コメント
この記事へのみんなのコメント
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うさこ
2019-10-29
興味深く読ませて頂きました。 自分は介護施設で15年位働いています。 認知症の方もたくさんいらっしゃいます。 ご自宅で見るのは大変かと思います。 色々な思いをみなさん抱えていると感じてます。 早く死ねと思ってる人や、長生きして欲しいと思ってる人、どの意見も否定できないと思います。 家族にしかできないこともあれば、職員にしかできない事もあります。 家族の生活も大事ですが施設を利用するのもお金が掛かります。 戦争と言う大変な時代を国の為、家族の為に頑張って生きてこられた高齢者の方に優しい世の中であってほしいと思います。 そして家族の方も安心して生活できる世の中になることを祈ります。
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たかお
2019-08-22
名無しの権兵衛様 介護について私は奴隷ではない、と思ってしまう人格をお持ちの人が、とても不憫でなりません。自分の生活が大事なのは理解できますが家族がいて自分がいると思います。産んでくださいと頼んだ覚えがないのに、てその時にあなたに意思はなかったはず。産みおとされたあなたには生きる試練を与えられたのです。必ず生きてる限り人と人の繋がりがあっていずれ誰しも最期を迎える日が来る。最期のその日までお世話する事も恩返しだったり、人によっては意味合いも変わるかもしれませんが、家族である限り責任はついてくるかと。そんな親、嫌だとかいうのなら絶縁し除籍したらいいと思います。家族である限り骨になるまで責任がついてきます。冷静になり大人になりませんか。どんなに嫌いでも育ててくれた親です。もしか施設で育ったとか血縁がなかったとしても育ててくれた人に感謝はすべきです。そして自分も一人では死ねないのです。最期は必ず誰かがお世話をしてくれます。悪態ついていると自分に跳ね返ってきますよ。誰にも看取ってもらえず一人きりで不審死で最期を迎えるなんて、事もありえます。こんな最期、これほど虚しい事はありません。 自分の親が、祖母に殺したいくらい腹を立て日々ストレスで滅入ってる姿を見ました。それでも最期看取った瞬間、号泣した姿をみた時、自分は泣けませんでした。それほど祖母に思い入れがなかったのです。お世話にも勿論孫なので沢山あったのですが。ただ、嫌いな祖母ではなく面白い祖母だったのでエピソードとか思出話は笑い話でお葬式の食事会では笑顔が多かったです。家族だからしなきゃいけない面倒な事は山程ありますが、家族だから出来る事もあると思います。いずれくる親の介護についてもう少し真剣に向き合って欲しいなと思って長々コメントさせていただきました。
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名無しの権兵衛
2019-05-15
ボケ老人の面倒を見る事は、金銭的にも時間的にも大変で『ライターさんは優しいなぁ〜』が素直な感想。 自分ならば、相手にせず頭ごなしに怒鳴りつけて縛り付けますよ。ボケているのだから理解出来ないから大丈夫。 可愛そうとか言っている偽善者たちが多いかもしれないけど、自分の生活が第一です。 そもそも、自分がボケる事が分かっていて貯金をしていない本人が悪い。 それ以上を求めるのならば、税金を払っているのだから、国や地方自治体が面倒を見れば良い。 私は親に宣言をしています。 『ウチは子育てを失敗しているから仕方ないよね。私は親の面倒を見ないからね。施設に入るまでにキチンとお金は貯めておいてね。』 と、産んでくださいと頼んでもいないのに産んだのに、歳をとったから面倒を見ろなんて ふざけるな! 私は奴隷では無い!
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貧ちゃん
2019-03-29
私の父も昨年認知症発覚後3年目の夏から徘徊が酷くなりました。 冬場は寒いので徘徊はしませんでしたが先日急に「俺はここに居て良いのか?」と言いました。 そしてその辺りから「もう少しで俺は死ぬんだ」と言うようになりました。 そして父がデイサービスに行っているうちに買い物に行こうと家族で出掛けたのですが思いの他時間が掛かり父のデイサービスからの帰宅時間に40分程遅れてしまいました。 まさかこの時には父が自宅に居ないとは思っても居ませんでした。 玄関の鍵が閉まっていない事に「おやっ?」とは思いましたが夕飯を父の部屋に急いで支度して持って行った時には既に徘徊に出て行った後でした。 玄関には父の靴は無く家族で急いで探しましたが日が落ちるのが早く焦るばかり。 警察にもお願いし警察犬も来ましたが手掛かりは見つからず夜中は吹雪になりました。 一晩不安な夜を過ごし、朝また父を探しに出てお昼になった頃に警察から父を発見した連絡が入りました。 無事生存で発見されましたが低体温症で今も入院しています。 この記事を読んで父は大きな不安を抱えて寂しかったんだろうな、と今更ながら気がつきました。 親子だから認知症だから色々今まであったけどなんでもっと寄り添ってあげられなかったのかと今強く思います。 昨年秋に父の大好きな釣りに行った事、紅葉を見に行った事、もっと元気なうちにもっと沢山行っておけば良かったと思います。 今回の徘徊で父はもう自宅に戻る事は無いと思います。 一緒に居られた間にもっと沢山の思い出を作っておけば良かったと今は後悔の日々です。
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零
2018-10-07
『最近は、認知症の人が出歩く場合は、「徘徊」と呼ばないという動きもある』というのは、正確な表現ではありません。 『徘徊=あてもなくさまよう』という意味であり、他の人から見て、合っているように見えなくても本人に明確な目的意識があり、それに向かって移動することを「徘徊」とは言えないということです。 今回の例も前回と同様で、目的があってそのための行動になっています。 目的地やその認識が正しいかどうかは問題ではありません。 細かいようですが、「徘徊」という言葉を用いるだけで、理解不能で意味不明な行動という風に見えてしまいます。 そうではなく、行きたいところがあり、一緒に行ってくれないかと聞かれている。つまり徘徊ではなく、明確な意思によって、目的を持って行動していると言えるのではないかと思います。 明確な意思と目的があり、行動していても、必ずしもそれが正確ではないというところに問題があるわけですが、それを否定せず認める。それが大事だと思います。 自分の思いを訴えを否定されず受け入れてもらえる。 それが安心に繋がるのだと思います。 しかし、それは認知症だけに限らないはずです。 全ての人が同じように感じるはず・・・ だから、せめて「徘徊」と言わないであげて欲しいなと思います。
最近のコメント
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月香
2026-02-13
私も押し入れの中に大事に置いたままのガスボンベがありその時点で調べて10年位の物もありどうしようかと思っておりましたが、一応ベランダでカセットコンロに装着し火を付けましたら問題なく点火しました。そのまま使い切ろうと思いずっと付けておきましたがそれはそれで勿体ない気持ちになり、ヤカンを乗せてお湯を沸かしました。カセットボンベは何本かありましたのでヤカン何杯分かお湯が出来ました。ベランダでガスを抜く作業は絶対にダメだと禁止されているのであれば、コンロに装着し使ってみてください。使えばガスは溜まりませんよ。
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まう
2026-02-12
一気に読ませていただいてます。少しでも、天国のお母様に気持ちが届いてますように、作者様に今癒やしの時間がありますようにと願いながら読ませていただいてます。そして「わかるなぁ」と、おとなしく読ませていただくだけのつもりが、どうしてもコメントをさせていただきたくなりました。 作者様はその都度その都度、出来る最大限のことをお母様にされたと本当に思います。 例え「ありがとう」が返ってこなくて文句のような答えが返ってきたとしても、繰り返し繰り返し できる最大限のことをされたと思います。 私もそうだったと信じたいですし、信じています。私のことを少しだけ吐き出させてくださいませ。 2020年3月、旅行業という私の仕事も状況が変わり、母が同時期に倒れ、そこからはリモートワークや病院勤めで耳にヘッドセットをつけながら母の食事を作っていましたっけ。私も器が大きくなかったのか 苛立つこともありました。 ですが、亡くしてから3年、母のことを想わない日は1日もありません。母がいよいよ数時間でお別れかという時、病室の酸素吸入の音と肩で息をする母を抱きしめました。 どうして、恥ずかしくてもなんでも、母が家で生活してくれていたときに1度でも抱きしめなかったんだろうとそれだけが心残りです。自らの病が辛かったのでしょう。徐々に生きる気力をなくした母に「生きて居てくれるだけでいいんだよ」と言ったのですが、母自身がやはり気力をなくす程辛かったのだと想います。 亡くしてから(介護者自身に余裕や空白の時間ができてから)感じることもあると想います。 偏食の母が心配すぎて病院なのに差し入れ夕食を毎日のように持っていきました、が 今想うのは、母が元気なときに、本当に優しくしたかった(でも照れくささや甘えでできなかった)。 病院に対して感じるのは、感謝と、母へ持って行ったスプーンフォークセット(こどものお弁当のような)が、なんだか綺麗なままで、、「母はちゃんと食べさせてもらっていたのかな」ということも考え、切なくなんともいえない気持ちになりました。 意思疎通ができる間に、自分の家族や周囲や、出会う人に、誠実に接していこうと感じます。母も安心するでしょう。 突然でてきた作者さんの記事、読ませていただいて本当に有難うございます。沢山泣いて、すっきりしたように想います。
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みみ
2026-02-12
わが身を振り返る内容です。気づかぬうちに、すっかり人付き合いの筋トレ衰えています。 人並みの社交性はあったものの、中年過ぎると、若い時みたいに、一緒に楽しもうよ!っていうより、なにかとひとの生活を詮索する人が増えた気がします。 年とともに脳の前頭葉も衰えてくるからか、相手の気もちも考えず、ズケズケと自分が聞きたいままに質問してくる人が多くなり、人付き合いがニガテになってしまいました。よそのお金事情、家族構成、家族の介護や病気が気になるようで、楽しい会話というより、もはや国勢調査みたいです… つがえさまのご友人のように、視野が広がる人付き合いはいいなと思いつつ、また詮索やウワサ好きな人に会いそうでつい萎縮してしまいます。 ところで、お兄さまが、その後ご無事に過ごされていらっしゃって安心しました。お大事になさってくださいね。お兄さまの介護時の連載からの読者ですが、介護を離れられても変わらず、連載を楽しみに読んでいます。いつもありがとうございます。
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