脱・身体拘束|要介護5の人でも行動制限なしのデイサービスはなぜうまくいったのか
身体拘束について、その是非を考えてきた「介護の知らない世界」
ここまで有料老人ホーム、在宅介護、病院と、それぞれの状況下での脱・身体拘束についてみてきた。
今回では、特別養護老人ホーム(以下・特養)の取り組みをリポートする。
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隅田川の流れと、対岸の町工場たちが見渡せる場所に建つ『ケアポート板橋』。社会福祉法人不二健育会(理事長竹川節男)が運営する特養だ。
老人福祉施設と短期入所、合わせて定員は120名。その他、通所介護(デイサービス)も併設されており、こちらの定員が50名だ。
5階建て建物は、2階からは吹き抜けを囲う造りになっていて、各階に食堂と居室、ラウンジやスタッフステーションが配分されている。
居室を見渡せる廊下には「夕焼け通り1丁目」「あかつき通り2丁目」などの番地がふられており、各階が緩やかに独立した町として運営されている。
1階には大きな厨房があり、全ての食事がここで調理される。
厨房に隣接するようなかっこうで、広々としたデイサービスフロアが配置されているのだが、こちらが今回の舞台だ。
利用者が好きなように動くことができるデイサービス
「ここは、スピーチロックゼロのデイサービスフロアです。ぜーんぶご利用者さんに任せるというのがこのフロアの基本方針です」
ご案内いただくのは介護長の宇津木忠氏。
当連載で何度も紹介してきたが、身体拘束には「フィジカルロック」「ドラッグロック」「スピーチロック」と、大きく分け3つの種類がある。
体を縛るフィジカルロック、薬を用いるドラッグロックは分かりやすい。脱・身体拘束の課題として最後まで残るのは「じっとして」とか「そこで待ってて」など、言葉で行動を制限する「スピーチロック」だ。
「このフロアでは、スピーチロックはもちろん、ご利用者さんの行動を制限することはありません。好きなように動いていただいています。またここにいるときは、身の回りのことをご利用者さんにやってもらう。または、手伝ってもらう。がモットーです。そのための仕組みを工夫しています」(宇津木氏、以下「」同)
デイサービスとは日帰りで食事や入浴、機能訓練、レクリエーションなどを受けることができる介護保険サービスだ。要支援1~2、要介護度1〜5の方が利用の対象となる。
現在、ケアポート板橋のデイサービスは平均43.7人のお年寄りが利用している。平均の要介護度は2.2ほどだ。
「なかには要介護5の方もいます。でもここでは自由に動いてもらっています。我々は基本、見守るだけ。ご利用者にお任せしていると、案外いろいろなことがうまくいくんです」
スタッフが介助せずに見守り続けた結果起きたこと
デイサービスフロアは、数人がけのテーブルごとに1〜7までの班に分けられている。食事やレクリエーションなどは班ごとに行うのが基本だ。食事の配膳や下膳も班ごとに利用者自身が行う。
スタッフは各テーブルにお湯の入ったポットと急須を置くだけ。あとは利用者自身の仕事だ。
「あるとき、男性だけの班ができてしまったことがありました。男ってこういうとき動かない。食事の時間、テーブルの上に置かれたポットと急須を前にしてひたすら待っている。スタッフのひとりが思わず手伝おうとしたのですが、私はそれを制してしばらく様子を見ることにしました。場合によっては手伝うことも『拘束』になってしまうことがあるからです」
男性だけの班には認知症の方もそうでない方もいた。自由に体が動く人も混じっている。それなのに、皆ポットと急須を見ているばかりで何もしない。
「登場したのが隣の班の“お節介おばちゃん”です」
──ほら、なにぼーっとしてんの!
といった感じだろう。近隣の班から見かねた女性陣がやってきてあれこれと世話を焼き始める。つられるようなかっこうで「そうか、お茶か」と、男性たちも動き始める。
お節介おばちゃんたちは、それ以上踏み込まない。頃合いを見て引いていく。
「お節介って、つまり『節度のある介入』なんですよね。おばちゃんたちは自宅でも同じことをやってきたのだと思います。だからツボを心得ている」
利用者の自主性を促すポイント制度
利用者のお節介を絶妙に後押ししているのが『かもめポイント』だ。
「ケアポート板橋だけで流通するポイントです。みなさんスタンプカードを持っていて、スタッフの代わりに作業をするとポイントが発生し、自己申告制でカードにかもめのスタンプを押していきます。10ポイント貯まれば“かもきっぷ”が1枚発行され、これを10枚貯めるとスタッフと一緒に好きな場所への外出や、月に一度施設内で行われる“かもめフリーマーケット”で活用できます」
作業の種類はフロアの壁に張り出されている。通称「かもめはローワーク」だ。
「お茶セットのカップ・片付け準備」「おしぼりの補充」「昼食後の下膳」…などなど、時間割に合わせて様々なものが用意されている。ひとつこなすごとにポイントが貯まる仕組みだ。
利用者が別の利用者の世話を焼きすぎると、その人のポイントを奪うことになる。心得ているので介入しすぎない、方法だけ教え適度なところで身を引く。まさに節度ある介入、“お節介“だ。
食後、厨房とフロアを仕切るカウンターの前は利用者の金野カツ子さんと渡辺和代さんの定位置だ。使用済みのふきんを畳んだり、下膳されてきた食器の残りものを処分したり、テキパキと働く。
「家にいるときはなーんにもしないんだけど、ここにくると働いちゃうの。不思議ねぇ」(渡辺さん)
「かもめポイントも貯まるし。そういうのが楽しいかもしれないね」(金野さん)
「あーた、マスクはずして素顔見せなさいよ、美人なんだから」(渡辺さん)
「それはだめ、今日はすっぴんだから、アハハ」(金野さん)
このような楽しげな会話、笑い声がそこかしこで聞こえる。
「行動制限なし」の導入以来、大きな事故は起こっていない
こちらのデイサービスを利用する際、本人や家族に運営方針が説明される。
「ご利用者の自主性に任せて、やれることは積極的にやっていただく。言葉や器具で行動を制限することは一切しません。なので転倒などの事故が起きてしまう可能性もある。そうしたことを隠さずお話しますが、『それでは困ります』と言われたことはありません。また幸いなことに平成24年の取り組みスタート以来、自治体に報告するような大きな事故起こっておりません」(宇津木氏)
ケアポート板橋のデイサービスを見ていて気づいたのは『4つ目の拘束』の存在だ。
介護する側が介入しすぎると、利用者同士のつながりを断ち切る可能性がある。人と人が関係しあい、気持ちのやり取りがあってこそ健全な社会だ。
もちろん手助けは必要だが、やりすぎは要介護者の社会的な行動を制限してしまうことになりかねない。『社会的拘束』を回避するには節度ある介入、つまり『お節介』が重要なキーワードとなりそうだ。
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『介護の知らない世界』はここまで8回にわたり、身体拘束について考えてきた。
患者や介護される人たちの自由や尊厳を著しく毀損する拘束。完全にゼロにするのは不可能なのかもしれないが、この連載が身体拘束に関わる問題を考えるきっかけになってくれればと願っている。
国も問題の深さを感じており、介護保険の仕組みのなかに『身体拘束廃止未実施減算』が用意されている。
平たくいうと、身体拘束廃止に向けた取り組みを行わない施設(民間の有料老人ホームも含む)にはペナルティを課しますよ。ということ。
具体的には以下の要件を満たさない場合に介護報酬が日ごとに10%減算される。
【1】身体的拘束等を行う場合には、その態様及び時間、その際の利用者の心身の状況並びに緊急やむを得ない理由を記録しなければならない。
【2】身体的拘束等の適正化のための対策を検討する委員会を3月に1回以上開催するとともに、その結果について、介護従業者その他の従業者に周知徹底を図ること。
【3】身体的拘束等の適正化のための指針を整備すること。
【4】介護従業者その他の従業者に対し、身体的拘束等の適正化のための研修を定期的に実施すること。
以前は【1】だけだったが、2018年度から【2】【3】【4】が追加された。運用がより厳しくなったといえる。
ただ、減算するだけでは現場は動かないのでは、と筆者は感じる。
身体拘束廃止について前向きに実施した施設には加算(報酬を増やす)する仕組みを作れば現場の士気も上がるように思う。しかし残念ながら今はない。
身体拘束についての連載はいったんここで区切りをつけるが、今後も何かしらの動きがあれば、随時お伝えしていくつもりだ。
【データ】
ケアポート板橋
住所:東京都板橋区舟渡3-4-8
撮影・取材・文/末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動するライター。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都台東区にあるホスピスケア施設にて週に1回のボランティア活動を行っている。