毒蝮三太夫vs林家木久扇「伝えたいけど直接は言えない妻への感謝」スペシャル対談vol.2
毒蝮三太夫は結婚生活59年、林家木久扇は結婚55年。「大当たりのカミさんをもらった」(毒蝮)、「おかみさんの助けがあったからやってこられました」(木久扇)と、妻への尊敬と感謝を口にする。ただ、本人には伝えられなくて……とも。心あたたまるエピソードや見習いたい行動から、長年、円満な関係を続ける秘けつを学ぼう。(構成・石原壮一郎)
「時々、感謝の言葉をハガキに書いてカミさんに出してる」(毒蝮)
毒蝮三太夫(以下、毒蝮)「カミさんについて話せって言われたけど、なんかテレ臭いな。ウチも木久ちゃんちも金婚式はとっくに超えた。お互い、今も夫婦そろって元気でやれてるのはありがたいことだよ」
林家木久扇(以下、木久扇)「こんなリスクの多い職業の男についてきてくれて、本当に感謝してます。すまないなあという気持ちがとってもありますね」
毒蝮「俺も思うよ。よく俺と結婚してくれたなって。役者なんて仕事が来なきゃ無職と同じなんだから。いい度胸してるよ。どうにか『お返し』しなきゃいけないなと思うよね」
木久扇「今、ウチには弟子が9人います。総領弟子の林家きく姫が10代で入門してきたときは、長女も同じ年ごろだったし弟の木久蔵もいた。家庭の中に他人がいつもいる中での子育ては、難しかったと思います。その後も、次々に入ってきた弟子の親代わりを務めてきた。それをずっとやってくれているのは、すごいと思いますね」
毒蝮「結婚したときにカミさんは百貨店で働いてたんだけど、俺が仕事がなくて家にいても何も言わなかった。いいかげんな俺を支えているカミさんを見て、カミさんは仲間内で『クリちゃん』って呼ばれてるんだけど、悪友の立川談志が色紙に『クリちゃんは偉い』って書いてくれたことがある。まだ大事に持ってるみたいだ」
木久扇「夫婦で言い合うと、つい感情が高ぶって、きつい言葉を言ってしまうこともありますよね。ウチのおかみさんは筆まめなんで3年前の日記も持ってる。それをめくりながら『お父さん、3年前にこんなことを言ってたわよ』なんて指摘されて、ふっと我に返るんです。やっぱり長く寄り添ってくれているからできるんだなって思うんですよね」
毒蝮「そうやって手綱を締めて、木久ちゃんを上手に動かしているわけだ」
木久扇「バカだから、すぐ『よし、がんばらなきゃ』となって、せっせと働いちゃう」
毒蝮「15年ぐらい前からかな、カミさんに月に1度か2度、ハガキを出してる。日頃の感謝や『からだに気をつけてください』なんて書いて。直接渡したほうが早いんだけど、わざわざポストに投函してる。口じゃうまく言えないことも、ハガキになら書けるしね。届くと冷蔵庫の脇に貼ってあるから『ああ、読んだんだな』とわかる。この話をすると『愛妻家なんですね』なんて言われるけど、せめてもの罪滅ぼしかな」
「誕生日プレゼントとかは想像の倍ぐらいを心がけてます」(木久扇)
木久扇「それは奥さんは嬉しいですよ。ぼくもどうすれば『お返し』ができるんだろうっていつも考えてはいるんですけどね。誕生日とかには、相手が『たぶん、お父さんはこのぐらいのことをしてくれるだろう』と想像している倍ぐらいのものをあげるようにしてます。どうせなら、驚いてもらったほうがいいですから」
毒蝮「俺もカミさんを驚かせようとしたことがあるよ。八ヶ岳によく行くんだけど、クリスマスの日にルビーのブローチを用意してたんだ。ルビーはカミさんの誕生石だから。メシ食ってるときに『ちょっと星を見てくる』って外に出て、こっそりブローチを握って戻ってきた。『ほら、流れ星をつかんできたよ』ってカミさんに渡したんだよ」
木久扇「そんなシャレた演出、よく思い付きましたね。でも、蝮さんが流れ星……」
毒蝮「ハハハ、似合わないのは見逃してくれ。『冬のソナタ』が流行ってた頃で、ヨン様が雪の球を放って、チェ・ジウが受け取ると中にネックレスが入ってるってシーンがあった。あれをやろうとしたわけだ。ところが、カミさんに『私、エメラルドが好き』なんて言われちゃって、見事な空振りだった。ヨン様になったつもりが、ただのお疲れ様だったよ」
木久扇「気持ちを伝えるのは、難しいもんですね。ぼくも、長いあいだ支えてもらっているっていう感謝の気持ちはたくさん持ってるのに、直接はなかなか言えません」
毒蝮「せっかくの機会だから、今日はしっかり言っておこうよ。もしかしたら、この対談を読むかもしれない。いちばん言いたいのは、ガールフレンドはいっぱいいたけど、結婚してくれって言ったのはあなただけだよってことかな。見る目が間違ってなかったのは、俺の自慢だ」
木久扇「ウチのおかみさんも、品のないことはしないとか、食べ物も値段の問題じゃなくてまずいものは嫌いだとか、見識がある女の人なんですよね。下町の白山の生まれで家が待合をやってたから、芸者さんの出入りもあって、着物の選び方もうまいし安く買う方法も知ってる。若い頃はずいぶん助けられました。最高のおかみさんです」
毒蝮「できることなら、今回はいつもより大きな文字にしてほしいね」
木久扇「『ふたりは声を大にして話していた』とも書いておいてもらえると」
毒蝮「どっちかのカミさんの友だちが読んでたら、本人に教えてやってくれ」
毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)
1936年東京生まれ(品川生まれ浅草育ち)。俳優・タレント。聖徳大学客員教授。日大芸術学部映画学科卒。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の隊員役など、本名の「石井伊吉」で俳優としてテレビや映画で活躍。「笑点」で座布団運びをしていた1968年に、司会の立川談志の助言で現在の芸名に改名した。1969年10月からパーソナリティを務めているTBSラジオの「ミュージックプレゼント」は、現在『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』内で毎月最終土曜日の10時台に放送中。85歳の現在も、ラジオ、テレビ、講演、大学での講義など精力的に活躍中。去年の暮れには、自らが創作してラジオでも語り続けている童話『こなくてよかったサンタクロース』が、絵本になって発売された(絵・塚本やすし、ニコモ刊)。自伝的著書『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』(学研プラス)は毒蝮一家のファミリーヒストリーを通して、戦前、戦中、戦後をたくましく生き抜いた“庶民の昭和史”が描かれている。幸せとは何かに気づかせてくれる一冊!
YouTubeの「マムちゃんねる【公式】(https://www.youtube.com/channel/UCGbaeaUO1ve8ldOXX2Ti8DQ)」も、毎回多彩なゲストのとのぶっちゃけトークが大好評! 毎月1日、11日、21日に新しい動画を配信中。
林家木久扇(はやしや きくおう)
1937(昭和12)年、東京日本橋生まれ。落語家、漫画家、実業家。1956年、都立中野工業高等学校(食品化学科)卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。1960年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵の名を授かる。1969年、日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーに。1973年、林家木久蔵のまま真打ち昇進。1982年、横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。1992年、落語協会理事に就任。2007年、林家木久扇・二代目木久蔵の親子ダブル襲名を行ない、大きな話題を呼ぶ。2010年、落語協会理事を退いて相談役に就任。2021年、生家に近く幼少の頃はその看板を模写していた「明治座」で、1年の延期を経て「林家木久扇 芸能生活60周年記念公演」を行う。「おバカキャラ」で老若男女に愛され、落語、漫画、イラスト、作詞、ラーメンの販売など、常識の枠を超えて幅広く活躍。「バカ」の素晴らしさと底力、そして無限の可能性を世に知らしめている。おもな著書に『昭和下町人情ばなし』『バカの天才まくら集』『イライラしたら豆を買いなさい』『木久扇のチャンバラ大好き人生』など。
最新刊!
林家木久扇著『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)。3月9日発売。バカの天才・林家木久扇が、波瀾万丈なバカ色の人生を振り返りつつ、バカであることの大切さ、バカの強さ、愛されるバカになる方法を伝授する。「生きづらさ」を吹き飛ばしてくれる一冊!
石原壮一郎(いしはら そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。林家木久扇著『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)の構成を担当した。
撮影/小倉雄一郎