「30年前、中学生だった私は毒蝮さんに救われました」40代女性の告白|「マムちゃんの毒入り相談室」第40回
「30年前、暗い中学生だった私は、毒蝮さんに救われました」というメールが届いた。差出人は40代の女性。人と話すことが怖かった彼女は、『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継現場で、マムシさんに会ったことをきっかけに、前向きに生きられるようになったという。今は幸せに暮らしている彼女に、マムシさんがあたたかいエールを贈る。(聞き手・石原壮一郎)
「俺のやってきたことは間違ってなかったと自信になった」
嬉しいメールをもらった。悩みの相談じゃないんだけど、この仕事を長く続けてきてよかったなと思える出来事だった。今回は悩み相談の番外編で、30年前に『ミュージックプレゼント』の中継で俺に会ったという40代の女性からのメールを紹介させてくれ。
名前は「ゆきさん」。お母さんが俺のファンで、近所で中継があったときに「私は予定があって行けないけど、絶対に話を聞いてきたほうがいい」と言われて、ひとりで会場にやってきた。ジジイとババアばっかりの中に中学生の女の子がいたから、俺が「歳はいくつだ?」「名前はなんて言うんだ?」なんて聞いたそうだ。
話はそこで終わらない。中継が終わってから、俺が「おい、ゆき。喫茶店に行こう」と誘って、ほかのスタッフもいっしょにお茶を飲みながら「学校は楽しいか?」なんて話をしたっていうじゃないか。メールをかいつまんで紹介しよう。
「私は中学2年生でした。小学生のときに両親の事情で東北地方から関東に移り住みましたが、私は慣れない土地での暮らしに馴染めず、暗い中学生活を送っていました。両親ともそんな私を見て心配だったと思います。でも、母はいつも明るく接してくれて、父も仕事に励む毎日の中、私をかわいがってくれました。
毒蝮さんのお話はとにかく軽快で、その場にいる大観衆からの笑い声が上がるのを聞いて、子どもながらに鳥肌が立ちました。私は当時は人と話すのが怖かったので、毒蝮さん本当にすごいと感激していました。喫茶店でのお話もとにかく楽しくて、私、こんな人になりたいと強く思いました。最後に『がんばれよ、ゆき』と言ってくださって、まだ話したかったけど別れを告げて走って母の元に帰り、毒蝮さんのお話をしたところ、両親ともに大喜びしてくれました。
それ以来、とにかく人と話すことを意識的にするようになり、前向きな自分に変われました。今は結婚して、主人と高校生の娘と中学生の娘と息子と、幸せに暮らしています。私を変えるきっかけをくれた母が、先月10年にわたる闘病の末に永眠いたしました。だいぶ時間が経ちましたが、その節はありがとうございました」
お母さんを亡くして落ち込んでいたときに、この連載を目にした。9月に出た「夫が突然死したショックから立ち直れない」という相談に答えた回だ。それでまた救われた気持ちになって、「今言わないと」と意を決してメールをくれたってわけだ。
おせっかいな編集部が、メールをくれたゆきさんに会って詳しい話を聞いて、当時の写真を預かってきた。正直、中学生のゆきさんが中継会場に来て、いっしょに喫茶店に行ったことは覚えていない。毎日いろんなところに中継に行ってたから、そこは勘弁してくれ。
ただ、生放送中に話しかけただけじゃなくて、喫茶店にも誘ったのは、どことなく寂しそうな気配を感じたんだろうな。事情は知らないから「なんとかしてあげたい」なんて思ったわけじゃないけど、当時の彼女が発していたSOSみたいな信号を受け取ったのかもしれない。会場のお客さんを喫茶店に誘うなんて、めったにないからね。
俺にいきなり「喫茶店に行こう」って言われて戸惑っただろうけど、勇気を出してついてきた彼女も偉いし、俺に会いに行けと言ったお母さんも偉い。お母さんは元気をなくしている娘のために、なんかしてあげられることはないか、どうすればこの子が元気を取り戻せるかって、毎日ずっと考えたんだろうね。いいきっかけになれてよかったよ。
今は「幸せに暮らしてる」って書いてくれてる。それが何より嬉しいね。「今は幸せ」と言えるのが、いちばんの幸せなんだ。長患いしていたお母さんを亡くしたのは悲しいことだけど、やるだけのことはやったんだから、自分を責める必要はない。お母さんだって感謝してるはずだ。心配かけた分は十分に恩返しできてる。いい娘を持ったと思ってくれてるよ。
こうやって30年越しにお礼のメールを送ってくれるっていうのは、俺にとってもありがたい。自分のやってきたことは間違いじゃなかったんだ、無駄じゃなかったんだって思わせてくれた。俺はたくさんの人と話しながら、目の前の相手やリスナーが少しでも元気になってほしいと願ってる。小さな積み重ねのひとつの結果を見せてもらったわけだ。
メールを出す前の彼女のように、こっちに伝わってはいないけど、俺の放送が人生を変えるきっかけになった「ゆきさん」が、きっとほかにもいるだろう。こうやって伝えてくれたことで、あらためて「俺のやり方でよかったんだ」と自信をもらった。
こちらこそ、お礼を言わなきゃいけない。ありがとうな、ゆき。お互いに元気でいれば、また会えることもあるよ。そのときも「今、幸せに暮らしてます」と言ってくれ。
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毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)
1936年東京生まれ(品川生まれ浅草育ち)。俳優・タレント。聖徳大学客員教授。日大芸術学部映画学科卒。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の隊員役など、本名の「石井伊吉」で俳優としてテレビや映画で活躍。「笑点」で座布団運びをしていた1968年に、司会の立川談志の助言で現在の芸名に改名した。1969年10月からパーソナリティを務めているTBSラジオの「ミュージックプレゼント」は、現在『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』内で毎月最終土曜日の10時台に放送中。86歳の現在も、ラジオ、テレビ、講演、大学での講義など精力的に活躍中。2021年暮れには、自らが創作してラジオでも語り続けている童話『こなくてよかったサンタクロース』が、絵本になって発売された(絵・塚本やすし、ニコモ刊)。大沢悠里さんとの80代コンビによるポッドキャスト配信番組「大沢悠里と毒蝮三太夫のGG放談」も絶好調(毎週土曜日午後3時)。ストリーミングサービス「スポティファイ」で過去の回も含めて無料で楽しめる。
YouTube「マムちゃんねる【公式】」(https://www.youtube.com/channel/UCGbaeaUO1ve8ldOXX2Ti8DQ)も、毎回多彩なゲストのとのぶっちゃけトークが大好評! 毎月1日、15日に新しい動画を配信中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
いしはら・そういちろう 1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊は「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」。この連載では蝮さんの言葉を通じて、高齢者に対する大人力とは何かを探求している。