年齢は50才。別のフィリピン出身女性が「うちの施設、72才のおばちゃんが夜勤もやってるよ」と言うほど高齢化している。若い日本人が入ってくることは非常に少なく、そのため外国人労働者がとくに求められている職種といえる。

 おもに技能実習や特定技能といった在留資格でベトナムやインドネシア、ミャンマーなどから来た約8万人の外国人が働き、その数は増える一方だが、加えて古くから日本に住み日本人と結婚したフィリピン出身の女性たちが、いまでは大きな役割を担っている。高度経済成長期からバブル期にかけてやってきた「じゃぱゆきさん」と呼ばれた人々だ。彼女たちは家族を支えるために「興行」という在留資格で来日し、パブのホステスとして働いたが、その実態は過酷だった。

「最初にもらった給料は3万5000円くらいでしたね」

 アナベルさんは言う。やはりパブから介護に転職したコヤマ・マラフェさん(53才)も「狭い部屋に3段ベッドがぎゅうぎゅう詰めで、押し入れもベッド代わり」という環境で暮らしていたそうだ。なかには売春を強要されたり、心を病んだ人も少なくない。それでも、フィリピン出身ならではの陽気さで辛さを押し隠し、仕事に疲れた日本人の男たちを癒した。日本の高度経済成長を、陰で支えた存在でさえある。

夜のほかに居場所がある

 転機となったのは2005年。本来はダンサーや歌手などを受け入れる「興行」の在留資格の人間をホステスとして働かせるのは人身売買であるとアメリカ政府が指弾。これを受けて日本政府は運用を厳格化、ホステスとして来日するフィリピン人は激減し、フィリピンパブは冬の時代を迎えた。

「代わりにホテルのベッドメイキング、お弁当や総菜をつくる工場、パチンコの機械の組み立てなどで働く元パブの子たちが増えてきたんです」

 そう語るのは、フィリピンパブが密集する名古屋・栄で長年フィリピン女性の支援を続けている石原バージさん(65才)。日本人と結婚して「興行」ではなく「配偶者」の在留資格となり、自由に仕事を選べる立場になった女性たちが、規制を機にさまざまな仕事に就くようになったのだという。バージさんは続ける。

「この頃から日本は高齢化が進んで、介護の学校が増えてきました」

 介護に必要な知識や技術を学び「ヘルパー2級(現在は「初任者研修」に移行)」の資格を取得できる学校や講座が日本各地で開かれるようになったのだ。これは国籍を問わない資格だから、在住外国人向けの教室もちらほらと現われた。そのひとつを埼玉県で開講し、いまは外国人介護職員支援センターを運営する井上文二さんは言う。

「当時、生徒のほとんどは元パブ嬢のフィリピン人。彼女たちは日本語でのコミュニケーションは得意なんですが、読み書きは難しい。それでも楽しそうに勉強するんです。夜の世界のほかに居場所があるというのが嬉しかったのかもしれない」

 アナベルさんも、愛知県でそのような学校に通っていた。

「日本で脳梗塞になったフィリピン人の友達のリハビリをしていたから、私にも介護の仕事ができるかなと思って。それに、フィリピン人というと『あ、パブで働いているんだ』ってどうしても思われることが多いの」

 マラフェさんも言う。

「水商売以外でも、違う仕事ができますよって知ってほしかった」

 結婚して家庭を築き、子育てするようになった彼女たちが、昼の仕事に就きたいと願うのも当然のことだろう。そして彼女たちは口々に「ずっと日本にいて、自分のおじいちゃん、おばあちゃんの面倒を見られなかった。だから自分の家族みたいに思ってケアしています」と話す。

 実際、ホスピタリティに長け、年配者を敬い、英語力の高いフィリピン人は世界中でケアギバーとして活躍している。欧米や香港などで介護、看護、住み込みのヘルパーなどで働く。日本でも2000年代半ばから介護業のフィリピン出身者が目立ったが、急増したのはコロナ禍のときではないかとアナベルさんは言う。

「パブは閉まったし、フィリピン人が多かった飲食も工場もベッドメイキングも仕事がすごく減った。でも、介護はずっと仕事がありました」

 浮き沈みの激しいパブの世界に比べて安定した仕事であり、持って生まれたホスピタリティを活かせる介護に、たくさんのフィリピン出身女性が流入してくるようになる。映画化もされた名著『フィリピンパブ嬢の社会学』(新潮社)著者の中島弘象氏は語る。

「人手不足からフィリピン人を雇ってみたら、よく働いてくれるという話が介護業界に広まり、フィリピン人なら来てほしいという施設が増えていったのではと思います。日本人と結婚して夜の世界を離れ、子育ても一段落した彼女たちが仕事を探すようになったタイミングとも一致する」

「楽しく過ごして欲しい」

 いまでは「フィリピン人がいると施設が明るくなる」なんて言われることもある。マラフェさんが言う。

「水商売上がりだからね、盛り上げるのは得意ですよ。レクリエーションの時間にカラオケをやることもあるんだけど、日本の古い歌とかデュエットとかぜんぶ知ってる」

 当然、入所者たちは大喜びだ。またアナベルさんの施設には以前、パブ時代の常連客が入所してきたことがあったそうだ。

「向こうは認知症で私のことがわからない。でも、その人が好きだった歌は私よく覚えてたんです。五木ひろしと木の実ナナの『居酒屋』。一緒に歌ったら『あれ? どこかで会ったことある?』だって(笑)」

フェさんは言う。

「毎日ずっと車椅子に座ってて、することないでしょう。だから刺激というかね、遊びを取り入れて、楽しく過ごしてほしいなって思うんです」

 そんな彼女たちの明るく献身的な姿勢は、認知症のお年寄りにも伝わっている。「この人ら、賑やかすのはお手のものよ。元気になる。よう気がついてくれるしな」としみじみ語る入所者もいた。

外国人スタッフがいないと成り立たない施設が増えている

 日本の生活が長く、日本の文化やマナーを身につけている彼女たちは、いまでは若い技能実習生たちの指導係になることもある。フェさんは「何人も教えたよ。ミャンマー人やベトナム人、ネパール人、それに日本人の若い子も。でも、いまの日本人は面倒臭がったりしてあんまり働かない。すぐに辞めちゃう」と言う。「外国人が日本人の仕事を奪っている」という声も聞く昨今だが、少なくとも介護は中高年ばかりの職員を若い外国人が支えている業界だ。西本さんはこう嘆く。

「もう少し人が必要なのですが、ハローワークや新聞に求人を出してもまったく反応がありません」

 とりわけ若者がほとんど入ってこない。介護職というと薄給のイメージもあるが、さまざまな手当が支給されるようになってきており、だんだんと待遇も改善されつつある。それでも人手不足は深刻だ。「仕事を奪う」どころの話ではなく、外国人がいないと成り立たない施設はどんどん増えている。

「外国人が低賃金で働くから日本人の給料が上がらない」という批判も的外れだ。技能実習や特定技能の賃金は「日本人と同等以上」と定められているし、アナベルさんたちも日本人と同じ待遇で働く。そもそも介護業界の低賃金は外国人の参入以前からの課題なのだ。

 そんな偏見に悩みながらも、アナベルさんたちは今日も笑顔で老人たちをケアしている。人生の半分以上をこの国で過ごし、昼も夜も日本人の面倒を見てきた。もしあなたが介護施設に厄介になるときが来たら、出迎えてくれるのは彼女たちかもしれない。

取材・文/ノンフィクションライター 室橋裕和

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