高木ブーが振り返るドリフにスカウトされた日のこと「長さんは、ぶっきら棒だったけどやさしかった」
「長さん(いかりや長介さん)を最初に見たときは、こう言っちゃ悪いけど、バンドをやるタイプの顔じゃないなと思った」と高木さんは笑う。長年苦楽を共にし、かたい絆で結ばれたザ・ドリフターズのメンバー。最初に会ったときは、どういう印象だったのか。一人ひとりについて高木さんに聞いてみた。今回はいかりや長介さんと加藤茶さんのお話。(聞き手・石原壮一郎)
引き抜きの話をしに来たときの長さんはやさしかった
僕の人生は、ザ・ドリフターズとともにある。ここ20年ぐらいはウクレレ奏者としてステージに立つ機会が多いけど、それも「ドリフの高木ブー」だからこそだよね。ドリフの一員であることは、僕にとって何よりの誇りです。
長さんと初めて話したのは、58年前のちょうど今ごろ、もうすぐ東京オリンピックが始まる1964(昭和39)年の8月の終わりだった。僕が「シャドーズ」ってバンドで横浜のジャズ喫茶に出演してたときに、ドリフターズのオーナーだった桜井輝夫さんが運転するクルマに乗って、ふたりで店に現われたんだよね。
僕の出番が終わるのを待って、「東京まで送るよ」とクルマに乗せられた。あとから詳しいことを知ったんだけど、当時のドリフターズはメンバーが一気に抜けちゃってたいへんだったらしい。クルマの中で「ウチに来ないか」と誘われた。声をかけられた時点で何の話か察しはついてたけどね。
それまでもジャズ喫茶で、チェンジバンド(同じ日に出るバンド)でいっしょになったことは何度かあった。ドリフはその頃からコミックバンドの路線でやってて、舞台の袖から見て「面白いことやってるな」とは思ってたんだよね。だけど方向性がぜんぜん違うから、いっしょにやりたいとかそういう気持ちはまったくなかった。
そのバンドで長さんは、ウッドベースを弾いてた。今のエレキベースとは違ってでかいんだけど、長さんは身体が大きいからなかなかサマになってたな。カントリーには付きもののテンガロンハットも似合ってた。
でも、こう言っちゃ悪いんだけど、バンドをやるタイプの顔じゃないなって思ったんだよね。ほら、のちに代名詞にもなったゴリラ系で、お世辞にもイイ男とは言えないじゃない。ウッドベースって後ろのほうにいるから、顔は関係ないけどね。おっと、こんなこと言ってると、空の上から「ブーたんに言われたくないよ!」って怒られちゃうかな。
ステージを見てただけだから、人柄のことはよくわからない。いっしょにやるようになって、強烈なリーダーシップがあるというか、要するに怖い人だってわかったけど。最初にクルマの中で話したときは、やさしい印象だったな。まあ、引き抜こうとしているわけだからね。「娘のミルク代がかかって……」とカマをかけたら、ギャラを上乗せしてくれたし。しゃべり方自体は、あのぶっきら棒な感じがちょっとあったかな。
加藤がいてくれてよかった
加藤は、長さんといっしょにドリフにいた。長さんの厳しいやり方にメンバーが反発して、主要な4人がいっぺんに抜けちゃったんだけど、加藤は残ったんだよね。どうして残ったのかはわからない。加藤は「長さんに怖い顔で『お前はどうすんだ』って聞かれて、つい『残ります』と言っちゃった」なんて冗談めかして言ってるけど。同時に抜けたメンバーに対して、思うこともあったのかな。あくまで僕の想像だけどね。
ステージの袖から見てた頃は、正直、加藤のことはあんまり印象に残ってない。端っこにちょこんといる感じで、どんどん前に出てくるメンバーがほかにいるから、目立ってはいなかった。「ドリフターズにいる若いお兄ちゃん」って感じかな。初めて話したのは、どこかの稽古場で新生ドリフの顔合わせがあったときだね。
1964年の秋の段階では、僕と同じ時期に入った荒井(注)さんはいたけど、仲本(工事)はいなくて小山威さんって人がメンバーだった。小山さんが体調不良で抜けることになって、代わりに入ったのが仲本。そのへんのいきさつは、また次に詳しく話します。
仲本も加わった顔合わせのときかな、長さんが言ったんだよね。「ドリフは加藤を前面に出していく」って。コミックバンドでやっていくのは決まってたけど、荒井さんも仲本も僕も、お笑いのことなんてわからない。その点、加藤はずっとドリフでやってたから笑いのコツをつかんでる。かわいい顔をしてるし、ひと言で言うとスター性があったんだよね。もちろん、みんな納得した。加藤がいてくれてよかったよ。
ちょび髭をつけて「カトちゃん、ペッ」ってやるギャグは、その頃からやってた。ちょっと福島訛りがあることも、上手に生かしてるよね。その後の加藤の活躍と人気はみなさん知ってのとおりだけど、やっぱり長さんは見る目があったってことかな。もうすぐ80歳になろうとしている今でも、笑いの反射神経はまったく衰えてないもんね。
ブーさんからのひと言
「僕の座右の銘は『人生は運と実力とチャンス』。長さんが声をかけてくれたことは、大きなチャンスだったんだよね。いい縁に恵まれて、僕は幸せ者です」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する「もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~」が放送中。9月17、18日に香川・直島で開催される野外音楽フェスティバル「shima fes SETOUCHI 2022 ~百年つづく、海と森の音楽祭。~」に出演(18日のみ)。チケット販売中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。