兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第197回 人は人、ツガエはツガエ】
ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症の兄との2人暮らし。ハプニングがたびたび起こる毎日で、驚いたり、困ったりする日常を送る中で、気の持ちようにも変化が起きてきました。今回は、「常識」とは何かを考えたマナミコさんです。
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「常識」と「非常識」について考えてみる
いつものようにわたくしが、自室に閉じこもって仕事(ときどきYouTube鑑賞も)をしておりますと、リビングからテレビの音とともにシャキーン、カシャン、シャキーン、カシャンという金属製の音が聞こえて参りました。聞き覚えのある音に「なんだっけこれ」としばし考えましたところ「ZIPPOだ!」とひらめきました。
ZIPPOライターは若かりし兄が趣味として収集していたもので、20個ほど並べられる専用のケースがいくつもあるのを引っ越しの際に拝見していました。兄が若かりし当時は「タバコ」が男子の嗜みの上位に君臨しておりまして、ZIPPOは男子のファッションアイテムの一つだったように記憶しております。コレクションは主に観賞用なので、ほとんどのものはオイルが入っていない未使用品。放置しても発火することはございません。
でも、兄はタバコを吸っていた時期もございますので、オイルの入ったZIPPOをいくつか使っておりました。この日、兄は気まぐれにそれを持ち、蓋を開けたり閉めたりしていたのでございます。
それまでZIPPOの存在を忘れていたと思われるのに、手癖と申しましょうか、シャキーン、カシャンというその音を楽しむ一連の動作は、持った感触で無意識に蘇ったのでございましょう。
音を楽しむだけなら何も問題ございませんが、間違って火がついてしまったら何が起こるかわかりません。なにしろ常識を失くしておりますので、「こうしたらどうなるかな~」とヒラヒラするカーテンにゆらゆらする火を近づけてみるかもしれないのです。
あわてて兄のそばに行き、「今のZIPPOだよね?ちょっと見せてくれる?」と言って「これ火がつくやつだから、間違って使うと家が火事になるから預かっておくね」と兄からZIPPOを引き取りました。今度のデイケアの日には、兄の部屋を捜索し火が付くZIPPOを撤収しなければと思っているツガエでございます。
「なぜそこでする?」という排泄問題しかり、パンツの前後が逆だったり、上着を足に穿こうとしたり、スプーンがあってもお箸でスープを飲もうとしたり、やっとベランダ用のサンダルに履き替えてくれたと思ったら、そのまま部屋の中に入ってきてしまったり……。兄を見ていると常識とは、いったい何だろうと思います。いちいち腹を立てている自分のほうが潔癖症でオカシイんじゃないかと思ったりもいたします。
常識は、人間が考えた社会的なルールで、人間である以上、守って当たり前、守れない人は「非常識」というレッテルを貼られるわけでございます。犬や猫にだって躾をし、人間の常識を守らせようといたします。
兄は常識を失っているので、大方「非常識」でございましょう。でもわざとではございません。ナチュラルに生活をすると非常識になってしまうのです。
そう思うと、わたくしども人間は、常識という名の下で、ひどく窮屈な生き方を強いられていると考えられます。「〇〇しなければいけない」とか、「〇〇しないのはおかしい」といった暗黙のルールに毒されていると申しましょうか…。
兄が社会の常識から逸脱していることは明らかですけれども、生き物としては兄の方が自然なのかもしれないと思い、若干うらやましいのでございます。世間のしがらみやらルールやら、お金の心配からも解放されて、1日3食昼寝付き。考えるための記憶も言語も乏しいので、何をしても罪悪感を持つことがなく、少し怒られても時間が経てば忘れられ、何か言われても「わからない」と言えば万事OK。
そうやって生きている兄のしわよせは、全部わたくしの方へ来ているわけで、「そりゃ苦労するわ」ってお話です。
これはもう人類に生まれてしまった性。地球の一部として与えられた役目なのだと思うしかございません。花は花、人は人、ツガエはツガエを生きるのみ。永遠ではなく「100%終わることが決まっている」のがせめてもの救いでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ