字幕翻訳家・戸田奈津子さん(86才)「75才の壁なんてなかった」しなやかな生き方
世界に誇る「長寿大国」である日本において、75才は決して老人ではない。しかし、体の機能が落ちていくのは事実であり、3割が要介護認定を受けているという調査もある。字幕翻訳家として第一線を走り続けてきた戸田奈津子さん(86)は、「壁なんて感じなかった」と一笑に付す。戸田さんがしなやかに壁を超えられた理由とは――。
「継ぎ目なしの一本道。壁どころか、カーテンすらありませんでした」
「75才の頃っていうと、2012年よね。当時の手帳を見たけど、いまとなーんも変わっていなかった(笑い)。月に1本は翻訳の仕事をしながら、メリル・ストリープやジェームズ・キャメロン、トム・ハンクス…来日していたスターたちの通訳で全国を飛び回っていました」
そう振り返る戸田奈津子さん(86)に後期高齢者となるタイミングで心身の状態ががくんと落ちる「75才の壁」について尋ねると、一笑に付した。
「私の場合、壁どころかカーテンもなかった。60代からいままでずっと同じ道が続いて、まったく“継ぎ目”がないんです」(戸田さん・以下同)
9才で終戦を迎え、貧しい世相のなかで洋画に心をときめかせながら青春を送った戸田さんは、字幕翻訳者になりたい一心で津田塾大学英文学科に入学。卒業後、一度は保険会社に就職するも夢を諦められず、わずか1年半で退職する。そして長い下積みの末に、フランシス・フォード・コッポラ監督の知遇を得て、43才で『地獄の黙示録』の字幕翻訳者として“銀幕デビュー”を果たした。
以降、字幕の第一人者として40年以上ひた走り、「継ぎ目なし」で現在に至る。
「自分の意識としてはいまも50代あたりをウロウロしている感じ。だからたまに、年齢を聞かれるとサバ読むつもりじゃなくても無意識のうちに10才くらい下に言ってしまうことがあるんです(笑い)」
気負いなくしなやかに壁を越えた戸田さんの根底にあるのは「クヨクヨしない」という信念だ。
「クヨクヨするの、大嫌い。なんのプラスにもならないし、何かいいこと、ありますか? 私は60代で黄斑変性症になって左目を失明しましたが、そのときも最初こそショックだったけれど、とりたてて落ち込むことはなかった。『1つはダメになってしまったけれど、右目の“スペア”があるからがまんしよう』と思った。悩んだ末に気持ちを切り替えるというより、いつもそういうふうに考えてしまうのです」
何を「壁」や「限界」としてとらえるかも、その人の考え方次第だと続ける。
「人生においていちばん重要なのは、自分のことは自分で決めること。周囲を見て、『みんながやっているから、私も』と“右へ倣え”するのは最悪だと思う。いまは『75才の壁』という言葉が流行しているようですが、私は壁を感じなかった。すごく簡単な話ですよ」
壁のない“継ぎ目なし”の人生──そう言い切る戸田さんだが、年を重ねてなお同じ道を歩き続けるためのケアは厭わない。
「8年くらい前から、1年に2回は人間ドックで徹底的に病気を調べてもらいます。ついこの間も検査に行って、ノープロブレムでした。自分では健康だと思っているけれど、明日どうなるかはわからない。半日で“転ばぬ先の杖”が手に入るならば安いものです」
戸田さんの“杖”は定期検診にとどまらない。
「私はやりたくないことは絶対にしない、わがままな人間ですが、人に迷惑をかけないようにすることだけは心がけています。今年、通訳業から引退したのも、それが理由。記者会見などで失敗する前に身を引こうと決意しました。7月には運転免許も返納しましたが、同世代が大事故を起こすのを見て、未然に防ぐためには運転そのものをやめるしかないと思い至ったからです」
自分らしく自由奔放に生きることは「人に迷惑をかけない」という責任を伴う。それに自覚的であることが戸田さんの矜持なのだ。
プロフィール
字幕翻訳家 戸田奈津子さん(86)/東京都出身。津田塾大学英文学科卒業。第一生命での勤務を経て、アルバイトの傍ら数々の海外映画人の通訳を行い、フランシス・フォード・コッポラ監督に字幕翻訳者として見出されて1979年の『地獄の黙示録』を担当。その後、『タイタニック』から『トップガン マーヴェリック』まで1500本以上の映画字幕に携わる。
文/池田道大 撮影/浅野剛
※女性セブン2022年11月10・17日号
https://josei7.com/
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