高木ブー「布団を二つ折りにして燃え盛る炎の中を逃げた」戦争の記憶
幼い頃の高木ブーさんにとって、東京・巣鴨の生家での暮らしは毎日楽しいことの連続だった。両親と大塚の映画館で観た時代劇、庭に飼っていた鶏の鳴き声、お弁当のゆで卵……。しかし、昭和20年の空襲ですべてが大きく変わってしまう。前回に続いて家族との大切な思い出を振り返ってもらいつつ、戦争の記憶を語ってもらった。(聞き手・石原壮一郎)
77年前の空襲で命を落としていたかもしれない
こんなことを自分で言うのもヘンなんだけど、この記事が公開される3月8日は、僕の89回目の誕生日です。この歳まで元気でウクレレを演奏できているのは、本当に嬉しい。まわりの人たちに恵まれ続けていることに感謝です。自分はつくづく運がいいと思う。だって、もしかしたら77年前の空襲で命を落としていたかもしれないんだから。
今、テレビでは戦争で爆撃を受けている映像が流れているけど、ああいう光景は見ていてすごくつらい。空襲で街が火の海になって、命からがら逃げたときのことを思い出す。難しいことはよくわからないけど、世界中で知恵を出し合って、今すぐ戦争をやめてほしい。心の底からそう思う。
前回、防空壕で僕が笑っている写真を紹介したけど、昭和20年に入ると、だんだん緊迫した状況になってきた。アメリカのB29がしょっちゅう飛んできて、そのたびに空襲警報が鳴り響く。3月10日には東京の東側を狙った「東京大空襲」で、10万人の一般市民が亡くなった。僕が住んでた巣鴨のあたりも、4月に大規模な空襲を受けた。
おふくろは先に逃げて、親父と僕で燃えている家の火を消そうとがんばったんだけど、焼夷弾は油が詰まった筒がはじけ飛んで燃え出すから、水をかけてもどうにもならない。「もうダメだ。逃げよう」となって、飛んでくる火の粉を浴びないように布団を二つ折りにして頭にのせて、小石川植物園まで走ったんだよね。
自分の家が目の前で燃えて、そのときは「どうして」っていう呆然とした気持ちや、みじめさみたいなのを感じたな。怒りや悲しみは、あとからだった。兄貴たちは兵隊に行っていて、12歳なりに「自分が家族と家を守らなきゃ」って気持ちもあったんだけどね。
戦争が激しくなるまでは、穏やかで楽しい日常生活が続いていた。食べ物は豊富じゃなかったけど、ひもじいとは思わなかった。自宅の庭先に鶏小屋があって、そこに鶏が5、6羽いたんだよね。毎朝、夜明けに大きな声で鳴き出すもんだから、鶏小屋のすぐ横の部屋で寝ていた3番目の兄貴は「うるさくて寝られないよ」っていつも文句言ってたな。
鶏たちがよく卵を産んでくれて、それが子どもの頃のいちばんのごちそうだった。たまにお弁当のおかずがゆで卵の日があったんだよね。横に醤油が入った陶器の入れ物が添えられてた。ほかにおかずらしいおかずは入ってなかったけど、それが楽しみだったな。
今でもゆで卵は大好き。そういえば今日のお昼もゆで卵を食べた。醤油が入った小皿を横において、少しずつ付けて食べるのが昔からの僕の流儀。そうそう、ラーメンを食べるときも、必ず「味玉」を追加でトッピングします。
卵と言えば、思い出すのがドリフのコントで、ビールジョッキに生卵を16個入れて飲んだことがある。「ドリフ大爆笑」だったと思う。殿様の役で、家来役のメンバーがジョッキの中にどんどん卵を割ってくの。その前に誰かが作った記録が15個で、それを超えようってことで16個になったんだよね。
そのときもスタッフに頼んで、醤油差しを用意してもらった。ジョッキを手に持ちながら途中で醤油を注いで、全部飲み干しましたよ。あれは苦しかったなあ。ウケたみたいだからよかったけど。飲んだあと体全体がポカポカしてきた。やっぱり卵って栄養があるんだね。
子どもの頃の休日の楽しみは、親父やおふくろと映画を観に行くこと。親父はチャンバラ映画が好きで、隣町の大塚にある日活系の映画館によく行った。嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」シリーズを何度か見た覚えがある。当時の映画館は椅子席が男女で別れていて、二階は座敷で履物を脱いであがるようになっていた。そこは家族一緒に見られるんだよね。
映画に行く前には、食堂に寄るのがお決まりのコースだった。僕はいつも親子丼を頼んでた。やっぱり卵が好きだったんだね。親父は日本酒をチビチビやるんだけど、当時は戦時体制でお酒はひとり1合しか注文できなかった。おふくろは酒を飲めなかったんだけど、自分も注文してそれを親父にあげてた。子どもながらに、なんか嬉しい光景だったな。そんな小さな幸せも、戦争が全部押しつぶしちゃったんだよね。
僕としては、ずっとやっている音楽の活動を通じて、世界の人たちがつながり合えたり、平和の大切さを感じたりする役に立てたら、とても嬉しい。今度「インターナショナル ウクレレコンテスト」っていう「ウクレレ・ピクニック・イン・ハワイ」と連動したコンテストがあります。今年で11回目なんだけど、6日から募集が始まりました。僕も審査員をやります。ウクレレ初心者の人もベテランの人も、どんどん応募してください。世界中のいろんな人から応募があるといいな。
ブーさんからのひと言
「空襲を経験した僕は、戦争の映像が流れてるのを見ると、本当につらい気持ちになる。今すぐ戦争をやめてほしい。心の底からそう思います」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する『もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~』が放送中。3月20日のライブ「1933ウクレレオールスターズ ウクレレ七福神の来港! 〜ヨコハマに春がやって来た」は、チケット好評発売中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。