高木ブー「仲本工事、荒井注さん、志村けんの話をしましょうか」|連載 第78回
「志村のおかげでドリフが新しく生まれ変わった」と高木さん。日本じゅうにたくさんの笑いと勇気を与えてくれたザ・ドリフターズ。今もメンバーはかたい絆で結ばれている。高木ブーさんに、メンバーの“最初の印象”を聞いた。前回のいかりや長介さん、加藤茶さんに続いて、今回は仲本工事さん、荒井注さん、志村けんさんのお話。(聞き手・石原壮一郎)
「仲本とはドリフに入る前から同じバンドで活動していた」
仲本(工事)は、僕が長さん(いかりや長介)にドリフに誘われる前から、いっしょのバンドでやってたんだよね。最初に会ったのは僕が、ジェリー藤尾さんが営業用に結成したジャズ・バンド「バップ・コーンズ」にいたときだった。
ジェリーさんは超売れっ子で、ジャズ喫茶のステージに出られないことがある。セカンド・シンガーを募集するオーディションをやって、入ってきたのが仲本(当時は本名の仲本興喜)だった。1962(昭和37)年の秋ぐらいかな。仲本はまだ学習院大学の学生だった。
僕も審査に参加してたけど、決めるのはジェリーさんだから「強く推した」とかそういうことはない。たぶん何も発言してないんじゃないかな。でも、ハンサムな好青年だし歌もうまかったから、選ばれるだろうなと思ってた。
しばらくしたら新しいことがやりたくなって、「バップ」のドラマーだったロジェ滋野さんや仲本といっしょに「シャドーズ」を結成した。そのあと僕は、長さんに誘われてドリフに移ったんだけど、ドリフでギターを弾けるメンバーが必要になった。
長さんに「誰かいないか。とにかく早く見つけなきゃいけない」って言われて、すぐ連絡が付いた仲本を誘ったんだよね。同じ「シャドーズ」にいた青木健とどっちにしようか迷ったんだけど、青木はすでに別のバンドにいたから誘いづらい。仲本はそのときは東京商工会議所に就職してた。あれ、内定だったかな。どっちにしろ音楽はやってなかった。
堅実な道を捨てて芸能界に行くことにご両親が大反対して、長さんが何回か家に行って説得したらしいよ。で、1965(昭和40)年の年明けからドリフに加わった。仲本にとっては人生の大きな転機だったわけだけど、ドリフを選んで正解だったんじゃないかな。
「なんだバカヤロー」のルーツ
荒井(注)さんは、僕と同時期の1964(昭和39)年9月にドリフに入った。面白い顔のピアニストがいると聞いて、長さんと当時のドリフターズのオーナーの桜井輝夫さんが会いに行ってスカウトしたんだよね。ソファーに座って話したんだけど、「じゃあ、よろしく」と話がまとまって立ち上がったら、長さんがイメージしていたより背が低かった。
長さんは「ありゃ」と思ったらしいけど、結果的にはよかったよね。5人並ぶと長さんだけ大きくて、ほかの4人は同じぐらいだからバランスがいい。ピアノの腕前に関しては、長さんは「ビックリした。もうちょっとできると思ってた」って言ってたな。
最初に会ったのは、どこかの稽古場だった。「よろしく」とか何とか言って穏やかに挨拶した気がする。あのキャラクターは作られたものだから、もちろんいつもふてくされてるわけじゃない。流行語になった「なんだバカヤロー」は、ピアノの演奏を失敗して加藤に冷やかされたときに、こう言い返したのがルーツ。今でいう逆ギレ芸だよね。
加藤が「若い志村がいいよ」って推薦した
志村は高校を卒業する直前(1968年2月)に、ドリフのボーヤ(付き人)になった。いちばん大事な仕事は、移動するときの楽器運び。見慣れない顔がいて「新しいボーヤが入ったんだな」とは思ったけど、最初のうちは名前は知らなかった。長さんから紹介とかもなかったんじゃないかな。元気がいいのが来たなとは思ってた。
4年後ぐらいに、ドリフのボーヤの先輩だった井山淳と「マックボンボン」ってコンビを結成した。一時期はテレビ番組のレギュラーもあったんだけど、結局はうまくいかなくてまたドリフのボーヤに戻ってきたんだよね。その前にも一度、脱走したことがある。荒井さんが抜けることになって「メンバー見習い」になったのは、戻って1年後ぐらいかな。
ドリフが営業に行くときにはフルバンドが付くんだけど、長さんはそのリーダーの豊岡豊さんを加入させようと考えてた。冗談音楽が得意でノリがよくて、いっしょにやってきたから気心も知れてる。ただ、長さんと同年代だった。加藤が「若い志村がいいよ」って推薦して、長さんも「そうだな」と思って志村にしたんだよね。
メンバーになった頃は「志村には並外れた笑いの才能がある」という印象は、まだなかったな。もともと僕は他人を評価するって柄じゃないんだけど、それまではボーヤのひとりだったわけだから、才能があるとかないとかわからないよね。でも「いいんじゃないかな」とは思ってた。長さんの判断を信じたってのもあるかもしれない。
誰がいいとかは言わなかったけど、4人じゃなくて5人がいいとは言ったかな。長さんが真ん中で「全員集合!」って言って集まるときに、2対1じゃバランスが悪いからね。その後の志村の活躍は、みなさんご存じのとおり。志村が入ったことで、ドリフがまた新しいグループに生まれ変わった。たいしたヤツだよ。戻って来てくれてよかったよね。
ブーさんからのひと言
「長さん、注さん、志村が旅立って、ドリフのメンバーは3人になりました。寂しいけど、加藤、仲本と一緒にこれからもどんどん笑いを届けていきたいです」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。2021年6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する「もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~」が放送中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。