連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第38回 孫の来日」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。父亡き後に認知症を発症した母と千葉・勝浦で暮らす飯田さんが、母との日々を美しい写真とともに綴ります。

孫の来訪

 先日、母の孫・A君が英国からやってきた。

「私、孫いたっけ?」

 そんな言葉を口にすることもあった母だが、きっと会えば思い出すとは思っていた。

 実際、孫が来訪したら、本当に何事もなかったかのように、母は当たり前にA君を迎え、喜び、数日を一緒に過ごした。

 コロナを無事に切り抜け、知らぬ間に成人した孫(私にとっては甥)。英国という遠方からの来日直前、風邪を引いたということで大事をとって出発が延期なり、ようやく成田に到着したのだった。

 背丈も180cm近くになり、頬にはニキビの跡も。私の父母にとっては待望の初孫でもあったので、英国という遠方に住む孫のことは毎日の話題に上るほどの溺愛ぶりだった。

 孫は彼を含めて3人だ。幼い頃に来日したときは、勝浦の庭でも3兄弟はよく遊んでいた。今回は長男のA君だけが単身来日し、しばらくは日本各地で見聞を広めるらしい。

 英国などヨーロッパでは、高校の間に大学を選ぶための重要な試験があり、卒業後、自分が進路を見つけるまでは大学へすぐに進まずに、「ギャップイヤー」と称して世界を旅したり見聞を広める時期を作るという。進学こそが全てだった時代の日本も、そろそろそんな余裕をもった教育に移行してもいいのかも知れない。

 母にそう説明すると「ああ、それはいいねえ」と相槌を打ちながらも、すぐに忘れて「A君はもう大学生なの?」と質問を繰り返す。

 そして、久しぶりに弟(A君の父親)も一緒で、A君、私と母で食卓を囲んだ。

「私が子供の頃ね、夏休みは親戚の家に預けられてね、毎朝のトーストが嬉しかったのよ」と、いう話題を繰り返す母。

 かと思うと、「あなた納豆食べられる?」とA君に何度も聞いている。幼い頃から日本食が大好きだったA君。梅干しと納豆好きは家族皆が知っているのだが、そんな幾度も繰り返される同じ話題に、弟は困った笑顔で応えている。A君は母の日本語がうまく理解できないのか、やはりただ笑顔を返すのみ。

 英国では、高齢者が家族と同居するということが、ほぼ無いという。ヨーロッパの個人主義の国らしく、英国も高齢で独り身となれば老人用の施設に入るらしい。福祉や人権を早くから唱えていたお国柄もあるのだろう。

父のお墓参りに

 お天気の良い日、なかなか行けないからと4人で父のお墓参りに出かけた。

 お参りを済ませた後、母は住職の奥様に「この子は孫なんですよ。英国から来てくれてね、今は高校を出て、大学行く前の時期ですの」ときちんと解説しているではないか!

 気持ちが高揚し、幸福感に満ちると脳のスイッチが入ったように突如クリアな母が現れる。

「PCでも普段は省エネでスリープモードになるみたいに、90歳を超えると普段は超省エネモードになっているのかもねえ」
と私。「あり得るねえ」と弟。

 昨年には、母もそろそろ弟の暮らす岡山で施設に入るのもいいかも知れない、という相談もしていたのだが、私と母の勝浦暮らしプラス、ショートステイ利用のペースがいいバランスになってきているので、その案はひとまず無しにした。

 弟は「姉貴自身の時間もなくて大変では?」と案じてくれるのだが、母に聞くと「年取るとね、あまり色々な場所に移ると本当におかしくなるのよ。うちのお婆ちゃん(姑)がそうだったでしょう?だから勝浦にいるのがいいわ」と言う。

 個人差はあれど、変化への対応力が無くなったとも言える。その代わり、大きな変化やスピード感のある時には見えない些細な気づきが増えたように感じている。

 人間関係も同じく、頻繁に会うことのできない友人であっても、会えた時の安心感や友情は若い頃よりも深まっているように感じている。コロナ事情という壁があっても、その壁を乗り越えてさらに結ばれている関係こそが本物だから。

春の庭先から

 こうしてあっという間に季節は移ろっているが、今年は何と言っても寒い!4月に入っても暖房をつけ、しまい込んだフリースを出して着る。房総半島の中でも勝浦の、まして山の上のわが家では、海辺の家の庭と比べ、2週間ほど植物の育成が遅い。

 昨年の年末に植えた絹さやインゲンが白い花をつけて、次々と実になっていく。母は庭を一巡りし、インゲンを見つけては「お味噌汁の実にしたらいい」と一掴みしてくる。

 しかし、実際に味噌汁の具にして「ほらね、さっきママが採ってきた豆」と話しても、「はて?」という表情の母を見て、私はガックリということもある。

「あ、今はオフモード中なのね」と私は心の中で呟く。些細なことにイラついていたこともあったが、意外と今はスルーできている自分がいる。

フラワーフェスティバルでのご縁から

 館山の友人が主催するコミュニティーガーデンで毎年この季節に開催するフラワーフェスティバル。今年は3日間だけのプチ写真展も開催してみた。

 すると、ガーデンの仲間が近くで個人宅のギャラリーをしている方を連れてきてくださり、5月に1週間でギャラリー展示をする話が持ち上がったのだった。

 ご縁とは不思議なものである。前向きに一歩踏み出すと、また一つ開けてくる。そう、花びらが開いていくように。

 そこで、そのギャラリーオーナーの方とお話ししているうちに、あるアイデアが想い浮かんだ。

 日々母が編み続けているコースターはまるで花のようでもある。そして、もうかなりの数になっている。写真と編み物、さらに藤沢にいる母の従姉妹の叔母も長く書道を続けている。この3人で展示ができたらいいのではないか?きっと良き思い出にもなるのではないか?

 このアイデアをお話すると「それはいいですね」と快諾いただいた。

 こうして、5月末からの予定で今、母も庭からの花をテーブルいっぱいに活けた花々に囲まれて制作に励んでいる。

「ママと私と、おばさんで展示会をやりますよ。精を出して編んでくださいね」

 そう書いた紙をテーブルに置いてみた。

 しかし、それから数日してギャラリーの方が打ち合わせで勝浦まで来てくださることになったとき、母にそう伝えてみると「え?」と全く理解していない様子だ。

 多分、「ギャラリー」「展示」といったワードと自分がリンクできず、頭に入らないのだと思う。

 ギャラリーの方にはいつものように「私はよく働いてきたのよ。丸の内でタイプを打っていてね…」とワーキングウーマンだった自分をアピールするのだが、60年以上ずっと主婦だった母にとって、自分の作品を展示するということを現実的な作業として捉えることができないのだろう。

 展示会場では、ギャラリーの方と私と叔母が準備をするにしても、母だって自分の作品をセンス良い色合いで並べることはできるはずだ。私には、それを楽しんでいる母の姿が目に浮かぶ。

 そう決めてからも内心では、「ああ、またやることを増やしてしまったなあ」と自分を案じたりもする。

 しかし、これは良い思い出になること間違いないのだ。私一人の展覧会より、母と叔母という大先輩のそれぞれの年代の表現をコラボしてみること。こんな夢のような事が実現できるのだから。

 一心不乱に編み物をしている母を見てそう思った。

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写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。HP:https://yukoiida.com/

●娘と母とおばの3人展「海と花」60代・80代・90代それぞれの表現 開催のお知らせ

日時:5月31日(水)~6月8日(木)11時~17時(最終日は16時)

場所:Gallery&Cafe 遊日(Yuu Bi)
勝浦市布沼1207-101
TEL・FAX 0470-29-5239

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