兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第211回 兄、“食べること”を忘れる!?】
世の中は、行動制限のない夏休みにレジャーやお出かけをしている人が大勢いますが、ツガエ家はそれどころではないようです。若年性認知症を患う兄の症状が進んでしまったのです。妹のマナミコさんの気が休まるときは、なかなかやってきません。
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「は~い、ご飯ですよ~、お口開けてくださ~い」
認知症は記憶が消えていく病気といわれていますが、さすがに生きるために必要な最低限の欲、原始から備わる“食欲”は忘れたりしないと思っておりました。でも、昨今の兄の食の細さをデイケアやケアマネさまにご相談したところ、「忘れちゃってるのかも」とおっしゃるではありませんか。「そんなことあるんですか?」と驚いたツガエでございます。
ここ2~3週間でどんどん食べる量が減り、水分をすすめても置きっぱなしのことが増えてきたので、わたくしもだいぶ声掛けはしてきたのですが、先日のデイケアでは、ついに「食事介助」があったそうです。つまりスタッフの方によって口の中まで食べ物を運んでいただいたのです。それでもなかなか飲み込まず、半分しか食べなかったそう…。
食欲がない経験はわたくしにもございます。仕事や遊びに集中しすぎて食べることを忘れることもギリギリあったりいたします。でもそれは気付いたら食事時間が過ぎていたのであって、食べることを忘れたわけではございません。
兄のそれは根底から“食べること”を忘れるという意味。目の前に食べ物があっても、それを口に運んで咀嚼して飲み込むという“食べる”行動につながらないのです。食べることは記憶や教養などではなく生き物としての本能でございましょう? でも、認知症では、それが欠落することもあるのですね。なんと恐ろしい病気なのでございましょうか。
食べることのみならず、飲むことも同様なので、ただでさえ熱中症の危険な夏に、ツガエ家は非常事態でございます。
ということで、いよいよわたくし食事介助デビューいたしました!
それまでは、2時間声掛けしても1~2口食べて残す様子に「そんなんなら食べんでええわい!」とばかりに残食をゴミ箱に捨ててまいりました。さすがに3週間もそんなことが続くと兄も痩せてまいります。ゲッソリというほどではございませんが、言われてみれば…という程度にはシュッとした印象でございます。ゲッソリしないのは、甘いパンや甘いお菓子なら自ら手を伸ばすから。”食べることを忘れる”といっても、甘いものは別腹なのでございましょう。ご都合のいいご病気でございます。
さて、昨日の夕食から食事介助を始めました。兄のお匙にご飯を乗せて「は~い、ご飯ですよ~、お口開けてくださ~い」とやっております。兄は素直に口を開けてモグモグしてくれるので少しずつでも食べてくれることに安心はしております。これで最低限の栄養は確保できるでしょう。ただ、咀嚼に時間がかかり飲み込むまでが長いことが玉に瑕(たまにきず)。
合間に自分の食事を終え、食器やお鍋を洗い、新聞を読んだり、メールをチェックしたりしながら兄に一口ずつ食事を運ぶわたくしは、ヒナの口に餌を運ぶ親鳥のようでございます。今のところお椀やコップを持たせて「どうぞ、飲んでく~ださい」といえば、お味噌汁もお水もなんとか飲んでくれるので気楽な食事介助ではございます。
「食事介助」は手が思うように動かなくなったり、目が見えなくなったり、ボーっと一点を見つめて何もしなくなったら必要になるという認識でございました。兄はまだ身体的に問題はなく、時々ひょうきんな顔をしておどけるような人間性は残っております。それだけに「お食事が目の前に出されれば自力で食べるはず。食べないのはわがままなんだ」と思ってまいりました。でも”食べることを忘れる”ことがあると知って「そういうもんなんだ、このご病気は…」と納得いたしました。
とはいえ、変わり果てた兄に食事介助をするのは気乗りのしないお仕事でございます。
「ごはんですよ、お口開けてください」
「はい、お水どうぞ」
「次はお野菜食べましょう、あ~ん」
これをやり続けることができるのか、ツガエは自問自答しています。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ