《吉野家初の介護食 開発者が語る裏側》「施設に暮らす男性が死ぬ前に”吉牛”を食べたかった」を叶えた定年4年前の挑戦【新連載/想いよ届け!~挑戦者たちの声~Vol.1前編】
吉野家の牛丼に“介護食”があるのを知っているだろうか? 高齢者や咀嚼、嚥下機能が低下した人にも食べやすい『吉野家のやさしいごはん』シリーズを世の中に送り出したのは、定年が間近に迫ったある男性社員だった。高齢者や介護にまつわるヒットアイテムの開発秘話に迫るインタビュー企画、吉野家初の介護食を作った挑戦者たちに迫る。
挑戦者たち/プロフィール
佐々木透さん/『吉野家のやさしいごはん 牛丼の具』をはじめとする『吉野家のやさしいごはん』シリーズの仕掛け人。料理人として飲食業界に従事し、2001年吉野家入社。定年退職後も同社で外販事業部のアドバイザーを務める。現在は外食事業のコンサルティング事業も行う。
佐久間宗近さん/吉野家・外販事業本部で『吉野家のやさしいごはん』シリーズの営業責任者を務める。店長として現場経験も長く「現場の声」を開発にいかすべく奮闘。現在は社員としてレクリエーション介護士や福祉用具専門相員の資格も持つ。
吉野家の牛丼をすべての人へ!
「数えきれないほどたくさんの人たちが“おいしい”と喜ぶ笑顔を見たい」
高齢者や嚥下機能が低下した人でも食べやすい『吉野家やさしいごはん』シリーズの開発者、佐々木透さんの中には、人生を貫いて常にその想いがあった。
父親と喧嘩して家を飛び出し、仕事には就かずにフランスへ。本場で料理を学び、帰国後は調理師学校で教える立場になったものの、「人に食べてもらう料理を作りたい」との想いでホテルのレストランの副料理長となった。毎日、何百というオーダーの料理を作ったが、それでもその数にどこか物足りなさを感じていた佐々木さんは、コンビニ業界に転身し、弁当の開発に携わることに。
しかしここでも、さまざまな制約から目指す味づくりに没頭できなかった佐々木さんは、2001年、店内調理で“味”にこだわる吉野家に転職した。
それから約15年、商品開発に従事してきた佐々木さんだったが、気づけば60才の定年まであと4年に迫っていた。
そんなある日、佐々木さんは企業内起業の社内公募が初めて実施されることを知る。
「定年間近でもう時間はあまりないけれど、自分にも何かできることがあるのではないか。せっかくならば、何らかの形で社会に貢献できる事業を考えたい」
そこで頭に浮かんだのが、当時88才になっていた父親の姿だった。
「親父とは喧嘩して家を飛び出したわけですが、やっぱり、いつかは恩返しをしたいと思っていたんですね」
吉野家に入社後は、徐々に父親と歩み寄っていったという佐々木さんは、吉野家の「冷凍牛丼」をよく送っていたという。ところが父親は歳を重ね、次第に噛みづらくなってきたという話を母親から聞く。そこで佐々木さんには、はたと思い当たることがあった。
56才、社内公募に挑戦
「商品開発の仕事で店舗にもよく出かけていたのですが、よく来店していた高齢のお客様が突然来なくなることがあるという話を、何人もの店長から聞きました。そういったかたたちは、若い頃に“吉野家の味”を知り、会社が倒産して苦境にあった時期も食べ続け、支えてきてくれたのです。
父の話と高齢のお客様の話を重ね合わせ、歳を取って食べづらくなっても楽しむことのできる、高齢者向けの牛丼を開発したいと考えました」
2015年末に開かれた社内公募の最終プレゼンで、佐々木さんは、父親と会社、そして吉野家を愛し続けてくれている高齢者たちへの恩返しの想いを切々と訴えた。審査員たちは皆、涙していたという。
熱さが会場内に伝播し、最終選考7名のプレゼンの中で、佐々木さんのアイデアだけが、その場で吉野家ホールディングスの河村泰貴社長に即決採用された。
吉野家ホールディングスは、河村氏が2012年に社長に就任して以来、健康を軸とした展開に力を入れており、まさに佐々木さんの想いと社長の意識がマッチした瞬間だった。
そして、実はそれまで吉野家では高齢者向け商品や介護食を発売しておらず、会社としても初の試みとなった。
吉野家の味だけは絶対に守る!
実際の商品開発を、たったひとりでスタートした佐々木さん。提案が採用されてから商品化するまでの間、社内では佐々木さんの想いを後押しする声ばかりで、高いモチベーションの中で取り組めたという。
問題は、「とにかく“吉野家の味”だけは絶対に守ること」と会社から釘を刺されたことだ。
これが、難しい。例えばきざみ食を作るとなれば、牛肉や玉ねぎは細かくしなければならない。
また、飲み込みやすくするにはとろみも求められる。もちろん高齢者向けとなれば、塩分も減らす必要があった。医師、管理栄養士、介護関係者らからのアドバイスや“ダメ出し”を受けてそうした処理を行えば、当然ながら味は変わってしまう。
当初は常温商品での開発を目指していたが、高温高圧殺菌などが必要なことから“吉野家の味”の実現はこの段階では難しく、まずは冷凍食品として開発することになった。
技術的な難題は多々あったものの、佐々木さんは“食事の楽しさ”への想いを常に最優先で意識していたという。
「人間の衣食住に対する欲の中で、衣や住については歳を取ると落ちていく人が多いと思います。ですが食欲だけは、歳を取ろうが常にあります。食べたいものを食べられる暮らし、それも、黙々と無表情で食べるのではなく、楽しみながら食べられる喜び。私はとにかくそれを大切にしたいと思ったのです。そして、できることなら食べていただけるかたに、長く健康に生きていただきたい、と」
高齢者を対象とするなら、その数は何百万、何千万という単位になる。まさしく、佐々木さんが追い求めてきた“数えきれないほどたくさんの人たち”に、食の喜びをもたらす仕事といえるだろう。
施設で暮らす高齢者からの言葉
2016年の1年間かけて味を作り込み、「300回は試食しました」と佐々木さん。その間には、実際に介護施設で高齢者に食べてもらうこともあったが、当時は高齢者に肉を食べさせることへの理解が進んでおらず、反対する施設もあったとのことだ。
ちょうどその頃、高齢者の摂食機能障害とリハビリテーションが専門の戸原玄・東京医科歯科大学准教授(現・東京科学大学教授)と知り合い、協力を得て、2016年末にある介護施設で試食イベントを開催したところ、高齢者たちからは大変な好評を得た。その後も数回のイベントを開催し、いずれの場でも高齢者の舌を喜ばせていったことで、佐々木さんはようやく確かな手応えを感じた。
「あるイベントでひとりのおじいさんが控室に私を訪ねてきました。てっきり怒られると覚悟していたのですが、『もう死ぬまで無理だと思っていた吉牛を食べることができました。本当にありがとう』と言ってくれたのです。それも『牛丼』ではなく『吉牛』と。そのときはもう、やってきて良かったと思いましたね」
往時のファンを感動させた“吉野家の味”は、社内でもゴーサインが出され、2017年2月、吉野家初の高齢者向け商品として『吉野家のやさしいごはん 牛丼の具』が発売されるに至る。まずは冷凍食品として発売となった。
佐々木さんはこの後も研究を続け、最終的に2020年11月には常温商品の発売にこぎつけるが、それはまだ先の話となる。
ようやく販売が始まった『吉野家のやさしいごはん 牛丼の具』は、営業面で商品開発とはまた違った苦戦の連続に直面する。
孤軍奮闘していた佐々木さんを「熱意の人ですね」と評する佐久間宗近さんが、のちにこの営業を一手に引き受け、道を切り開いていくことになる。
撮影/横田紋子 取材・文/斉藤俊明