元『装苑』編集長・徳田民子さん(80才)が第二の人生で選んだ安曇野の暮らし「身の回りのものを整理したら“本当に好きなもの”がはっきり見えた」
定年退職、子供の独立、介護、体調の変化など、60才は心身ともに節目の年齢だ。「人生100年時代、この先の人生をどう生きるか」を改めて見つめ直す人も多いだろう。変化を受け入れ、新しい道を見つけた人は、何を変えて、何を変えなかったのか。人生を“リセット”した人たちの生き方にヒントがあるかもしれない。
教えてくれた人
徳田民子(とくだたみこ)さん
1945年生まれ。文化出版局で『装苑』『ミセスのスタイルブック』などの編集長を務める。定年退職後、夫とともに長野県安曇野市に移住。現在はフリーのファッションコーディネーターとして雑誌やイベントなどで活動中。最新刊に『80歳、私らしいシンプルライフ』(幻冬舎)。
※「徳」は心の上に「一」がある旧字体
「人生のどこかで生活を仕切り直したい」東京から安曇野に移住夫婦で移住
24~63才までの40年間、ファッション誌の編集者として活躍した徳田民子さん。住まいを東京から長野県・安曇野に移したのは16年前、64才のとき。移住を決めた経緯を徳田さんが語る。
「仕事が楽しくて、ずっと夢中で働いてきたのですが、50才を過ぎて定年を間近に感じ始めた頃、『いまの状況も充分楽しいけれど、人生のどこかでガラッと生活を変えてみたい』と思うようになりました。
夫(74才)に告げると、彼も『いつか自然の中でのんびり暮らしたい』と思っていたというのです。そこから、移住を考えるようになりました」
60才から移住先を探し始めたが、安曇野を選んだのは念入りなリサーチの結果、ではなかった。
「物件探しの合間に行った信州へのドライブ旅で、松本から安曇野に向かう橋を渡ったとき、突如眼前に北アルプスの大パノラマが現れたんです。
一瞬にしてその景色に魅せられました。そして、『第二の人生は絶対ここ!』と直感。夫とも意見が一致しました。決まるときって、案外こんなものですね」(徳田さん・以下同)
必要なものはそれほど多くないことに気づけた
都会を離れることにためらいはなかったのだろうか。
「全然。ためらいより『新しい生活』へのワクワク感が上回りました(笑い)」
耕作跡地と雑木林の土地を造成し、木造平屋の小さな家を建てることが決まり、着工までの2年間で身の回りの整理を行った。
「東京のマンションは収納スペースが広く、あれこれ買ってはため込んでいましたから、安曇野ではとにかく『シンプルな暮らし』がしたかった。そこで、『本当に使うものだけを残す』をルールに整理を始めました。まず、田舎の小さな家にそぐわない大きな家具、都会的な家具は手放すことにしました。ルールに沿って選んだ食器類は、ほぼ、無地かラインが入ったものに絞られました」
キャリアを反映する貴重な衣類も、次々に整理した。
「大胆で奇抜なデザインの服も好きでしたが、安曇野の自然の中では浮いてしまうでしょう? 気に入った服でも、『安曇野に調和しない』『3年着ていない』などを基準に選別したところ、定番アイテムばかりが残りました」
そうして手元に残ったものを見渡して、気づいた。
「整理することで、自分が本当に好きなもの、大切なものがはっきりと見えたんです。そして『必要なものはそれほど多くない』こともわかりました。移住がなければそこまで深く考えなかったかもしれませんね」
手放すことより、捨てることにためらいがあったという徳田さん。家具や食器、衣類はリサイクルショップで売ったり、知り合いに譲ったりして、ほぼ捨てずに整理できたという。
そして、常に人生の軸にあるファッションにも、目指すべき道が見えた。
「長らく、先端のファッションを見て、楽しんでもきましたが、私自身は『ベーシックなものをいかに自分らしく着こなすか』をテーマに工夫する方が合っているなと思いました。いまも『さりげないけれど素敵に見える』着こなしを目指しています」
シンプルだけど心が豊かになる田舎の暮らし
16年経ったいまも、安曇野の暮らしは飽きることがないという。
「自然は毎日変化し、1日として同じ日はありません。庭の巣箱で子育てをする鳥の家族を観察したり、葉っぱや枝に擬態するカエルやナナフシに驚いたり。自然の小さな営みが面白くて、何時間でも見ていられます。
家の中の作業は私、外の作業は夫と大まかに担当が分かれていますが、無心になれる草むしりは私も手伝います。無心になれるのがいいんですよ。庭がきれいになるのと同時に気分もすっきり。悩み事も、いつしか忘れてしまいます。
ここでの暮らしは、東京に比べたらシンプルで、だからこそ心地いい。バリバリ仕事をしていた頃の私なら、この生活は考えもしなかったでしょうね。それを思うと、新しい人生を見つけて得した気分です(笑い)」
今の家に執着するつもりはない
60才を過ぎ、知人がいない環境に移ることへの不安はなかったのだろうか。
「きっと新しい誰かと出会え、新しい世界が体験できるだろうと思っていたので、不安はなかった。もともと人と出会って何かを吸収するのが大好きなんです。実際、引っ越してすぐにご近所のかたが遊びにきてくださったし、地区の住民が集まって雑草を取ったり、ペタンク(※1)を楽しんだりと交流の機会が多いんです。
ただ、自分から声をかけるようにはしています。たとえば、散歩の途中で畑仕事をしているかたに『いかがですか?』と話しかけてみたり。そこから会話がはずみ、親交が深まることがありますから。人と交わりたいと思ったら、自分から行動するのが大事ね」
今後の暮らしについての考え方も柔軟だ。
「年齢のことを考えると、町の方に移るのもいいかなと思うこともあります。この家に執着するつもりはないし、どんな環境にいても楽しくやれるという自信があるんです(笑い)」
そう言って朗らかに笑う徳田さん。70才でピアスを始めてから着こなしの幅が広がった、とおしゃれも進化中。取材や執筆活動も増え、第二の人生を“再リセット”し、新たな“第三の人生”を迎えているようだ。
※1:ペタンクとはフランス発祥の球技。金属製のブールというボールを投げて、木製のビュット(目標球)に近づけることで得点を競う。
<徳田民子さん>私が整理したモノ・コト
●都会暮らしをやめた
●「使うものだけ置く」をルールに家具や食器、衣類を厳選
取材・文/佐藤有栄 写真提供:『80歳、私らしいシンプルライフ』(幻冬舎)撮影/松村隆史
※女性セブン2025年10月30日号
https://josei7.com
