祖母が徘徊する理由は…「私はここにおっていいんかいな」
認知症の症状もある祖母(86才)を在宅介護しているライター・奥村シンゴ氏。突然、行き先を知らせず出かけようとすることが増えてきた祖母に、付き添ったり、その後の様子を見たりしているうちに、あることに気づいたという。
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介護中の祖母が、突然だまって外に出て行き、あてもなくさまよい歩くように見えた、いわゆる「徘徊」に付き添った記事(※1)を先日書いた。
→(※1)「認知症の祖母の「徘徊」に口出しせず付き添ってみたら…」を読む
今回は、その後もたびたび出歩くその祖母に付き添ってみて、ある特徴がみえてきたので。そのエピソードを書きたいと思う。
ひたすら歩く祖母の向かった先は・・・
「徘徊」とは、認知症の症状の一つで、見当識障害や記憶障害などの影響で起こることが多いと言われてきたが、最近は、認知症の人が出歩く場合は、「徘徊」と呼ばないという動きもあると聞くが、伝えやすいように、前回同様、祖母の場合は「徘徊」とする。
数日前の午前8時頃の出来事だ。
祖母が「私はここにおっていいんかいな?」と言い出した。
私は「そりゃそうやん、この家ばあちゃんの家やで」と返したのだが、祖母は「ちょっとね、行きたいところあるの付いてきてくれない?」と言う。
「今日は特に暑いし、もう少し涼しくなってからいこ」と説得したが、納得しないで出かけると言うので付いて行った。
この前寄った郵便局とは真逆の方向、山の方に向かってひたすら歩く祖母。
朝方とはいえ30度は超えていたはずなので、何度か「ばあちゃん帰ろ、署いし」と声をかけたが、私の思いとは裏腹にスピードを早める。
祖母は間質性肺炎や変形性膝関節症も患っており、普段は片杖で20分位歩くのがやっと。咳こむことも増えてきたが、その時は一切なくひたすら歩き続けた。
道順も祖母が「ここを右」、「ここを左」、「ここを真っ直ぐ」と言うのに従い、だまってそのまま付き添い、結局40分近く歩いた。そして、着いた先は駅だった。
祖母の足がピタッと止まり「ここなの、お父さんとお母さんがいてねえ、ここの家族もいてねえ、あんたを一度連れて来させたかったのよ。よかった」と笑顔で話す。
私はとっさに「そうか、ここやったんか。来れてよかったな、久しぶりに来れてよかったわ」と話を合わせたが、どうやら第二次世界大戦中に疎開していた故郷の富山と駅を勘違いしているようだった。
目的地に着くなり倒れ込む
その直後、祖母は私に倒れこむようにもたれかかってきたので、至急タクシーを呼び家まで連れて帰った。
家に戻ると、祖母は私が差し出したポカリスエットとお茶を紙コップ1杯ずつ飲み、しばらく椅子に座り、テレビを観ていたが「ちょっと少し横になってええかな?」と言い、1時間弱寝た。
そして、起きてくると「あれ?あんた今日来てたんかいな?」と、同居する私とさっきまで一緒にいたことさえも忘れてしまった様子。
「昨日ね、もう一人の男の子と一緒に富山に行ってきたの、いっぱい歩いたけどね楽しかったわ」と言う。
もう一人の男の子というは、誰のことなのか謎だが、「ばあちゃん、一緒に行ったのシンゴ(私)やで、覚えといてや」と冗談交じりに答えると、祖母は「あら、そうやったかいな?私も頭がボンくらになっちゃったね」と笑う。
認知症が進行してくると、30分程寝ただけでも直近の出来事を昨日の事のように言ったり、忘れたり、昼夜逆転も増えてくるという。祖母の例も典型的な症状なのかもしれない。
一緒にいてあげるのが一番の対策かも
こういった祖母の「徘徊」は半年程前からはじまり、現在週2回、1日で多い時に4~5回発現している。分析すると、必ず朝方かデイサービスなどの介護施設から帰宅した直後のどちらかで、私や時々来る母親が家事などで忙しくしている時間帯だ。
「誰も相手にしてくれない」というところから、祖母の不安が大きくなって混乱し、自分の居場所を求めて、どこかへ出かけて行くのではないか。
GPSをつけたり、住所や名前を服や靴につけたり、介護施設を利用したり、気持ちを落ち着ける薬を飲ませたりするなど、「徘徊」への対策はいろいろあるだろうが、祖母の場合は、できる限り寄り添って、一緒にいてあげることで、不安な気持ちが落ち着き、結果、「徘徊」そのものを減らすのには、一番の対策になるかもしれない。
文/奥村シンゴ
プロフィール:大学卒業後、東証一部放送・通信業界で営業や顧客対応などの業務を経験し、6年前から祖母の認知症在宅介護を経験中。在宅介護と並行してフリーライターとして活動し、テレビ、介護、メディア、阪神地区のテーマを中心に各種ネットメディアに寄稿。他時折テレビ・ネット番組や企業のリサーチ、マーケティングなども担当している。
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