兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第128回 うひょひょなニュース】
若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさんは、昨年、新型コロナウイルスに感染してしまいました。軽症でしたが嗅覚障害もあり自宅療養中は、兄に感染させぬよう気を使いながらの日々で、苦労もありました。幸い、兄がうつることなく、今は、もう過ぎたこととして受けて止めていたのですが、ひょんなことから、自宅療養に関して思いもしない話を聞くことになったのです。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えます。
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コロナ療養で入院保険が出る!?
夕べ、寝る前に鶏のから揚げを5つもほおばってしまい、今、押し寄せる罪悪感と「やってしまったことは仕方ない」という悟りの境地を行き来しております。
半月ほど前にチョコレートを1週間毎日1箱食べ続けた反省から甘いものは控えていたのですが、欲望がリバウンドしてしまい、ついにから揚げに手を出してしまいました。「甘くないからカロリーゼロ」と思いたいツガエでございます。
最近は、兄のお便さまの粗相がなく、頻繁にブルーになっていた頃が不思議なくらいに穏やかな日々を送っております。お便さまで困っていることをデイケアの連絡帳に書いたので、排便教育をされているのかもしれません。この調子でお便さまに泣かされない日々が少しでも長く続くことを祈るばかりでございます。もちろん「ベランダでオシッコ問題」は入所前の面接で訴えてあります。排尿教育はこれからなのでしょう。
「ベランダでオシッコ」には多くの問題をはらんでおりますけれども、窓の鍵を厳重にして出られないようにするのは気が引けます。毎日家の中で過ごすしかない兄なので、ベランダに出て外を眺めるくらいの自由は必要だと思いますし、奪いたくはございません。
人は「ダメ」と言われるとやりたくなるものですし、閉じ込められたとわかったら出たくなるのはまっとうな心理です。鍵を厳重にしたら、もっと厄介なことになりそうな気がするのは考えすぎでしょうか……。どんな病気もストレスが一番いけないと言われますし、現状を「良し」とすることがわたくしのストレス減にもなるのでございます。
と、そんなわたくしの日常に、ちょっと嬉しいことがありました。いや、正確にはまだ嬉しいニュースでしかないのですが……。
それは、寒い日でございました。わたくしと兄が入っている保険のことで年に1回来訪してくださる生保レディーさまがいて、今年も寒い中我が家に訪れて内容の確認や更新の手続きをした際のことでございます。一通り手続きが終わって世間話になったとき、新型コロナウイルスの話題になったので「じつは、わたくしもコロナに罹ったのですよ。デルタ株に嗅覚をやられて…」とお話しすると、「え?コロナに罹った?いつですか?」と急に立ち止まるように話を止めて、「3か月ぐらい前」と答えるとしばし考えたあと「それ、出ますね」とおっしゃったのです。
なんと、ちょうど1年前に入った医療保険が下りるというのです。コロナの自宅療養は入院扱いになるので、入院一時金が降りるのだそうでございます。知らない人もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか? 現に今回も、もし保険レディーさまがお仕事だけしてスッとお帰りになってしまっていたら何も知らずに終わっていたことでしょう。担当の保険レディーさまがお話し好きな方で助かりました。
気になるわたくしの入院一時金は「10萬円」。うひょうひょでございます。
これまで保険には、保険料をお支払いするばかりで何もいいことはございませんでしたが、まさかコロナ療養で人生初の保険給付金を受け取ることになるとは!
しかし、こういうことには必要書類がつきものでございまして、「自宅療養証明書」なるものを市に申請して手に入れなければなりません。ネットで調べてみると、市役所の福祉課に療養証明書発行係があり、申請用紙のひな型がありましたので、必要事項を書き込んで返信用封筒(切手付き)とともに郵送いたしました。それが一昨日のことなので、まだ市からは何も届いていませんが、それが届いたら生保レディーさまに再び我が家に来ていただくことになっております。
「療養証明書さえ確認できればすぐ、1週間以内にはお振り込みされます」とのこと。ただ、疑り深いわたくしは「こんなにうまい話はないはずだ」と思っておりまして、市の管理がずさんで療養証明書が発行されない事態や「ツガエさんの保険では出ませんでした~間違えてすみません」と言われてもいいように心の準備をしているところでございます。
入っている保険によるとは思いますが、新型コロナに罹って自宅療養した方は、担当の生保レディーさまにお問い合わせしてみてはいかがでしょうか?
以上、ツガエでした。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ