兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第182回 日々是自分観察】
仲のいいきょうだいでも夫婦でも、家族と一緒の生活では、腹が立ってしまうことは誰にでもありますが、若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさんとてそれは同じ。しかも、病気が進行している兄とのコミュニケーションはなかなか難儀なことです。マナミコさんは、自分の心持ちを客観的に観察することで、苛立ちを乗り越えようと日々努力をしていますが、それでも大変なことは大変だというお話です。
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私が作ったおかずを残した兄に腹が立った日
どうも! お仕事が思うように進まない焦りと苛立ちを隠すことができないツガエでございます。
兄が夕飯のおかずを残したことで「お腹いっぱいなの? 食べにくかった? 美味しくなかった? どれ?」と問い詰めてしまったわたくし。「う~ん」と煮え切らない兄を見て「無理して食べることないけど、どうして残すのかを知りたいんだけど」としつこめに聞き続けてしまいました。すると「じゃ、食べるよ」という兄の一言にカチンッ。「じゃ、って何よ。そんなんなら食べないでいいから残してっ」とエキサイト。「これは食べないとまずい」と思ったのか、そのあと兄がかき込むようにしておかずを完食いたしました。
わたくしはお皿を洗いながらガンギレで「ごめんね、こんなまずいもの作って。無理やり食べさせて…。これはもう作らないからごめんなさい」と、気持ちのない言葉を吐いておりました。
前回の最後に「自分観察」がなんちゃらと偉そうに達観したようなことを書きましたが、所詮、おかずを残されたくらいでキレてしまう器の小さな人間でございます。「こっちは忙しいのにご飯作ってんのよ」「テレビばっかり見ているくせに残すって何?」と、ありがちな心の声を観察した結果になりました。
ちなみに問題となったメニューは玉子とほうれん草と豚肉を炒めただけの冷蔵庫の余りもの料理。時短やっつけの一皿でしたけれど過去にも出しておりますし、普通に食べられる味だったので、なぜ残したかを知りたかったのは本当です。何か理由があるはずなのに兄は言葉で説明ができません。
「もう作らない」と言い放ったものの、その舌の根も乾かぬうちに「今度は片栗粉でとろみをつけてみよう」と思っている負けず嫌いでございます。
暮れには仕事もプライベートも多少立て込み、兄にお留守番をお願いする日がいつもより多めにありました。家にいるのが「つまらない」と感じたのか、「マナミコばっかり出かけてズルい」と思ったのか、ある日、わたくしが外出の支度をしていると「どっか行くの?」とポツリ。「うん、今日はお友達のところに遊びに行くの」と答えると「いいね、いっぱいお友達がいて」と言うので「おかげさまで」と返しておりました。
するとしばらくたって「ボク…ボクも乗せてってよ」と遠慮がちにおっしゃるではありませんか。そんなことを言い出したのは初めてでしたので「やっぱり外に遊びに行きたいんだなぁ」と感じました。と同時に「乗せてって」という言葉に車に乗って出かけたいのだと察したわたくしは「一緒に行く?でも車じゃないよ。電車なの。そのあといっぱい歩くし」と言うと「そうか、たいへんだね」とすごすごと引き下がっていきました。
このとき、連れて行くつもりもないのに「一緒に行く?」と言いつつ全力で来ないように規制線を張り巡らした自分をつぶさに観察できました。
認知症になる前は車を所有し、父や母やわたくしもよく乗せてくれた兄です。その兄に認知症の診断が下ってしばらくして車を手放させ、令和になった頃に免許を返納させたのはわたくしです。わたくしがペーパードライバーでなければ、レンタカーでもしてドライブに連れていってあげることもできますけれど、なにしろ免許取得から40年間で2~3回しか運転経験がないのですからお話になりません。かといってタクシーでドライブなど贅沢すぎます。
そうだ! デイケアで送迎をお願いしてみる手がございました。徒歩2分なので利用したことはございませんが、一番最初にピックアップしていただき、みなさんのところをぐるっと回って、帰りは一番最後に送り届けていただければ、毎週けっこうなドライブ気分を味わえそうでございます。思い通りにはいかないかもしれませんが、お願いしてみる価値はありそうです。思えば、ショートステイのときもあんなに嫌がっていたのに「ドライブだよ」と言ったら二つ返事で車に乗り込んでいましたっけ。男の子はブーブ好き。三つ子の魂は認知症でも残るのかもしれません。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ