兄がボケました~認知症と介護と老後と「第47回 貴重な“今”を噛みしめる」
ライターのツガエマナミコさんは、昨年夏まで一緒に暮らしていた兄の面会で週に一回特別養護老人ホームに通っています。認知症の症状が進行した兄と暮らしていた頃は、兄のケア・サポートに明け暮れていた日々だったマナミコさんが、当時を振り返りつつ現在の心持を明かしてくれました。
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10月も終わりになって思うこと
高いな~と思いながら先日ついに秋刀魚をいただきました。1尾100~150円の時代から抜け出せないわたくしには、300円が信じられないのですが、豊漁と言われていることもあり、やはり時期ものは食しておかないと、とお大根とともに買わせていただきました。思えばとても久しぶりの秋刀魚の塩焼き(大根おろし添え)でございました。
兄の在宅介護中は、家では秋刀魚のような焼き魚はほとんど口にしませんでした。骨のある魚を兄が上手に食べられないからでございます。骨をとってあげようにも、秋刀魚の骨は無限大。身だけをお皿に乗せてみると、見るも無残で食欲が失せるばかり。いつしか秋刀魚の塩焼きは食卓に上らなくなりました。兄が施設入所した去年の秋にいただいたかどうかも覚えておりません。
というわけで久しぶりの秋刀魚の塩焼き。庶民の味ではございますが、あのはらわたの苦味、焼き目のついた皮ごといただく秋刀魚さまは滋味でございました。焼き魚特有のにおいで翌日もだいぶ家中が香ばしかったこともまた秋の風物でございましょう。
10月が終わりを迎えるころになると、急に年末感がやって参ります。ハロウィーン、クリスマス、師走…と忙しない季節の始まりです。今年は夏が長かったので余計に急激な季節変動となりました。
涼しくなってくるとムクムクと沸いてくるのが、“和装熱”でございます。亡き母が残してくれたお着物がたくさんございますので、この時期になると「春までに10回は着よう」と毎年のように思うのでございます。しかし、志しむなしく相変わらず“宝の持ち腐れ”でございます。
母の指南でギリギリ自分で着られるレベルですが、なにしろ年に1~2回しか着ないので、着るたびに四苦八苦いたします。必然的に時間がないと洋服に変更。もっとササッと着られるようになれたなら…と常々思いながら、実現しないまま今日までまいりました。回数をこなすしかないことはわかっていますが、時間的余裕がそこまでないと申しましょうか。
問題は時間だけではなく、体型にもございます。今やドラム缶型になった体では着物姿が美しくございません。若かりし頃がペタンコだっただけに、姿見(鏡)を見るたびギャップにやられ、我ながら着物離れを誘発しております。竹久夢二の美人画のような細身とまでは望みません。せめてこのポッコリお腹だけ凹んでほしい!
兄が施設に入所して一年余り、すべてにおいて気が緩んだ月日でございました。先週は、「人生終盤の成長期は幸せの証か」と書きましたが、ここからはすこし気を引き締め、シェイプアップしてまいりたいと気合を新たにしたところでございます。
今週も兄の面会に行ってまいりました。プールへの道中もそうなのですが、兄のいる施設の周辺は小高い丘の上で空が大きく見渡せ、行く度に「この景色、気持ちいい!」と声が出てしまいます。マンションが建ち並んだ我が家周辺の空は狭くて電線だらけ。だからこそ、兄の面会に毎週飽きずに通えるのだと思います。
先日は行くと、車いすに座り、リビングでみなさんとテレビに向かい、一人で手をたたいていてなんだか楽しそうでした。兄の部屋に移動し、手を握って歌を歌ういつものルーチンもずっと笑顔で、「これはさ~あれなの?」と何かお話をしようとしてくれたりもしました。何を言いたいのかは“神のみぞ知る”ですけれど、わからないなりに普通に会話をしている風な時間が過ごせることが、なぜかとても嬉しく思えます。
帰り道、「これすらもいつか終わってしまうのか」と考えて、今がどれだけ貴重かを噛みしめました。過去、介護で毎日感じていた怒りや悲しみを振り返ると「あんな風に思ってごめんなさい」と思いますし、兄への思いが真逆すぎて笑ってしまいます。
施設に入れていただき、良いケアをしていただいているお陰でございます。
これからも毎週面会に行けるよう、体調を含め精進してまいります。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性62才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現66才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ