兄がボケましたら~若年性認知症の家族との暮らし【第178回 介護とシンギュラリティ】
7年前に57才で若年性認知症を発症した兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが綴る連載エッセイ。兄の日常生活を支えるマナミコさんですが、症状が進行し、いろんなトラブルが発生するようになった今、兄のお世話がどんどん大変になってくると同時にマナミコさんの心境も複雑になってきています。
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“かまってちゃん”にしか見えない規則性
仕事をするわたくしの部屋に兄が顔を出し、唐突に「ぼくツガエですけど…」と言うので「わたくしもツガエです」と言うと「えぇぇぇっ?おんなじです!」と、まるで初対面で偶然同じ苗字の人に出会ったようにびっくりする実の兄と2人暮らしのツガエでございます。
親がボケて、会いに行っても自分のことがわからないことを悲しむシーンをドラマなどでよく観ますけれども、それはたぶん離れて暮らしているからだろうと思います。少なくともわたくしの場合は、兄にとって自分が赤の他人に映っていても、悲しいとか寂しいという感情にはなりません。「わたくしはお兄ちゃんの妹よ」と一応は宣言しておきますけれど、どうであれ面倒を見るのは同じことなのです。えらいもので最近は「ここまでくるとこういう風になるのね」という観察的な見方ができるくらい感情を切り離せるようになりました。
でもすべてを達観しているわけではございません。ときどき土足で家の中を歩いてしまう兄にはブチ切れていますし、トイレットペーパーを小さく丸めて物陰に押し込む謎の所業にも日々ムカムカしております。
夜になって眠そうにテレビを観ている兄に「寝るならあっちよ。お兄ちゃんの部屋にお布団敷いてあるから」と言うと「え? あるの? どこ?」というのも毎日でございます。ほんの数歩の直線を道案内しながら「これはさすがにわからない振りだろ」と思ってしまいますが、たぶん「振り」ではないのでございましょう。
お菓子のゴミをどこに捨てていいかわからない振り、使ったスプーンをどこに置いていいかわからない振り、マスクがわからない振り、スリッパがわからない振り、新聞がわからない振り、お箸がわからない振り、振り、振り、振り……わたくしにとっては振りの連続です。
“かまってちゃん”にしか思えないことでストレスに感じ、自らの首を絞めていることもわかるのです。彼は本気でわからない。演技ではない。常に正しいかどうか自信がないからわたくしの顔色を常に窺っていることも…。先日トレーナーもズボンも両方とも後ろ前に着ており、後ろ姿なのに正面のようだった姿を見たときは、なにか“間違える規則性”があるのかもしれないと思ったものです。
規則性で思い出しましたが、最近「シンギュラリティ」という言葉を耳にしました。日本語では2025年との説があるとかないとか。
かつて宇宙船に搭載したAI「ハル」が、賢くなりすぎて人間の命令に従わなくなるというSF映画『2001年宇宙の旅』(1068年・スタンリー・キューブリック監督)がありましたが、シンギュラリティとはまさにそんなことでしょうか。
コンピューターは人間が教えたことしかできないといわれたのは遠い昔。今や恐ろしい速度で学習して、絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作り出すこともできるようになったようです。しかも人間が何か月もかけてやることを数分、数十秒でやるのです。
ライター稼業などもちろんのこと、有識者のお話では弁護士や経理など、頭脳を使うだけのお仕事はAIに職を奪われる可能性が高いとか。これからの子供たちはなにを勉強すればいいのでしょうね~。
そんなにAIが賢いなら、認知症の人の行動や発言、洋服を後ろ前に着てしまうような原因を解析してアルゴリズム(問題解決に用いる手順・計算方法)とやらで無駄のない管理をして、肌触りのいい人型ロボットを作り出して臨機応変に介護していただけないものでしょうか?
いよいよ人間はやることがなくなり、AIに反比例して人はアホになっていくようなストーリーが見えてきます。
先々は、ノーベル賞受賞者のような賢い人の思考データだけが保存され、アホな人間は不要になり、賢くなり続けるAIが世界を支配するのかもしれません。長い歴史の中で恐竜がいなくなったように……
おっと、ツガエの妄想回になってしまいました。
次回はきちんと介護について書けるように頑張ります。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ