悲嘆!高木ブー独占告白「集中治療室で握った仲本の手のぬくもりが残っている」|連載 第81回
「なんでだよ、仲本……」。高木ブーさんは、頭の中で何度も何度もこう語りかけている。仲本工事さんと出会ったのは、お互いにザ・ドリフターズのメンバーになる前だった。それから60年以上、いっしょに日本中の人たちを笑わせて、いっしょに笑い合ってきた。大切な存在を失ったブーさんが、盟友への思いを絞り出すように語る。(聞き手・石原壮一郎)
「雷様がとうとう僕ひとりになっちゃった」
まだ信じられない。なんでこんなことになっちゃったんだろう。あれからずっと、頭の中で「なんでだよ、仲本……」って語りかけている。あいつは、いつものようにニコニコ笑ってるだけで、何にも答えないんだよね。
18日の午後、事務所の社長からの電話で、「仲本が事故に遭った」と。最初は何を言っているか、理解できなかった。自分は物事を楽観的に考える癖があるから、「きっとたいしたことはない、大丈夫」と勝手に思ってたんだよね。でも、しばらくして再度連絡があって、現実に突き落とされた。
病院に駆けつけて、たった5分という短い時間だったけど、仲本に会えました。あの時の仲本の手のあたたかさが、今も自分の手のひらに残ってます。本当に悲しい。
仲本とは、あいつがまだ学生だった頃からの付き合いだからね。僕がジェリー藤尾さんのバンド「バップ・コーンズ」にいたときに、セカンド・シンガーとして入ってきた。ドリフターズでまたいっしょになって、「8時だョ!全員集合」では数えきれないほどたくさんのコントをいっしょにやった。「ドリフ大爆笑」では雷様仲間だった。長さん(いかりや長介)も仲本もいなくなって、雷様がとうとう僕ひとりになっちゃったよ。
最後に話したのは、群馬県の高崎市で「志村けんの大爆笑展」が始まった10月14日だった。仲本はどの会場でもオープニングの一日店長をやってたんだけど、今回は僕もスペシャルゲストで行くことになって、楽屋でゆっくり話をしたんだよね。孫の話をしているときのあいつは、本当にうれしそうだった。
孫は、仲本を「じいじ」って呼んでくれるらしい。娘のかおるが「スマホにしたら、テレビ電話ができますよ」って言ったら、「えー、そうなったら毎日電話してくるんじゃないかなあ」なんてニコニコ笑ってたな。
いつかは孫といっしょに暮らしたいって言ってて、僕も「それがいいよ。孫と暮らすのは楽しいよ」って言ったんだよね。いいおじいちゃんになっただろうな。僕がいつも持ち歩いている孫のコタロウの子どもの頃の写真も、興味深そうに見てた。「こんなふうに大きくなっていくのかな」なんて、孫の未来を想像してたのかもしれない。
追悼のコメントにも書いたけど、仲本は今いちばん逢いたいのは、11年前に亡くなったお母さんだって言ってた。何かの拍子に、お互いに「誰かに逢えるとしたら、今誰に逢いたいか」って話になったんだよね。僕はひとりに絞れなくて「うーん、誰かなあ」って迷ってたんだけど、仲本は「お母さん」と即答だった。
ドリフは家族ぐるみの付き合いだったから、仲本のお母さんのこともよく知ってる。とってもやさしい人で、仲本のことを深く愛してた。仲本のお父さんは厳格な人で、ドリフに入るときにずいぶん反対したけど、お母さんが「興喜(本名)がやりたいんだったら」と味方になってくれたみたい。
お母さんは渋谷で長いあいだ「名なし」っていう居酒屋をやってた。とってもいいお店で、僕もスタッフや娘と何度も飲みに行ったことがある。昔、日劇とかでドリフが正月公演をやるときには、まだコンビニがなかったから、メンバーの家族が総出でおにぎりや味噌汁を差し入れしてた。そういうときは、うちのカミさんと仲本のお母さんが、中身がかぶらないように連絡を取り合ってたみたい。
高崎の楽屋で久しぶりにたくさん話して、「じゃあ、23日にまた『もリフ』でね」って言って別れたんだけど、あれが最後の会話になっちゃった。まだまだいっしょにやりたいことや話したいことがいっぱいあったのに、本当に残念です。
誰もが言ってるけど、仲本のことを思い出すと、笑顔しか浮かんでこない。おだやかでやさしくて、いつも周囲に気を配ってるヤツだった。あいつに体操っていう特技があったおかげで、ドリフのコントに動きが生まれて、笑いの幅が大きく広がったんだよね。仲本と長さんがやってた「バカ兄弟」も、僕は名作コントだと思ってる。
でも、はっきり言えるのは、これでドリフターズがなくなるわけじゃないってこと。長さん、荒井(注)さん、志村(けん)、そして仲本は違う場所にいるけど、ドリフターズはずっと6人で活動してると僕は思ってる。加藤と僕の後ろには4人がいると思って、これからも応援してください。
ブーさんからのひと言
「孫の話をうれしそうにしていた仲本の笑顔が忘れられない。高崎の楽屋で『またね』と言ったのに。悲しくてたまらないよ」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。2021年6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフとももクロらが共演する「もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~」が放送中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。