兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第129回 兄の年金申請に行ってきました】
若年性認知症を患う兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさんが、日々のあれこれを綴る連載エッセイ。マナミコさんは、兄の生活全般にわたってサポートをする生活を送っています。病院の付き添い、デイケアの送りお迎え、日々の食事や身の回りのお世話、お金の管理…。そして、予期せぬトラブルに翻弄されることも日常茶飯事で。
そんなツガエマナミコさんが、「明るく、時にシュールに」、認知症を考えます。
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「てえへんだな」
先日、駅のホームでぼんやり電車待ちをしていると、ジャージ姿の青年がわたくしの目の前でお財布を落とし、それに気づかずスタスタとホームの先に歩いて行ってしまいました。「あんなに重たそうなお財布を落としてなんで気づかないの?」と思いながら反射的に拾ったわたくしは、小走りで青年を追いかけて「すいません、これ落としましたよ」と声をかけました。でも青年はイヤホンをしており、振り向いてもくれません。わたくしはさらに小走りのスピードを上げ、腕の当たりを叩いてやっとお財布を渡しました。青年は不意を突かれて驚きながら、お財布を見て、すっとイヤホンを外して無言で会釈をしてくれました。
マンガやドラマならそこから恋が芽生えそうな展開ですけれども、ここでは残念ながらそういうことはなく、ただのオバサンの小エピソードでございます。
「ひとつ徳を積んだわ」と思いながら、そのときわたくしの脳裏に浮かんでいたの2~3日前に見たばかりのYoutubeでございました。それは「日本でお財布を落としてもみんな拾って渡しに来てくれる~」という外国人によるお財布落としの実験検証動画でございます。放置されたケースもあったようですが、動画では外国人が驚くほどの確率で実験は立証されていて、誇らしい気持ちになりました。そのとき観た親切な人たちの動きとまったく同じようにお財布を拾って小走りに青年を追いかけた自分に「やっぱりこうしちゃうよね日本人は」と妙に納得したツガエでございます。
前置きが長くなってしまいましたが、今回は「兄の年金申請してみた~」の回でございます。
認知症で委任状の字が書けないので兄を連れて行ってまいりました。かつて兄の障害年金を申請した際には、認知症の初診時に国民健康保険料が未納だったことで却下となり、苦い経験をしたあの年金事務所でございます。
兄の年代では63歳から65歳までの間、老齢厚生年金の比例部分がいただけるそうでございます。兄が厚生年金に入っていた期間は15年ぐらいなものですので、わずかなものだと思っていましたが、本当に少なくてビックリ。まじめに勤め上げ、定年後も仕事をした父の年金額を知っているだけにその差は天と地、月とスッポン、小栗旬さまと霜降り明星の粗品さまぐらいの落差がございます。結局、まじめにコツコツ正社員として働いていることが強いのだと思い知りました。
ただ、障害者手帳を持っていることで、健常者ではこの期間に出ない老齢基礎年金も一緒にいただけるという朗報があり、思わず拍手いたしました。それをいただくためには例によって医師の診断書が必要で、近々あのクールガイ財前先生(仮)に「すみません、これを書いてください」とお願いしなければなりません。そのうえ診断書1枚に6000円ぐらいかかるのですから、なんとも気の重いことでございます。
ということで、試算していただいた結果、兄はひと月6万円ぐらいの年金が一生涯続くことがわかりました。「底辺だな~」「てえへんだな」と江戸っ子ダジャレが思い浮かんだ矢先、よく考えればわたくしはもっとテエヘンだと気が付きました。わたくしは厚生年金加入期間が1年未満なのでお話になりません。フリーで働くのは気楽ですが、いい年齢になるまで厚生年金の底力を知らなかった無知を若干後悔しております。
年金事務所でのお話は1時間ぐらいかかりました。午前中に帰宅して、兄とお昼を食べたその日の午後、わたくしが原稿書きを終えて自室から出てみると、兄がリビングを革靴で歩いているのを発見いたしました。昼間には年金事務所に履いて行ったその靴でございます。帰ってきたときは確かにスリッパを履いたのに、いつの間にか革靴に履き替えて家中をうろついていたのです。このショック、わかっていただけるでしょうか。久しぶりに「なんでー!」と声を荒げてしまいました。
兄が認知症と診断されてから5年余りが経過いたしました。オギャーと生まれた子が5歳になる間に、兄は勤め人から失業者になり、要介護者になってデイケアに通い、土足でリビングを歩く人になりました。欧米か!
あっという間の5年。されどたった5年。まだまだこれからでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ