脳卒中から復活した“知の巨人”出口治明さんの提言「介護は家族ではなく社会全体が担うべき」
年間29万人が罹患する脳卒中。半数はそのまま亡くなるか介護が必要な状態になるという調査もある。豊富な経験と膨大な読書量をもって、立命館アジア大平洋大学(APU)学長として三面六臂の活躍をする「知の巨人」出口治明さん(74才)はその危機をどう乗り越えたのか。
脳卒中でリハビリや補助が必要な生活になって強く感じたこと
「体が思うように動かなくなり、リハビリや補助が必要な生活を送ることになって強く感じたのは、介護は家族ではなく、社会全体で担うべきものだということでした」
左手のスティックで電動車いすを器用に操り、笑顔ながらも熱を込めてそう語るのはAPU学長の出口治明さんだ。
APU学長としてはもちろん、「日本初のネット保険」という斬新なビジネスモデルのライフネット生命の創業や、世界中1200以上の都市を訪れた経験、1万冊以上の圧倒的な読書量による深い知見をもとにした世界史解説など、あらゆる分野で活躍してきた現代の“知の巨人”だが、2021年1月、思わぬ病気に見舞われた。
「寒い朝、急に発作が起きて意識が朦朧(もうろう)としたまま病院へ搬送されました。大脳の左側から出血していることがわかり、命は取り留めたものの、右半身のまひと失語症が残りました。病名は『左被殻出血』、いわゆる脳卒中です。意識が回復した後も、体の右半分はまったく動かず、しゃべることもできなくなっていました。
そんな状態だったので、家族はぼくが仕事から引退すると思っていたようです。実際、同年代で脳卒中を発症した人のほとんどは、施設に入るか自宅で療養するかの2択となり、自宅で生活することを目標にリハビリを行うそうです。しかし、留学生が多くの割合を占めるAPUでは、新型コロナウイルスの感染防止対策による入国規制によって来日できなくなった学生や、アルバイトができなくなって経済的に困窮する学生も多く出ました。彼らのことを考えると“一刻も早く学生の抱える問題を解決したい”という強い思いがあった。また、当時は『サステイナビリティ観光学部』という新学部の設置を計画していたタイミングでもあったため、復帰を目指すことに迷いは一切ありませんでした」(出口さん・以下同)
その言葉通り、2022年4月に学長として職務に復帰を果たした出口さんは、東京の自宅を離れて大分県別府市で単身赴任生活を送れるほどまでに、目覚ましい回復ぶりを見せている。
一方で、1年半にわたるリハビリの日々や、現在の生活を通して、介護や障害者をとりまく社会のひずみも強く感じたという。
治療からリハビリまですべてプロに任せることに決めた
「わが国では、長らく家族が介護の役割を担ってきました。特に女性への重圧は大きく、『親の介護は嫁の務め』といわれた時代もあります。しかし、専業主婦であっても家事、育児、介護を一手に引き受けるのはどう考えても負担が多すぎる。さらに現代は共働きが当たり前になりました。ですから、これから先の日本で『家族が介護を担う』のは、ほぼ不可能になったと言うべきでしょう」
そもそも、家族だからといって、介護の経験や知識を持たない人たちが介護をやり通そうとすること自体、現実的ではないという。
「ぼくは74年間生きてきましたが、医療や介護についてはまったくの門外漢、いわばアマチュアです。もちろん生命保険のことには詳しいけれど、リハビリについては“アマチュア中のアマチュア”。それはぼくだけではなく、家族も同じです。アマチュアだけで介護をいくらがんばっても限界がある。倒れた直後、家族の総意として、治療からリハビリまですべてプロに任せることに決めました」
励みになった家族の存在
体のケアは徹底してプロに任せた。ただ、「復帰したい」という気持ちを尊重し、それに寄り添う家族から力をもらうことも多かった。
「特に強く印象に残っているのは、倒れて搬送された福岡の病院に、妻が取るものもとりあえず、東京からすぐに駆けつけてくれたこと。意識が戻ったときに私の目をじっと見て『おかえりなさい』と声をかけてくれたことは忘れられない。東京で療養していたときも、好物の肉料理をたくさん作って待っていてくれました。介護をプロに任せたとしても、家族の存在が励みになることはたくさんあるのだと思います」
仕事への復帰を目標に掲げた出口さんは、東京のリハビリ病院に転院。支えたのは、主治医のほか理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などリハビリの専門家たちだった。
「主治医の先生はフランスで脳外科を学んだプロ中のプロ。医師としての腕や経歴が素晴らしかったのはもちろん、ヨーロッパにいた頃に、先生が撮影した各地の写真が病院の通路に飾ってあったことも“この人に任せたい”と強く感じた理由です。ぼくがこれまでに旅してきた場所や本で読んだことなど、さまざまな記憶が呼び起こされたのです。相手のことを信頼できるプロだと思ったら、あとはすべて委ね、素直に指導を受けることも重要だと思います」
とはいえ、大切な家族を他人に任せきりにすることは、少なからず罪悪感を抱かせるものだ。実際に、「24時間つきっきりで親の面倒を見た」という経験は美談として伝えられ、「施設に入れるなんてかわいそう」「家族に世話してもらうのがいちばんの幸せのはず」という風潮が根強く残る。
だが、それは大きな間違いだと出口さんは言う。
「確かに少子高齢化や人口減が進み、経済力が低下している現在の日本において、介護をはじめとする福祉を手厚くすることは難しい。その結果、しわ寄せが家族にいってしまっている状況です。しかし介護を社会全体が担うことは、日本復活のポイントでもあると思う。特にこれまで家庭内で育児や介護を担ってきた女性たちは、社会に出て斬新なアイディアや柔軟な思考を発揮できる存在であり、その力は、いまの日本社会が最も必要としているものです。海外では働く女性が増えるほど出生率も上昇させる仕組みを充実させています。しかし日本では育児や介護などをサポートするシステムが未熟です。それらをどう制度化していくかということが、大きな課題でしょう」
教えてくれた人
出口治明さん
1948年、三重県生まれ。日本生命を経て2006年にライフネット生命を創業。2018年より立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。
撮影/宮井正樹
※女性セブン2022年9月29・10月6日号
https://josei7.com/
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