兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第180回 まさか、ここで、したの?】
若年性認知症を患う兄との暮らしは、一筋縄ではいきません。思いもしなかったハプニングの連続で、妹のツガエマナミコさんは、日々戸惑うばかり。今回もまた、予想外の出来事が起き…。趣味の“ひとりカラオケ”だけでは、心の平穏を保つのは難しいマナミコさんなのです。
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ハッピーは罪悪感とのセットなのかも
“ひとりカラオケ”でストレス解消しておりましたら、終盤で隣の部屋からドン、ドンドンドン、ドンッ!と明らかにクレームだとわかる壁ドンをされてしまったツガエでございます。
先日は、わたくしのご立腹ポイントにヒットする出来事がございました。
お買い物に出かけようと、兄とマンションのエントランスまで降りたところで雨が降っていることに気づいたわたくしは、「傘取ってくるからここでちょっと待ってて」と言い残し、小走りで傘を取りに行きました。エントランスに戻ってくると壁の一角、ガラス張りになっている辺りで兄がズボンを引き上げ、シャツをズボンの中に入れているではありませんか。
「まさかここで?」と思いましたが、現場を見ると案の定チョロッとやってしまった痕跡がございました。わたくしは大きくため息をついて「ここで、オシッコ、したの?」と低いトーンで伺ってみました。すると「してないよ」と真顔でおっしゃるので、なんとも言えない悲しみと腹立たしさがこみ上げました。
犯行はほぼ確実。でも本人は白を切る。せめて「そうかなぁ」ぐらい言ってほしかったのですが、「僕がやりました」と言わせることに何の意味もございませんので、再び家に戻ってティッシュと除菌スプレーを持ち、無言でお掃除いたしました。
この日のスーパーまでの道中は兄を置き去りにするほど超高速競歩になったことは言うまでもございません。もう兄をエントランスに残して傘を取りに行くのはやめようと思いました。
日々、ムカついたことを書きなぐっていると、反動でハッピーなことを考えたくなります。わたくしにとっての現実的なハッピーがあるとすれば、兄がわたくしの手を離れてくれること以外にありません。で、こんな気になる見出しを発見いたしました。
「認知症の家族を施設に入所させたほうがいいタイミングは?」
自宅で認知症患者を介護する人間にとって思わず釘付けになる文言でございます。これによると、目安として深夜帯に5~6時間程度の睡眠時間が維持できなくなったら早めに手を打ったほうがいいとのことでした。介護者が不眠になり、心の余裕がなくなり、優しくできず、思わず手が出るようになってしまえば、介護者も介護される側も不幸だという理論です。
これを読み、わたくしが兄を施設入所させるにはまだまだ遠い道のりだと凹みました。なぜならわたくしは毎日6~7時間ほど寝ているからでございます。
兄は、エントランスにお尿さまはいたしますが、喚いたり、叫んだりすることもなければ、異物を飲み込んだりもいたしません(今のところ)。ゆえに四六時中見張っていなければならないほど手がかからない。行方不明になってしまうのも、門扉にチェーンをかけ忘れさえしなければ防げること。施設入居レベルの介護になるまでには、あと何年かかるのでしょうか?
締めの一文に「介護にリミットを設けることを悪いことだと思ってはいけない」とありました。でも実際、入居が現実味を帯びてくればわたくしもためらうような気がいたします。一緒にいれば目障りこの上なく、離れたくて離れたくてしかたがないのに、いざとなると「本当にいいんだろうか」と迷いそうな……。わたくしのハッピーは罪悪感とのセットなのかもしれません。
昭和のレジェンドが亡くなるニュースが相次いでおります。年齢的にさほど離れていないことを見るに連れ、自分も改めて“そっち側”なのだなと自覚する昨今でございます。そのせいか、ここのところお金使いが荒くなり、仕事に出るたびに何かしら買ってしまいます。自分のもの、兄のもの、友人知人への手土産……。高騰する物価に食費を切り詰めながら、一方で衝動に任せて安易にお財布のひもを緩めてしまうのです。それもこれも「買い物ができるのは生きている間だけだ」というわたくしの言い訳。きっと歳をとった証拠なのでしょう。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ