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《至極の名言に学ぶ》稲盛和夫さんが生前語ったメッセージ “運命から見放された”と絶望しながらも「前向きに明るく人生を生きていこう」と思えた理由

 京セラと第二電電(現KDDI)を創業、経営破綻した日本航空(JAL)の会長として再建を主導し、「盛和塾」の塾長として経営者の育成にも注力した稲盛和夫さん(享年90、2022年8月逝去)。著書の累計が世界2800万部に及ぶ実績を残した稲盛さんだが、10代の頃はうまくいかないことも多かったという。そんな稲盛さんが世の中の不公平を感じ、つぶれかけた会社に入ってもくじけずに心に決めていたこととは? 生前、若い人たちに向けて語ったメッセージをまとめた新刊『「迷わない心」のつくり方』(サンマーク出版)よりお届けする。(2000年3月17日、多摩少年院での講演より)

教えてくれた人

稲盛和夫さん

1932年、鹿児島市に生まれる。1955年、鹿児島大学工学部を卒業後、京都の碍子メーカーである松風工業株式会社に就職。1959年4月、知人より出資を得て、資本金300万円で京都セラミック株式会社(現京セラ株式会社)を設立。代表取締役社長、代表取締役会長を経て、1997年から取締役名誉会長(2005年からは名誉会長)。また1984年、電気通信事業の自由化に即応して、第二電電企画株式会社を設立、代表取締役会長に就任。2000年10月、DDI(第二電電)、KDD、IDO の合併により株式会社ディーディーアイ(現KDDI 株式会社)を設立し、取締役名誉会長に就任。2001年6月より最高顧問となる。2010年2月には、政府の要請を受け株式会社日本航空(JAL、現日本航空株式会社)会長に就任。代表取締役会長を経て、2012年2月より取締役名誉会長(2013年からは名誉会長)、2015年4月に名誉顧問となる。一方、ボランティアで、全104塾(国内56塾、海外48塾)、1万4938人の経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、経営者の育成に心血を注いだ(1983年から2019年末まで)。また、1984年には私財を投じ公益財団法人稲盛財団を設立し、理事長(2019年6月からは「創立者」)に就任。同時に、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰する国際賞「京都賞」を創設した。2022年8月、90歳でその生涯を閉じる。

人生、悪いことばかりではない

 私は、京セラという会社を41年前に、私が27歳のときに作っていただきました。また16年前に、第二電電(現KDDI)という会社もつくらせていただきました。現在では、両社の従業員数は全世界で4万人を超え、売上は2兆3000億円という規模に達しています。

 このようなことを話すのは、自慢話をしたいからではありません。

 今もご紹介がありましたが、私は日本列島の南端鹿児島に生まれ、少年時代から大学までずっと鹿児島で育ちました。23歳で京都に出てきて就職したのですが、鹿児島弁しかしゃべることができない、典型的な地方出身の青年であったわけです。

 そのようないわばどこにでもいそうな青年が、京セラのような大きな会社をつくり上げ、経営することができるようになった、その理由をお話しして元気を出してもらいたいと考え、この場に立つことを決意した次第です。

 みなさんは、間違いを犯し、挫折をし、人生の途中で傷つかれたことと思いますが、その人生というものを、お釈迦さまは「諸行無常」という言葉で説いておられます。

 世の中というのは決して一定のものではなく、災難に遭ったり、幸運に出会ったり、流転していくのが人生なのです。つまり、決していいことばかりは続きませんし、悪いことばかりであるはずもありません。波瀾万丈こそが人生だとお釈迦さまはおっしゃっておられます。

 では、そういう私自身の人生がどのようなものであったか、また私がどんな少年だったか、包み隠さずお話ししたいと思います。

クラス二番手・三番手のガキ大将

 私は、小学校に入ったとき、一人では学校に行けませんでした。

 みなさんの中にもおられるだろうと思いますが、お母さん子で内弁慶だったのです。

 入学式が終わったあとは、毎日学校へ一人で行くのがたまらなく嫌で、泣きわめいて家を出ていかず、1週間ぐらいは母親に一緒についていってもらったというほどの甘えん坊の泣き虫少年でした。

 しかし、その少年は内弁慶なものの、やんちゃな一面も持ち合わせていました。ですから、しばらくすると環境に慣れ、遊び友達がたくさんできて、次第に学校が楽しくなってきました。すると、勉強よりも友達との遊びのほうが面白くなってきたわけです。

 私の子どもの頃は戦争前で、遊び道具は何もありません。家のそばに川が流れていましたので、友達を連れてきては魚を獲ったり、戦争ごっこをしたりして、いろいろと工夫しながら遊んでおりました。

 そのような遊びがたいへん面白いものですから、勉強は1年生の最初の頃に少ししただけで、あとは卒業するまでの6年間、ほとんど勉強らしい勉強をしたことはありませんでした。

 両親も小学校しか出ておらず、「勉強しなさい」とは一言も言わない。それをいいことに、私は遊び呆けていたわけです。

 また単に遊び呆けるだけではなく、みんなの中心でいたいと思った私は、いつの間にかガキ大将となっていました。

 私の通った小学校は各学年に6組ほどあり、そのクラスごとにガキ大将がおり、私はクラスのガキ大将ではなく、クラスの二番手か三番手か、つまり中派閥のガキ大将でした。

 今でも忘れませんが、集団でイジメまがいのことをしたこともありました。

 6年生のときに、おとなしい友達をいじめてケガを負わせ、職員室に呼ばれて先生から頬がふくれ上がるほど殴られ、「おまえみたいな悪い奴は卒業させん」と叱られたことがありました。

「おまえは鹿児島一中を受験したいと言っているが、鹿児島一の中学校に受かるはずがない。おまえの内申書は下の下だ」とまで言われるし、母親も学校に呼ばれて、校長先生や担任の先生からたいへん叱られたようです。

 私は、先生が生徒を公平に扱ってくれないということに対して常々不満を持っており、それがイジメとなったのであり、いわば私なりの正義感に基づくものであったわけです。

 しかし、どのような理由があれ、私がやったことは悪いことであり、先生からたいへん叱られました。これなどは、私が子どもの頃に犯した大きな罪であるわけです。

中学受験の失敗と、敗戦での貧乏生活

 その後、鹿児島一中を実際に受験しましたが、案の定、受かりませんでした。そのため国民学校高等科で1年間、今でいう浪人生活を経験し、翌年も同じ鹿児島一中を受けましたがまた落ちてしまい、滑り止めで受けた私立鹿児島中学に入学することになったわけです。

 その年、鹿児島は焼け野原となり、私の家も焼けてしまい、日本も戦争に負けてしまいました。ちまたには両親を亡くした戦災孤児があふれ、彼らは飢えに苦しんでおりました。私は幸い両親が健在で、きょうだいも誰も死ななかったものの、家はたいへん貧乏になり、戦後はどん底の生活を焼け野が原の中で送るようになりました。

世の中はなんて不公平なのか

 私が中学3年生のときに、旧制中学から新制中学へと学校の制度が変わりました。私はそれまで、中学を卒業したら就職をしようと思っていました。貧乏ですし、次男坊でしたから、地元の銀行にでも勤めて、両親の生活を少しでも支えてあげたいと思っていたのです。ところが、担任の先生が「稲盛君、新制高校ができたので行きなさい」と勧めてくれ、さらには「貧乏で上の学校には行かせられない」と言う両親を説得し、高校進学への道を切り拓いてくれたのです。

 ですから、高校を卒業したときには、「今度こそは就職をしよう」と思っていたのですが、そのときもまた、担任の先生から「ぜひ大学へ行くべきだ」と勧められて、大学を受験することになりました。

 かつて家族や自分が結核になったことがあることから、医者になりたいと考え、大阪大学の医学部を受験しましたが、田舎の高校でそれなりに勉強はしていたものの、その程度では残念ながら入試には通りませんでした。

 そのため、滑り止めで受けていた鹿児島大学に入学することになりました。当初は、もう一度翌年に大阪大学を受けようと思っていましたが、家が貧乏であったために断念し、そのまま鹿児島大学で4年間学び、工学部応用化学科を卒業しました。

 就職にあたっては、家が貧乏な上に弟や妹がたくさんいることから、家計を助けるためにはいい会社に入って、いい給料をもらおうと考え、一流企業に就職しようと思っておりました。

 大学の先生方もいろんな会社を紹介してくれたのですが、私が大学を卒業した昭和30年頃はちょうど就職難で、重役の親戚や知り合いでなければ採ってはくれない時代でした。私も何社も受験をしましたけれども、どこも採ってくれはしません。そのとき私は、「世の中はなんて不公平だろう」とつくづく思いました。

運から見放された自分

 私は子どもの頃から、「こういう方向に行きたい」と自分が希望しても、その通りにかなったことは一度もなかったのです。

 中学を受けては滑り、再び受けては滑り、やっと高校に行き大学を受けては滑り、そして就職試験を受けても滑りというように、自分がやることはことごとくうまくいかないと思っていました。

 そのため、クジ引きで他の人が当たることがあっても、私は絶対に当たらないという、自信めいたものまで持っていました。いわば、自分は運命から見放されているために、何をしてもうまくいかないのだとまで思い込んでいたわけです。

 そのとき、「世をすねて渡ろう」という思いが、私の心の中にムラムラッと起こってきたのです。

 みなさんも、ひどい目に遭うと、「なんで自分はこんな目に遭わなければならないのだ。自分がどれほど悪いことをしたのか」と世を恨んだり、妬んだりする気持ちが起こってくることと思います。

 私もそういう気持ちになり、「どうせうまくいかない人生なら、世をすねて渡ろうか」とまで考えたわけです。
 
 しかし、私の家には、自分の進学をあきらめ私を大学に行かせてくれた長兄や、私ががんばって稼いでくれることを待つたくさんの弟や妹がおりました。

 そのため、私は「たしかに今は運が悪いし、何もうまくいかない。しかし、神さまは公平に見てくれて、今度は、私にだって幸運を授けてくださるだろう。前向きに明るく人生を生きていこう」と、無理矢理にでも思うことにしました。

入れたのはつぶれかけの会社

 そして、先生の紹介を通じて、やっとのことで京都の会社に就職することができました。しかし、その会社はすでにつぶれかかっていたのです。

 私は、あまりお金を持たずに鹿児島から京都へ出てきました。そして、お給料をもらうまでの1カ月間だけ辛抱すればいいと考え、何とか食いつないでいたのですが、その給料日になっても給料が出ないのです。

 会社からは、「お金が準備できないので、1週間待ってほしい」と言われるのですが、1週間待つと、また「もう1週間待ってくれ」と日延べされるような有様です。

 私は、「どんな困難があろうとも、どんなに苦しいことがあろうとも、前向きに生きていこう」と心に決めていましたが、実際にはこのような職場環境でしたので、文句も言いたくなるし、暗い気持ちになったこともたびたびでした。

 しかし、だからこそ前向きに明るく振る舞って生きていこうと、私は常に自分を励まし、自分たちの会社をおこしたあとも、誰にも負けない努力を続けていきました。

 それから41年が経ちますと、そんな私が経営する企業グループは、2兆3000億円という売上規模を誇る会社に成長することができたのです。少年時代からずっと不運続きだった私に、このようなことができることなど、とても信じられないことなのです。

 私はこのことを、23歳からずっと「人生というものは決して悪いことばかりではない。私にもきっと幸運が訪れるはずだ」と信じ、ひたむきに努力を続けてきた、その結果だと考えています。

 明るく前向きに人生を歩んできた結果として、今のすばらしい人生があるのだとつくづく思うのです。

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